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V 意外性の必要性

夏休み最大のイベントが始まる。

そして終わる……?


 鵙美と途中まで自転車を押して一緒に帰る。

 昼を少し回ると、補習の奴らは全員帰っているし、部活の奴らは昼からの部が始まっていて、通学路に人は殆どいない。

 猛暑のためか、人っ子一人見当たらず、熱く熱された道路からはユラユラと陽炎が立ち上がって見える。

 この暑い日でも鵙美は、校則で決められたとおりの黒い革靴に、ハイソックスの白い靴下姿だ。清楚で隙がない。一見鵙美は、いいところのお嬢様にも見える。

 俺が汗をかいているのに……鵙美の首筋や頬は汗を殆どかいてないのをじっと見ていたのだが……。

「鵙美って、爬虫類?」

「ドテッ! いきなり脈絡ないこと言わないでよ」

「いや、俺がこんなに汗かいているのに、ホラ、鵙美って殆どかいてないだろ?」

 ワザと額の汗を手首で拭って、鵙美に見せる。

「……制汗スプレーとか知らないの? 女子だったら殆ど持ってるわよ」

「制汗スプレー?」

 女子だったらみんな持っているだと……? 

 ああ! そう言われればテレビのCMで見たことがある。脇の下や胸元に綺麗なお姉さんが吹き付けているCM!


 ……あれって……体臭が酷い人だけが使う、医薬品だと思っていた……。

 うちでは母親がソファーで眠っている親父に直接かけているのを何度か目撃したことがある!


 シュー! それ、ゴキジェットじゃ……ねえよな?


「鵙美って、臭いのか?」

「……」

「いつも一緒にいて、俺が気付かなくなっているのか?」

「……。鼻を摘まみながら聞かないでくれる~!」

 片方の頬をヒクヒクさせているのが、――少し可愛い。

「もう、みだしなみよ、みだしなみ! ヒロ君だって嫌でしょ? いつも一緒にいる可愛い女子が脇汗ダラダラ流していたり、汗でシャツがひっついていたり、乾いて白っぽく塩が析出していたりしたら!」

 確かに……汗は若さの象徴だからいいが……。脇汗だけが制服に汗染みになって白っぽく見えたら……。キャ~!

「――なんか残念かもしれない……。しかし……。いつも一緒にいる可愛い女子なんてどこにもいないけどな」

 そういって辺りを見渡す。誰もいないぞ。

「……アイス奢って」

「逆に俺が奢って欲しいぞ! 水で我慢しろよ。学校の水道水」

「ケチ」

「……冗談だよ」

 五十円のアイスなら……、奢ってやるよ。



 次の日も暑い。

「なんか……意外性がないんだよな……」

「え?」

 最初に比べれば、飛躍的に面白くなったハズなのだが……、

「うっふんクス森ピクピクって割には……普通っていうか、王道の恋愛シミュレーションゲームっていうか……」

「うーん。じゃあさあ、こういうのはどう? 恋愛シミュレーションゲーム通りになっちゃうとか……、作ってた私達が、実はゲームの中の世界で、ゲームの中のキャラクターが実は私達を作っているとか!」


 うーん。頭を抱え込んでしまう。

「実際に……ゲーム通りになるっていうのも、王道って言えば王道だしなあ。それに、ゲームの中のキャラクターが現実を作っているって展開……プレイヤーが「はあ?」って頭悩ますだけだぞ。たぶん」

「ってことは、リアリティーに欠けるってことよね。じゃあダメ。だって、うっふんクス森ピクピクは、リアリティーが命なんだから!」

 

 ……リアリティーを求めるのなら……、まずはこのタイトルからして変える必要があるんじゃないのか……とは、もう今さら口にできないよな……。




 お盆も明け、夏期補習もいよいよ後半に差し掛かる。残暑厳しい中、ちょっと嬉しい出来事があった。


「夏の甲子園も終わったし……気晴らしに、パッーと行きたいな……」

 俺の隣で数学の問題を解く九条が、呟くようにそう言ったのが聞こえた。

 シャーペンを握ったまま、頬に手を当てて……心ここにあらず。誰に言うわけでもなくそう呟いていた。俺に言ったのかどうかも定かではないのだが――。


 九条がパーッと行きたい――? 一体、どこだ――!


