九条佑里香 バッドエンド
九条佑里香の白血病が……ヒロをバッドエンドへと突き落す……。
教室に入るや否や、翔が急に、珍しい模様のカブトムシみたいな目をして近付いてくる。
「ヒロ! お前……。昨日、コンビニの前で木南と抱き合って寝そべってたって本当かよ!」
バカは……声がデカいのが……もう、泣けてくるぜ……。
補習に来ているほぼ全員に聞こえちまったじゃねーか!
「このバカ! カブトムシ!」
「――?」
抱き合って寝そべっていたのではなく、危険な運転をするトレーラーから鵙美を守り、倒れてしまっただけだと説明を繰り返すのだが……。
「嘘つけ」
――っちっ。
バカのくせに――信じやがらねえ――。
「俺だって聞いただけだから詳しくは知らねーけど、なんか、歩道の上で数分間寝転がって抱き合ってて、その後、じーっと見つめ合いながら間近で話し合っていたらしいじゃねーか」
「一体それは、誰からの情報だ……」
「あ? ウエイトリフティング部の先輩。コンビニの駐車場から一部始終、ずっと見ていたらしいぜ」
――暇人め――!
しっかり部活をやりやがれと、顧問のようにド叱りしてやりたいぜっ!
「お前達のせいで、歩道が一時通行止め状態になってたらしいじゃないか……迷惑な奴だな。せめて時と場所を選べっつーの」
「ハハハ……」
もう、ぎこちなく笑うしか……できないよな。
「それに、通れなくて困ったお婆ちゃんまでいたらしいし……、交差点で止まって見ていた車もいたらしいし、……事故と勘違いして一一九番に電話かけようとした人までいたし、それにだなあ……」
――ああ~、もうやめてくれ、その話はしないでくれ!
せめて、二人の時にしてくれー! 全員が聞き耳立てて、クスクス笑っているじゃねーか!
翔はピタリと喋るのを止めた。
振り返ると……俺の彼女が教室に入ってきたからだ。
「おはよう。ヒロ君、翔君」
「あ、おお」
「おはよう」
なにもなかったかのように自分の机に座って、机の横に黒い革製の鞄を引っ掛ける。
いつもの……なにも変わっていない鵙美だ……。
そして次に教室へ入ってきたのが――、
九条佑里香だった――。
「おはよう」
明るい九条の挨拶に、友達みんなから声が掛けられる……。
俺は――驚きを隠しえなかった。
「九条! もう退院して大丈夫なのか――?」
九条の友達を押しのけるように、焦って近付いてくる俺を、少し怯えたような目で見る九条。
顔色は……少し白いが、決してやつれているわけでもなく、色白の綺麗な顔色だ。
「え? ええ。もしかして、心配してくれていたの?」
「あ、あたりまえじゃないか――。それに、白血病って、そんなにすぐによくならないだろ?」
ネットや映画などで調べただけの乏しい俺の知識でも、白血病の治療が困難なことや、長引くくらいは知っている――。
もう二度と会えないかと思っていた九条に、こうしてまた会えて、安堵するのと同時に……。
次に入院する時のことや、これから先の九条の事を考えると……。
――喉の奥が熱くなり……鼻の奥がツンっと痛くなってきた。
「佐倉君……私のことをそこまで……」
「……」
もう、声にならない。声を出したら――。
クラスメイトだし……。
ずっと憧れていたし……。
そんな言葉……ゲームのように簡単に口から言えない自分の不甲斐なさに……。
目から涙が零れ堕ちてしまった――。辛いのは俺なんかじゃない……。九条の方が、よほど辛いはずなのに――。
「あ、ありがとう、心配してくれて。でも、私、白血病なんかじゃないわよ」
……!
「え――?」
その一言に俺は……救われた気がした。
本当なのだろうか――?
素直で裏表のない九条の言葉を、今は……今だけは信じていいのだろうか――?
信じたい。
嘘でも信じていたい――。
しかし、それと同時に……、だったら、――なぜと……と疑問が浮かんだ。
「え? 白血病じゃなかった――の? な、なんで?」
「え……なんでって言われても……」
白血病になり……二学期は学校に来れなくなるのは……鵙美が作ったストーリだった……。
「じゃ、じゃあ、なんの病気だったの?」
「……それは……」
九条は言いにくそうにしたが、俺は真実を知りたかった……。
それはそうだろう。白血病と疑って……教室で、人前で、涙まで流したんだから……。
気付くと俺の両手は九条の小さな両肩を鷲掴みにし――そのやりとりを教室内の全員が見守っていた。
「だ、だったら……、なんの病気だったんだよ?」
教室内がシーンと静まり返ってしまう。
夏の終わりを告げるツクツクボウシやヒグラシも一斉に鳴くのを止めた――。
――パッシーン!
