W その一言が……言えなかった
夏休みもいよいよ最後の週に入る。
鵙美は鞄から……ごっついマイクを取り出した!?
補習後、鵙美が鞄から取り出したのは……黒くてしっかりしたマイクだった。
カラオケボックスとか、学校の放送室とかで見るような立派なマイクで、丸いスポンジまで付いている……。
「これ、お父さんのカラオケセットから拝借してきたのよ!」
「……それで一体、なんの音を録音するつもりだ?」
マイクでけえ。
鵙美のお父さん……近隣から苦情が来るくらい、家で歌いまくっているんじゃないだろうか?
「なんの音って……主人公の声よ。ヒロ君の声」
椅子ごと後ろにふわ~っと倒れてしまいそうになる――。
――俺も、うっふんクス森ピクピクに……声を入れるのか?
プレイした人の批評が今から聞こえてきそうだ。怖い――。なんか共犯者になってしまうような罪悪感だ。
「きょ、きょ、拒否する~! そもそも、恋愛シミュレーションゲームゲームとかは、本人の声や名前なんて、ない方がいいくらいだ!」
「え? なんでよ。不自然じゃない」
「不自然じゃない! なぜならば、感情移入が出来なくなるだろ? あたかも自分がその世界に入ってるって気持ちにさせないといけないだろ?」
必死になって俺は、ありがちな言い訳を並べる――!
「あ、バーチャルリアリティーってやつね?」
「うーん。まあ、そういえばそうだが……違うと言えば違うかもだな……」
恋愛シミュレーションゲームゲームは360度見回せなくてもいい。いや、見回せるのもありかもしれない。
だが今は、そんなVRの世界観なんてどうでもいい。
目の前に現れた危機回避をしなくてはならない――。
俺の話をそっちのけにし、鵙美はマイクケーブルをスマホのジャックに差そうとして、唖然とした。
「どうした? そのマイク、ジャックとプラグが合わないから、スマホなんかには繋がらないぞ」
マイクケーブルの端子は親指の大きさほどある。ぶっとい。スマホの小さな穴なんかには、差し込めるわけがなかろう。
「お前……ちゃんとそのへん見て持ってきたのか?」
変換アダプターみたいなもんが必要だぜ。たぶん。
そもそも、スマホに直接録音できるだろ……とは、口が裂けても言いません。
「無理やりねじ込んだらいけるかなーって思ったの?」
鵙美の頬に汗が垂れているのが面白い。本気でそれとそれをつなげると思っていたのだろうか?
「ハハハ、一目見りゃ分かるだろ? デカ過ぎて入らないのくらい」
「……痛いのは最初だけって聞いた事あるわ!」
ハハハ……はあ。下ネタか……?
ハッ! それとも、鵙美は俺を……挑発しているのか――?
二人だけの夏休みの教室。
一週間後には二学期が始まる――。
夏休みの思い出を作りたいって気分に……普通の男子なら……誰でもなるだろう。
「……鵙美……俺だって一応、男なんだぜ? 少しくらいは身の危険とかを感じないのか?」
汗の流れる鵙美の横顔。うなじ……。今日ほど素敵に見えたことはなかった。
鵙美はボディータッチが多い……。俺以外の女子や男子にも、俺の知らないところでもしているのかも知れない……。今までそれは、「ラッキー」くらいにしか思ってなかったが。
俺のことを……ひょっとすると好きなのかなあと思ってはいたけれど、グイグイ来る感じに……なぜか今まで距離をとってきていた……。
――ひょっとすると、翔から聞いたあの噂のせいなのかもしれない……。
「ヒロ君、そんなことしないの知ってるしー」
知ってるしーっていうほど、俺は俺の欲望を抑え込んだりできないかも知れない――。狼のようになってしまう事だって――あるかも知れないんだぜ? 胸の鼓動が高まり、鵙美にも聞こえてしまいそうで不安になる。
「それに、ヒロ君なら……」
赤くなって――鵙美はうつむく。
なにかが外れた、――いや、――外れかけたが、寸前のところで――とどまった。
はあ、はあ、危なかった……。これはまだ……選択肢だ! そう言い聞かせて本能を抑え込む――。