 こういうのも……俺にとっては分岐なのかもしれない。

 カラオケ? ボーリング? まさか化石探しなんて……冗談にもならないだろう。頭の中でありとあらゆるパーッと行きたい場所をランキングにして、ここで九条に提案しなくては――!


 今年の夏休み、最後のビッグイベントになるのかもしれないな……ハッ!


「じゃあ、……プ、ップップ」

「?」

 笑っている分けじゃないんだ……。

「――プールでも行かないか?」

 はあ、はあ、このキーワードをまさか自分の口から九条に言える日が来るとは思ってもみなかった。

「え? プール? 佐倉君……と?」

 九条の頬も少し赤みを帯びていく。まさかの俺からの提案に、どう答えていいのか分からないようだ。


 九条と二人っきりでプールに行けたら、楽しいだろうなあ。

 いや、楽しいよりも緊張が先走って……足がつって溺れてしまうかも知れない……。


 だが今はそれ以上に――、自分の言ったとんでも提案に溺れてしまいそうだ~! ゴボゴボゲッホッゲッホだ!


 悩む九条の横顔が……思わず胸が苦しくなるくらい綺麗に見える。もしかして、真面目に考えてくれているのだろうか? それとも、断る理由を必死に考えているのだろうか……。


 確率、フィフティーフィフティー? いや、セブンティーンセブンティーン? ……どうせプールに行くのなら、俺なんかとは行かないかも知れない。

 野球部の上野と行きたいはずだ……。いや、もうプールぐらいなら、二人では行っているのかも知れない。いやいや――、

 九条の半袖からのぞく白い腕、首筋、足……総称して「美しい肌」は、プールの日焼けなんて知らない絹のような滑らかさだ。

 ――今年は海にもプールにも、まだ行っていない筈だ。断言できる――!


 ……まあ、俺としてはダメ元だから……期待はしていなかったのだが……。頭の中では……九条が水着姿になっていた。紐のような小さなビキニから……名札の付いたスクール水着……。

 ……我ながら情けないぜ。トホホ。


「プールいいねえ! 俺も行きたいぜ!」

「私も行く行く! みんなで一緒に行こうよ!」

「え?」

 ――こいつらいったい……俺達二人の会話をいつから聞いていやがったんだ……。

 どこから出てきやがった!


 ――グッドタイミングだぜ、お前ら~! 


 翔と鵙美の勢いに押されてか、九条もゆっくりと呟くように頷いた。

「う、うん。じゃあみんな行くなら私も行くわ。……私の友達も誘ってみていいかなあ?」

「ああ、いいぜ! 多い方がいいからな! 女子なら大歓迎さ、ヒャッホーイ!」

 翔がノリノリで返事をする。

 俺も右手でグーを作り、力強くガッツポーズをしたのは……久しぶりかも知れない。


 友達っていうくらいだから、彼氏とか男友達ではないはずだ。上野なんて連れてこられた時には、ドン引きしてしまう。九条はそんな場の空気を読める、尊敬に値する女子のはずだ――。

 だからその友達っていうのが……まさか……俺のよく知った友達だったなんて、この時に分かるはずもなかった……。



 数年前、市民の反対の声を抑え込んで作られた市営プール。海が近いのに絶対に流行るわけがないと反対された市営プールが、お盆を過ぎれば芋洗い状態だった。


 海の近くに住む人たちの……海水嫌い感ってやつがヒシヒシと伝わってくる。

 そりゃあ、そうだ。プールだったら帰りに体がネチャネチャしたり、海パンが塩をふいたりしない。

第一に、ビーサンに砂が入らないのがいい。何度シャワーを浴びても、あの足にまとわりつく砂浜の砂……。払っても払っても落ちやしない。「人生、諦めが肝心」と悟りを開けるぐらいに……しつこくまとわりついてくる~。


 集合場所の市営プール前に集まった時……俺は一人、驚愕(きょうがく)していた。

「は、春佳……。なんでここにいるんだよ……?」

「ヒロこそ、超インドア派のくせに、なんでプールになんて来るのよ」

 その驚きの顔は……知っててワザと言ってる感ゼロパーセントだった……。


 俺と春佳が一斉に九条の方を見るが、九条はいたって平静を保ち、ニコニコ微笑んでいるだけだった。


 九条って――策士か?