「――佐倉君なんて大っ嫌い!」
右の頬を強く叩かれて――、九条も涙を流して教室から去ってしまった……。
蝉の鳴き声がまた聞こえ始め……俺の額には汗が伝い落ちた……。
右の耳が、キーンとしばらく悲鳴を上げていた。
「相変わらず、女子の気持ちが分からないバカだなあ」
モミジのような赤い頬を手でさする……。
女子に本気で叩かれたのって……何年ぶりだろうか。昔、春佳にも何度か叩かれたことがあったような気がする……。
「翔は知ってるのか? 九条の病気がなんなのか?」
「知るわけねーだろ。先生も知らねえくらいだから、大したことなかったのさ。しかし……お前がそんなに九条に惚れ込んでいたとはな……」
いや、憧れていたのは確かだが、――それ以上に、本気で心配していたんだ。あの呪われたゲームのような結末にならないように……。鵙美と俺が作ったゲームが、呪いのゲームなんてもんにならないで欲しかったんだ――。
「ふん、惚れ込んでたわけじゃないさ。それに、……俺なんかに九条は、高嶺の花だったのさ」
「お前、勉強は出来るけどさ、そのあたりは身の程知らずのバカだもんな」
……成績底辺に言われると……腹立つのも桁違いだぜ……。
だが、今は引きつった笑顔で……なんとか耐えた。俺も……大人になったと自負したい。
「まあ俺も、自分に合った女子を見つけたもんな」
「もしかしてそれは、この前に言ってたヘビーウエイトの事か……?」
それとも、春佳のことだろうか? ヘビーウエイトと言って、ワザと翔をからかったつもりだったのだが……。
「そう! そう! もう俺、夏休み中に告白しちゃったもんね~!」
……は? マジで?
翔は……マジでヘビーウエイト……狙ってたの?
ウエイトリフティング部だからって……重い女子に惹かれるのだろうか?
「ギュウ~って抱きしめた時、まるで母ちゃんみたいな母性本能を感じられるだろ? だから最高だよなあ。って、まだ抱きしめた事なんてないけどな、ハハハ」
他の奴らに聞こえそうな声で恥じらう表情一つしない翔は……。
ただのバカじゃ……ないのかもしれない……。
「まあ、お前も夏に恋人できて良かったじゃん。俺には眼鏡属性ってのはないけどな~」
そういってチラッと鵙美の方を見るのは……正直、勘弁して欲しい――!
「そんなんじゃねーって!」
やっぱこいつの頭を本気で改造し……デンジマンのようにしてやりたい――。
「おバカさんねー」
補習が終わって教室で二人っきりになると、鵙美がそう言いながら俺の机の前に座る。俺と九条とのやりとりを一部始終見ていたのだろう。
「鵙美……、実はお前、九条が入院した時から……なんの病気が知ってたんだろ?」
――九条が白血病なんかじゃなかったことも。
昨日、九条がゲーム通りになってしまったと俺が焦っていたのに……、そのことについて鵙美は全然自分からは触れなかった。九条の病気の事……まったく心配していなかった――!
「ギク!」
「ギクって言うなよ!」
バレバレだっつーの!
プールに行ってから、すっかり鵙美は他の二人の女子と打ち解けていたのを知っている。連絡先も交換していたのを横目でチラ見していたのさ。俺は!
水着の胸元を見るフリをして、胸元で操作していたスマホの画面を見ていたのさ――! チラッとだぞ! 内緒だぞ!
「それで――、九条はいったいなんの病気だったんだ? 聞いてるんだろ?」
一日や二日で退院できるのなら、そんな大した病気じゃなかったはずなんだ。
「うん。イボ痔よ。それを手術で取ったの」
「――い――!」
イボ痔だと! そっちがリアルか……よ――?
「ほ、本当なのか? イ……イ~……」
俺には……言えない。これまた口から……言葉がでない。
額から冷や汗やら普通の透明な汗やらが流れ落ちる。上唇に溜まるほどダラダラと……。
「プールで見たから間違いなし」
――!
もう……なにも考えられん……。
頭の中が……完全にショートしてしまいそうだぜ……。
俺の顔が赤から青から何色やら……頭の中には描けないような想像図が浮かび上がる。
……イボ痔って……外から見えるもんなのか? いや、実は……。
――見えていたのか――?
「へへーん。嘘でした~」
――嘘だと……?
ホッとハア~っとため息が同時にでるじゃねーか! ……安堵の……。ホハ~。
「もう! 鵙美のバカ野郎! リアクションに困るような嘘つくんじゃねーよ!」
「ヒロ君、女子に病気の事とか、大きな声で聞いちゃダメよ」
「え? ……ああ。……今は凄く反省してる」
いくら自分が知りたくても、人には教えたくないことがあるんだ。
それを知ろうとするがるために俺は……。大事な友達を一人、心のアイドルを失ってしまったんだ……。
「……九条には完全に嫌われたな……」
前に春佳に軽蔑された頃を思い出す。俺もまだまだ大人になりきれてなんかいねーぜ。つくづく嫌になってしまう。
「九条さんなら大丈夫よ。だって、ヒロ君の友達でしょ?」
「友達?」
「うん。友達だから泣いちゃうくらい心配してたんでしょ? 自分の事みたいに悲しく感じたんでしょ?」
鵙美にそう言われると、なんだかホッとした……。
友達……か。
そうさ――九条が友達だから俺は……、心配で心配で仕方なかったんだ――。