「な、なあ鵙美」
「なーに?」
今までにない優しい声で、俺に返事をする。よく見ると、少し肩が震えている……。
「本当のことを教えてくれ。お前、中学の時、バーガーショップでバイトなんてしてないだろ」
「……。うん。そうだね。してない」
「……ダンス部ってのも。嘘だろ。ダンスは上手いかもしれないけど」
「……」
「なあ、俺は別に驚いたり軽蔑したりはしないから、――本当のことを教えて欲しいんだ」
「……」
黙る鵙美。やはり、言いたくないような……バイトか。
人には言えないような……噂通りの……やましいバイトでも……していたのか……。
……。
……。
なにも語らぬまま時間だけが過ぎる。
言おうか言うまいか、迷ってるのかもしれない……。そしてその言葉がもたらせる意味……。
鵙美はテストの成績は悪いが、俺なんかと違ってズバ抜けて賢い――。俺以上に後先の事を瞬時に考えている――。話していて分かるんだ。発想の切り替えやアイデアの整合性。キャラクターのデザインセンス。
うっふんクス森ピクピクも、実は一人で完成品を簡単に作り出せるはずなんだ――。
……。
……。
「あのー、迷うの……ちょっとだけ長過ぎないか?」
数十分経過していた。その間、俺の心臓はバクバクし続け、頬をもう何度も汗が流れ落ちていた。
「もし……ヒロ君が、わた、わた、私とちゃんと付き合ってくれるなら……。私なんかと付き合えるなら……。その時には教えておこうと……。知ってもらおうと思ってる……」
肩を小刻みに震わせる鵙美……。絶対に言いたくないって強い気持ちが伝わってきてしまう――。
「……なんだよそれ」
――そこが気になるから、俺は鵙美と付き合えないって言ってるのに……。
この夏、ほぼ毎日一緒に過ごして、ゲーム作り手伝ってやったのに――。
なにより俺は……こんなに鵙美の事を……。
「……考えさせてくれないか……」
肩が一度ヒクッと動いたのが分かった――。
……問題の先送りだな。逃げたってわけだ。自分が嫌になってしまうぜ――。
鞄を持つと、俺は教室を出た。教室から逃げ出してしまったんだ――。
一人残された鵙美……ひょっとすると泣いていたかも知れない……。
いったい、なんのバイトをしていたっていうんだ――!
あんな態度とられたら……、悪い方にしか考えられないじゃないか――!
――最後の分岐だ。
もう分岐の想像はついているな? 俺は誰となにをどう話すっていうんだ――?
1、幼馴染の渡利春佳……。
2、クラスのアイドル九条佑里香――。
3、うっふんクス森ピクピクの木南鵙美。
また……呆れてため息が出るよな? 俺もさ――。
しかし、現実はそんな恋愛シミュレーションゲームゲームのように上手くなんかいかない。より一層リアルな結末が待っているんだ――。
夏休みも最期の一週間に入った――。二学期が……目の前に迫ってきている。
行かないわけにも……いかないよな……。途中で夏休みの宿題を放棄するような事……俺にはできないのさ。たとえ、どんな結末が待ち受けていようともだ。
自転車で家を出てすぐ、この辺りでは見慣れないナンバーの大きなトラックが二台、トロトロと走っているのが目に付いた。おおよそ、目的地が分からないか、止める場所が近くにないのだろう。
……春佳が住んでいる家の近くっていうのが、……妙に引っ掛かった……。
補習に行く途中のバス停で、今日はトボトボと小さな歩幅で歩くツインテールを見つけた。
「よお。なんか背中が哀愁ただよわせてるぜ」
「あ、ヒロ! ちょうどよかった……」
「ちょうど……?」
学校の玄関には向かわずに俺と春佳は、体育館の裏へと歩いて行った。日の当たっていないコンクリートの階段に座ると、ひんやり冷たく心地よかった。
「話なら下駄箱でもできるのに……わざわざこんなとこに来なくても」
できるだけ落ち着いてそう言うのだが、こんなところでする話っていったら……なにか親密な話か、それとも、まさかの……告白か……?