 でも、春佳のビキニ姿を見て、思わず頭下げたくなってしまった……。

 水色のビキニ姿の春佳は、もう幼馴染の幼さなどは微塵も残っておらず、大人の曲線を描いている。三人の中で一番派手な春佳ビキニ姿……周りの男に見せたくないくらい魅力的だ。


 思わず凝視する俺に対して春佳は恥ずかしがったりしない……。私を見て欲しいと言わんばかりに堂々と突っ立っている……。

 チラッ、チラッと見てしまう~!

「スケベ」

「――ハッ!」

 隣からの鵙美の一言で、周りからの冷たい視線と冷ややかな笑いを独り占めしてしまった。


「おいヒロ! やっぱ春佳ちゃん、メチャクチャ可愛いじゃないか! すっげえナイスバディ―だし」

「そ、そうか?」

 別に俺が褒められているわけじゃないのに、なんか照れてしまう……。

「普通は美人が呼ぶ友達が美人ってパターン――ねえぜ?」


 ……。

 春佳の事を美人だと思って見たことは、今までなかった……。


 俺が好きになる女子のハードルが高いのは……実はずっと春佳を見て育ってきたからかもしれない。 気付かないうちに、俺の女子に対するハードルを、幼馴染が引き上げていたのかもしれない……。


 春佳の水着姿――。本当に綺麗だと思う。エロいとかそんなレベルじゃなく、まるで芸術品のようだ。


「それに、あのツインテールでしばかれたいぜ」

 ……このアホにも見られているっていうのが……歯がゆい。まるで尻尾を振りながら美術館に紛れ込むアホ野良犬だ――。こいつは美術も絶対に欠点だ!

「アホか?」

「ああ! ああ! あのツインテールで首をブンブン降ったら、ビシバシって具合に両方から当たりそうだよな? いいよなあ、ツインテール。超レアだぜ~!」


 ひょっとして、翔は春佳に……春佳の水着姿に一目惚れでもしやがったのか? ……別に俺の彼女でもないから、そんなことはどうでもいい筈なんだが!


 ――なんだろうこの胸のわだかまりは……! くそっ! アホっ!



 キャーキャー声を上げてはしゃぐ女子達――。

 ビーチボールをプールの中で取り合って遊ぶと、ついつい体同士が触れ合ってしまう。普段ならそんな肌同士が触れ合えば意識し合って離れたり、恥ずかしがったりするだろうに……。夏のプールは身も心も全てを開放的にしてくれる――!


 ――あ、今、俺、むちゃんこ楽しい~。水しぶきを浴びながら、真夏を満喫してる――。

 夏が……夏がこんなにも楽しかった時なんて――、生まれて今まで一度もなかった!

 夏は昔から嫌いだった。夏休みの楽しい思い出っていうのが、――なかったんだ!


 ……虫を取りに行ったら、得体のしれない芋虫を触ってブツブツが出来たり。

 家族で行く海では、クラゲに刺されて赤く貼れたり、煙草のポイ捨てを踏んで足の裏を火傷したり。

 花火は蚊に刺されて、痒くなったり。数本に一気に火を付けたら、服に火花が飛んでしまい、小さく焦げて母親に怒られたり……。

 どれもあまりいい思い出ではなかった。それが夏休みなんだと、必死にくだらないことを美化して誤魔化そうとしていたくらいなのに……。


 パソコンの前でしか、真の楽しみをみいだせなかった俺が、まさか市民プールでこんな気持ちになれるなんて!


「ヒャッホーイ! 市営プール、まさに神! オ~マイゴッド~!」

「もうヒロったらテンション上がり過ぎ!」

 そういう春佳も、他のみんなも笑いが止まらない。プールサイドを走ったり、ジャンプして飛び込んだり、水中で目を開けたり……。それだけで楽しいんだ――!


「佐倉君って……こんなに笑う人なのね」

「普段はムッツリスケベだからな。今日はオープンスケベってとこだな」

 

 ……笑いが固着してしまうような……会話を聞こえるところでしないでほしかった……。



 お昼御飯は、女子達が作ってきた特性おにぎりを頂いた。


 プールサイドにレジャーシートを広げ、ラップやアルミホイルに包まれたおにぎりが二十個くらい転がる。

 俺と翔には、誰がどのおにぎりを作ってきたのかが内緒で、それを当てる簡単なゲームをした。


 さっそく一つ目にかぶりつく。中から香ばしい……よく食べているが……おにぎりの具材としては珍しい味と香りが口から鼻へ抜けていく。

「う~ん……、オニギリにヘシコ入れたやつは……鵙美だろ!」

 おにぎりの中の茶色く色付いたヘシコを見せつけて指摘する!


 ――ところが!

「ブッブー! 外れ~! ブッブッブー!」

 ツバが散るくらいの残念音! 至近距離でやめてくれ。オニギリにかかる! 顔にかかる~!

 つーか、なんで俺の隣が、鵙美と翔なんだよ! なんか俺……バチがあたるような悪いことでもしたのか~?


「私のは、唐揚げ入りのやつでした! ……ていうか、「ヘシコ」ってなに?」

「「えー!」」

 みんなから一斉に驚きの声が上がった。

「……ああ、鵙美は転校してきたから知らないのか。鯖のぬか漬けさ。この辺りでは珍しくもないんだけど、あえておにぎりに入れるのは、ちょっと珍しいかも知れないな」

「ふーん。じゃあ、私もそれ食べよーっと」

 同じ包のおにぎりを鵙美も手に取り、広げて食べ始めた。

「じゃあ、春佳か?」

「私のは昆布よ」


 てことは、九条がヘシコを……おにぎりに入れて握った?

「……ヘシコ……嫌い?」

「ぜんぜん嫌いじゃない! 大好きさー!」

「俺もだぜ! ヘシコあれば御飯がどんぶりで三杯はいけるな!」

「私達のソウルフードよ!」

 ヘシコのおにぎりを高々く揚げて、俺と翔と春佳がそう言うと、九条も笑ってくれてホッとした。 鵙美が必死にヘシコおにぎりを……お茶で流し込んでいるのが、さらに笑いをもたらせた。


 全てのおにぎりが、その姿を消したとき、

「あ! そうだ、せっかくだから写真撮ろうよ!」

「「ええー!」」

 鵙美の突然の思い付きに、色々な思惑のこもった「ええー」が飛び交った。


 ――九条の水着姿……俺のスマホの壁紙にしたい!

 この時ばかりは、スマホを取り出す鵙美を褒め称えてやりたいと思ったのに――。

「じゃあ九条さん、撮って」

「いいよ」


 ホッワ~イ? なぜ鵙美は自分のスマホを九条に渡しやがる~?


 しっか~も! なんか俺の左腕にまとわりつこうとしてくる~! 

 必死にそれを振りほどきながら、真顔でポーズを決める。

 ――九条が見ている目の前で、ベタベタするのはやめろって言いたい~!


「はーい笑って」

 カシャ――。

 九条にそう言われても、引きつった笑顔にしかならねえよなあ。九条と写りたかったのに……。いや、むしろ九条だけを撮ってもいい! 九条だけでも、とってもいい――!

「じゃ、じゃあ次は、九条も入れよ。次は鵙美が撮ってくれ……」

 そう言って、なんとか鵙美に九条とみんなを撮らせようとするのだが……、

「じゃあ次は私ので撮って! 記念に!」

 ――今度は、春佳が自分のスマホを……やっぱり九条に渡しやがる~!