ごくりとツバを飲む。今告られると、とっさに答えが出せないかも知れない。しかし……。
「私、引っ越しするの……」
「――! え、なんだって?」
急な引越しの二文字に……俺はすべての言葉を失った――。
体育館裏に涼しい風が吹き抜け、蝉の鳴き声をまた運んでくる……。
「う、嘘だろ? この間まで……なにも言わなかったじゃないか!」
両腕で自分の膝を抱え込んで、前を向いたまま黙ってうなずく……。
夏祭りの時も、プールの時も、そんな素振りすら見せなかった春佳には……春佳なりに考えがあったのかも知れないのだが――。
「いったいどこへ行くって言うんだよ! せめて、住所くらい教えろよ」
まさか、海外か? ヒューストンにでも行ってしまうっていうのかよ!
――うっふんクス森ピクピクのように……。
春佳の答えは……今までのどんな仕打ちよりも俺に対して酷かった――。
「教えないわ――。教えたくない……」
――。
俺に連絡する術を知らさない理由が……分からなかった。冷たいような、乾いた視線で春佳は俺を見つめて……こう口走った。
「……こんな可愛い幼馴染に、もう一度「好きだった」って言えないなんて……。本当にヒロったら……おバカさんねー」
ツンデレっ娘が言うような、そんなセリフを……、片方の瞳を涙で一杯にして……言わないで欲しかった……。
一筋――。その煌きが冷たいコンクリーとに零れおちた――。
「お、俺は……」
ずっと春佳が好きだった。ずっと昔から。
――なのに、なのに!
それを、あの日からもう口になんかできなかったんだ――。
……あの日――。そうだ俺は……ずっと心に突っかかっていたことを、今、最後に――、
謝っておかなくては――!
「……春佳……。俺は……。あの時は……ごめん――」
「……あの時って?」
「ほら、あの……その……小学の六年の時に、からかって……泣かしてしまったこと……」
春佳は俺の言った日の事を、ゆっくり思い出し……。クスっと笑われた……。
「懐かしいなあ~。そんなこと……私、全然忘れていたわ。クックック……。そう……だったんだ。ヒロは……だからそれから、あんまり話てくれなかったんだ。全然気にしてなかったのに」
肩をヒクヒクさせて笑っている。
僕にはずっと後悔していたことが、春佳にとっては、幼い頃の思い出の一ページに過ぎなかったのか……。
「じゃ、じゃあ。これからもずっと幼馴染でいてくれよ! 遠くに行っても……ずっと……。俺は、春佳の事が……」
春佳の事が――の次の言葉が……でない。――口から……声に出して言えない……。
恋愛シミュレーションゲームでは、分岐に入れろって簡単に言えた、「――ずっと好きだ」の、
たった一言が――。
「……もう、遅いよ。もう……」
顔を両手で覆い隠し、春佳は走り去ってしまった――。
待ってくれ――!
急いで追いかけようとするのだが……。こんどは足が動かない。追いかけようと……していないんだ……。
春佳になんて声を掛ければいいのかも分からなかった――。
喉の奥が、蝉のように渇きを訴え続けていた――。
――バッドエンドだな……。しかも、フラれて引っ越し? これじゃまるで俺がずっとあいつのことだけを好きだったみたいじゃないか!
――ずっとあいつの事を……。好きだったのか……。
ダブルパンチだ……。フラれて離れ離れ……。連絡先も教えてもらえない。
――これが現実なのか? 鵙美の作ったゲームより酷い結末じゃないか……。なんだか、春佳の言葉……まるでどこかで聞いたことがある言葉だ……。
鵙美の声と重なっていたような気がした……。
俺のやっていた恋愛シミュレーションって、いったい……。