 これが女の連帯感な~のか~! 困るぜ!


 九条がニコニコしながら春佳のスマホを持って構えると……、なんだなんだ? 春佳まで俺の腕に自分の腕を絡ませて来やがる――!

「はーい、もっと笑って笑って!」

 九条がそっちにいる限り……、俺は心の底から笑えないと……言いたかった。言えなかった。

 仕方なく九条が構えるスマホを見つめると、……んん? 腕に柔らかい感触が伝わってくる。

 春佳の青色のビキニの左胸は、形が変わるくらい俺の二の腕に強く、強く押し当てられていた……。


 胸の鼓動が伝わってくるくらいに――。


 春佳の顔をチラッと見るが……全く気付いていないようで、ずっと九条の方を見ている――。

 カシャ――。

「ありがとう、佑里香」

「うん、いいのが撮れたわ」

 春佳はスマホを受け取ると、撮れた画像を確認もせずに自分のビーチバックに仕舞った。

 俺の腕には、……まだ春佳の柔らかい感触と早い鼓動の感触が……残っていた。


 ラッキーというよりは……どうして? という疑問が湧いてきた。鵙美の大胆な行動に、少しだけ嫉妬していたのかも知れない……。


「ちくしょー、俺もスマホ持ってくればよかった~」

 翔がスマホをロッカーに入れっぱなしにしてきたことを嘆いている。バカめ!


 前にも言ったが、俺のスマホは完全防水だ。少々水に濡れたって、ビクともしないのさ。

 俺がスマホをロッカーに入れっぱなしにしてきた理由は……壊れるかも知れないと思ったからだ。


 今日ほど自分のバカさ加減に呆れたことはなかった……。

 今日ほど自分の事をバカだと思った日は――なかったあ~。……ガクッ。


 まあ……、九条には上野って彼氏がいる。それなのに、他の男に何枚も水着姿をスマホで撮られていたら、逆に九条が怒られるかも知れない。我慢するしかないんだろうなあ……。


「さあて、それじゃあもうひと泳ぎしようぜ!」

 体も充分温まった。

 やはり海と比べると、プールは少し寒く、水も冷たい。まあ……長くても三時ぐらいまでだろうなあ。五時までいると、風邪を引くかもしれない。


 その時だ――。

 数人の女子に囲まれて歩く上野と橘と……鉢合わせてしまった――。


「――あ……!」

 ――あ!


 九条が驚きを隠しえない声を出し、表情が夕立前の空のように曇ったかとおもうと……、


 突然――、顔を隠して――泣きながら走り去ってしまった。


「佑里香!」

 それを追っていく春佳と翔――。俺は驚き、それと同時に……心臓がドクドクと血流を増やす……。


 ……九条が走り去ったのを、ただじっと見ている上野――。

 沢山の女子に囲まれて……、まるで他人事のように話を続けていやがる上野に――憤りを隠せずにいられなかった――!


「――上野! なんなんだよ、その一緒にいる女子は! お前は九条の事が好きだったんじゃなかったのかよ――!」


 らしからぬ大声を張り上げていた。


 近くの野次馬が一斉にこっちを振り向き……周りに集まってくる。上野の名前を知らない奴は、誰一人いないからだ。

「ちょっとなによコイツ、一年?」

「九条って一年の女子でしょ? 上野君がそんな年下好きなはずないでしょ! バーカ!」

「ひ弱なモヤシみたいな体して~。なにコイツ、笑える~」

 周りの女子が俺をからかうが、俺はバツの悪そうな顔をしている上野から目をそらさない――、


 九条、春佳、そして――俺までもを裏切ったコイツだけは、

 ――絶対に許せなかった――。

「お前ら、プールで肩冷やしちゃダメなんじゃないのかよ! せっかく応援してやったのに! ――野球部のバカ野郎!」


 飛び掛かって、本気で殴りかかった――!


 ――が、逆に俺の拳はサッと避けられ、その腕をとられ……殴り返されてしまった――。


 ゴッ――っと鈍い音が、顎のあたりから頭蓋骨へ抜けるような振動……。


 へへ、痛くもなんともないぜ――。だが、なんでだろう……体に力が……入らない――。


「なんだこいつ? 喧嘩した事ないんじゃないのか……?」

 遠ざかる意識の中で……橘の声が……聞こえた……。


 クソ……。野球部……覚えてろ……。


 俺の方が、絶対にいい大学に入ってやるからな……。ガクッ……。



「私のためにありがとう」

 気が付いた俺に……水着姿の九条佑里香の顔だけが見える。

 九条の背景はずっと澄んだ夏の青空で、九条の体からは日焼け止めクリームのいい香りが漂ってくる。

 そして顔がそっと近づき……優しく……これ以上ない優しさ溢れるキスをされる――。


 唇もとろけるような……メルティーキッスをされる夢を見ていた……。


「ヒロ君……ヒロ君……」


 ……? んん?


「あ、気付いた? 私のために――ありがとう」

 ……?

 私のためってなんだ?

「なんだ、鵙美じゃねーか……」

 ――お前、全然かんけーねーっつ~の!


「プッププ……。こんな絶好のネタ、ゲームにしないわけにはいかないわ! 後半のクライマックスよ~」

 ……ガクッ。なんだか泣いてしまいそうだ……俺。


 九条ではなく鵙美に膝枕なんかをされていたのか……? ひょっとしてそれを……上野や橘やその他大勢のギャラリーみんなに見られていたのだろうか……?

 周りの野次馬はもういなかった。それどころか、九条も春佳も翔も近くに見当たらない。


「それより――九条は?」

「大丈夫よ。翔君と春佳さんがそばにいるから」


 ――なにがどう大丈夫なんだよ……! 

 グーサインをそこで出すな! 片目閉じてウインクするな! 腹立つだろーが~!


 完璧に選択肢を間違えたな……。俺が九条を追いかけて、翔のバカが上野に殴りかかればよかったんだ!

 殴り合いなんて野蛮なこと……小学校の低学年の頃からやった覚えはない……。殴り合いというよりは、引っかき合いだった……。


「駄目よぉ! ヒロ君はまだ寝てなさい!」

 体を起こそうとする俺の肩を抑えて、俺の後頭部を柔らかい太ももの上へと戻す。


 こんな大衆の面前で――!

 俺は鵙美に膝枕なんかされていたのか――?

 もう、恥ずかしくて恥ずかしくて……なんか、おかしくなってしまいそうだ~!


「そ、れ、よ、り、……なんかいやらし~い夢でも見てた? 体が反応してたわよ~」

 慌てて起き上がり――確認するが、大丈夫だ。


 起き上がってない!


「なに言い出すんだよ――! 焦るじゃないか!」

 顔から火~吹出すって言いたい!

「えー? でも、寝てる間にピクピクしてたわよ。プッ!」

「それは、体がだろーが!」

「うん。私、そう言ったよね~?」

 ニヤニヤして言う鵙美。もう~勘弁してくれよ~。


 俺が気付いたのと、ほぼ同時くらいに九条と春佳が戻ってきた。ついでに翔も……。

「ごめんなさい。私のせいで――」

 九条が俺と鵙美の前まで来てそう謝る。頬が少し赤く……目も同じように赤いのが……心に痛かった……。

「いや、俺が勝手に殴られただけだから。イテテ」

「馬っ鹿だなあ、お前らしくもない。早とちりして殴りかかるなんて……そりゃ上野だって怒るぜ」


 ――早とちり? だと?


 俺の早とちり……。

 夏祭り……誘ったのは九条の方だったそうだ。


 九条からの夏祭りのお誘いを断り切れなかった上野が、仕方なく橘を誘って夏祭りに参加してくれたらしい。九条も友達一人を呼ぶって条件で……。それに誘われたのが春香だったらしいのだ。


 つまり……九条と上野は、付き合っていたわけじゃなかったのか……。

 そして、春佳も上野が好きだったって事を、九条も知らなかったわけだ……。

 春佳を見ると、サッと視線を逸らされた。

 あんにゃろう……目を合わせない! 俺と一緒で早とちりしやがって……。


 顎に触ると、ヒリヒリして痛かったのだが……九条から上野を誘ったという真実の方が、今の俺には痛かった……。くそっ……というより、ハア―。現実はそうそう上手くいかないもんだ。


 自分の恋愛も……友達の恋愛も……。


 九条の誘いを断れきれなかった上野……。今日プールに来ている理由も……、数人の女子に練習がないのを口実に誘われ、断りきれずに来ていたのだろう。

 ファンサービス旺盛だな。さすがこの町のスターだ。ハハハ、はあ~。



 帰り道、春香をバス停まで送り、九条と翔とは駅で別れると……なんで俺は再び鵙美と二人きりになるんだよ?


「今日のヒロ君、ちょっとカッコ良かったわよ」

「どこがだよ! 一発でノックアウトだぜ?」

 どこにカッコイイ要素があるっていうんだ? みんなの笑いもんだぜ――。

「でも、女子の気持ちを一番に考えてた……。見ている女子、みんな胸キュンよ!」


 女子の気持ちを一番に……?

 見ている女子、みんなが……胸キュン?


「そうか、そうか、鵙美はああいうのを見ると欲情するんだな!」

「違うってば! 怒るわよ!」

 水着の入った透明なバッグを振り回して、ボスッボスッと叩くのやめてくれよ!


 ――っつーか! 透明なバッグを女子高校生が使うなと言ってやりたい!

 脱いだ後の水着が裏返しになっているのが外から見えてて……さっきから気になって気になって仕方ないだろーがあ――! マジ恥ずかしい! 見せもんじゃねーだろ!


「痛い! 痛いから叩かないでくれよ! ハハハ、ごめんごめん! そういえば、鵙美の水着姿も、まあまあ可愛かったぜ。他の二人が……ハードル高過ぎてあんまり目立たなかったがな」

「ううう……、せっかくこの日の為に、少ないお小遣いを貯めて水着を買ったのに~……」

 そうなのか。悪いこと言ってしまったかな?

 鵙美もケチだから……実は今日のために相当頑張ったのかも知れない。

「またプール行きたいねっ」


 ――ねっ、と振り向いて顔を傾け笑顔を見せる鵙美……。まるで映画かアニメのワンシーンのように可愛く見えた――。


「あ、ああ」

 女子の可愛さってやつは……、顔やスタイルだけなんかじゃ決まらないと……思わず言いそうになってしまった。


 大きく体を伸ばし、ポップコーンのような入道雲を見上げる――。

「さあて、じゃあプールのイベントをサクッと入れたら、ゲーム作りの方もほぼ完成だな。夏休み最後の一週間くらいはのんびりできそうだ」

「――え?」


 笑顔だった鵙美の顔から――表情が消えた――。


「もう完成したようなもんだろ?」

「う、うん」

 結局、作者の意向を尊重し――大まかな分岐は五つのまま。バッドエンドが五つのままだが、一つ一つのエピソードに、それなりにリアリティが生まれたし、一通りは楽しめるようにはなった。クソゲーには変わらないだろうがな……。

 ただ、気になるといえば、やはり三人目のキャラのバッドエンドが一つだけってところだ。鵙美がどーしても他の分岐を作りたくないって言うから仕方ないといえば仕方ないが……。

「一応は目標達成だよな?」


 約一か月を費やして鵙美と作った自作恋愛シミュレーションゲーム。自分たちで作ると、ゲームを作る側の気持ちってやつが分かる。金儲けや仕事の為にゲームを作るのとはまた違い、作る側にはそれぞれの思い入れがあり、完成させるのにも努力が必要だ。

 そんな気持ちを考えもせず、チートしてクリアーし、それを毒舌で批評していた自分が……今は少し恥ずかしい……。


「ううん。まだよ」

 ――まだ?

「え? そうなのかよ。まだなにかイベントでも作るのか?」

 俺の声が聞こえなかったのか……鵙美はタッタッタと走り、


「じゃ、私の家、ここだから。また明日ね!」

 また笑顔で小さく手をフリフリする。

「え? ……ああ。じゃあな」


 去年完成したばかりの町で一番大きくて高くて、お高いマンションだった……。

 マンションには自動ドアが付いているのを……初めて知った……。



 疲労感に耐えて自転車をこぎ、自分の部屋に帰りつくと、ベッドへ寝転んでぼんやり今日の事を考えてた。

 窓の外はまだぼんやりと明るく、夕日の赤と夜の黒を描いていいる。


 ……泣いた九条。

 ……殴られた俺。

 ……二人きりになりたそうにしていた春佳と俺を……「そうはさせるか!」 と妨害してた……鵙美。


 俺に対する好き好きオーラが強すぎて……。参ってしまうぜ。俺にモテる要素なんか、ありもしないのに……。

 って言うか……俺は鵙美に素直になれずにいてしまう。

 明日、ゲームが完成してしまったら、もう……、夏休み中には会わないのかもしれない。そう考えると……ちょっと寂しい。


「もっと手直しする部分があるかもしれない……か」


 誰にというわけでもなく、ベッドから起き上がり、うっふんクス森ピクピクのCDをパソコンに入れ、オープン/クローズボタンを押すと、


 ――ガガガガガ!


 CDをフォルダーが噛み込んでしまった!

「ああ、やべ! なにやってんだよ俺~!」

 慌てて挟まれたCDを取り出そうとするが、閉まろうとするフォルダーが、開こうとしてくれない。タワーモデルの欠点なのかもしれない。


 ――ガギャヤギャギャ――。


 諦めたようにCDフォルダーが開き……そこから抜き出したCDは、銀色の部分が傷とともに剥離(はくり)し、裏に大きな傷が入っていた。タイトルラベルにも筋が入ってしまっている。

これじゃ読み込めない――。

 鵙美のパソコンに元のデータが入っているだろうが……、なんか……漠然とした不安と悲しみを感じた。


 トゥルルル!


 ――電話? ……誰から?

 家族全員がスマホを持っているのに、一階リビングの固定電話が鳴るのは……珍しい。今では親戚や町内会の人くらいしか掛けてこないのだが……。


『はい佐倉でございます。あ、こんばんは。え、ええ……え? 本当ですか? 知りませんでした……』


 母が大きな「よそいき」の高い声で会話をしているのが……耳に入ってきてしまう……。


『でも、あ、全然大丈夫です。わざわざすみません……。あと、カッコ良かったわよ〜。おばさん惚れちゃいそう。あはは、冗談よ〜! まあ、やだわ~、年上の人をからかっちゃいけません! はい、はい、また頑張ってね~! わざわざどうも。はい。はい。はーい!』


 ――誰から……なんの電話だ――! 


 階段を上がって来て、部屋の扉が開くと、顔色を変えた母が――、

「ヒロ、あんた今日、野球部の上野君に殴られたんだって?」

「はあ? ――上野だって?」

 母の顔色は青くなく、まるで湯上りのようなほんのり桜色……。ピンク色をしてやがる!

「いま本人から心配になって直接電話が掛かってきたわよ。もし病院に行ってたら、治療費出しますって……。もう、お母さん、ビックリしちゃって、胸がキュンキュンってしたわあ〜。あんたと違っていい男ね〜。きゃっ!」


 心筋梗塞か……? 更年期障害か……?

 コレステロールを下げろと言いたいぜ……。


「どうせ、進学するのに差し支えないように、いざこざ起こしたくないだけだろ?」

 俺だって、さっさと忘れたいぜ! あんなこと!


 まあ、鵙美の太ももは……ちょっと、嬉しかったがな。


 ちょっとだけだぜ。



挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)





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