S 体調不良
九条は毎日補習に顔を出した後、炎天下で吹奏楽部の練習もこなしていた。
日中の最高気温は俺の体温をも上回っているというのに……。
今日も九条に数学を教えていた。
飲み込みが凄く早いから、一度教えた問題はスラスラ解いていく。俺よりも早いかも知れない。
翔や鵙美もこれくらい飲み込みが良ければいいのに。まだ授業で出た課題が終わらずに、翔の奴は頭をかいていやがる。鵙美は……おおよそ妄想の世界へ羽ばたいていってる。駄目だこりゃ。
しかし、九条には好きな奴がいるんだよな……。野球部の上野と……恐らくは両思いだ。
決して叶わぬ恋……なのかもしれないが、今は俺の隣に座っている。
笑顔で俺の説明を聞いてくれる。
この子のためなら……俺だって本気になれる気がする。
分からないところがあったら、必死で教えてあげたい。自分の成績が抜かれたって……嬉しいのかも知れない……。
守ってあげたいタイプだ。これは春佳や鵙美には、決して思ったりしない。感情だ。すなわち――。
母性本能ってやつか――。
胸がキュンキュンしてしまう――!
……バカか……俺は……。
だが現実は厳しい――。補習を終えた後、野球部の練習に合わせて猛烈に暑いグランドで吹奏楽部も応援歌を練習する。
汗水垂らして練習している九条の姿を見て、なんだか……ガッカリした。その必死の練習が、野球部の上野のためなんだもんなあ……。はあー。
甲子園へ応援バスが出るらしい。泊りがけで吹奏楽部は応援に行く……。こんな田舎の高校から、甲子園へ初出場。町全体が活気づいていた。校舎には大きな垂れ幕が吊り下げられて、夏の風を受けて、カンカラカンカラ、パタパタとやかましい……。なんか、腹立つ。
さっさと負けりゃあいいんだ。野球部なんて――。
……野球部の応援になんか……行かないで欲しい。
でも、そんな気持ち、伝える事なんて出来るわけねえよなあ……。毎日あんなに必死に頑張って練習しているんだもんなあ。……言っとくが、吹奏楽部がだぞ。
ぼーっと教室の窓から野球部と吹奏楽部を眺めていた。
「ちょっとヒロ君! わたしにも勉強教えてよ!」
補習が終わると、いつものように教室は俺と鵙美の二人だけとなる。
もうこれが……夏休みの日課になってしまっている~! まるで恋愛シミュレーションゲーム制作部の部活動だぜ。
「お? もしかして嫉妬か?」
「ち、違うわよ! ヒロ君て本当に女子の気持ちが分からないのね!」
そういって頬を膨らますのは……ゲームの中でも何度かあったシーンだ。ツンデレだ。
鵙美の恋愛力……しっかり上達してて笑えるぞ!
「女子の気持ちなんて分からねーよ。それに鵙美だって男子の気持ちなんて分かんねえだろ?」
「分かるわよ! だって今、ヒロ君、私のツンデレに胸がキュンっとしてたでしょ?」
……。一瞬にして俺は真顔になった……。
「いや、いま……俺はぜんぜん、鵙美に欲情なんてしてないぞ……」
「欲情ってなによー! ちょっと、うわ、いやだわ~。 胸キュンって……もしかして欲情と勘違いしてるの?」
「――はあ? 胸キュンって……あれだろ? 例えばスカートが風でめくれ上がったりしたのを偶然見かけた時とかの、ドキドキ感だろ? キュンってするぜ?」
――要するに、エロい時だろ?
「違うもん! そんなんじゃないもん!」
「だったら、……どんなんだ?」
得体の知れない感情なら……教えて欲しいぜ。
「……」
ほら、やっぱりここじゃ口に出せないような……エロい感情なんじゃないか。
「はいはい。エロい話なんてこんなところで出来ないよな。まあ安心しろ鵙美。こんな真夏の蒸し暑い教室に二人っきりでも、俺は全然、鵙美に胸キュンしてないから」
麻雀で言う安牌だと思ってくれ。安心してくれ。
「バカ……」
そっとそう呟く……。
「あ、今のその「バカ」って言い方、ちょっと可愛かったぞ! ハハハ」
次の日も昨日と同じように九条に勉強を教えていたのだが……ちょっと今日は顔色が悪そうだ。
野球部のせいだ! ムカつく! 単純に俺は苛立ちを感じていた。
しかし、俺の肩に、頭を押し当てて倒れ込んできたときは、――焦った。
「――お、おい、大丈夫か? 九条!」
「ハア、ハア……うん。ちょっと目眩が……」
保健室へ誰か……って、男子は俺以外、ひ弱な奴しかいねー! 無駄に肉体を鍛えていやがる翔も――こんな日に限って、サボリかよ……。
「佐倉君……、保健室へ連れてってあげて」
他の女子の声に、今は従うしかなかった。
「あ、ああ」
断れるはずがない。しゃがんで背中に九条をおんぶすると、弱々しく体を預けてきた。
……可哀想に、本当にしんどそうだ……。
四階から一階まで階段を降りる。
――あんな暑いグランドで、毎日毎日練習なんかさせるからだ。
――俺が九条の保護者なら抗議の電話をかけまくってやりたい!
九条の為に、苦情の電話を掛けてやる――!
「ただの貧血……生理よ、生理!」
――!
……いつから横を歩いていたんだ鵙美……。小さくて気が付かなかった――!
「いつも九条さんはキツそうだからね〜。あ、でも安心して! 私はめちゃくちゃ軽いわよ! あって、ないがごとしよ!」
……誰か、こいつの口に何か詰め物をしてくれと言いたい。
――九条に丸聞こえじゃねーかバカ野郎~! 小さな声で、……鵙美の耳元で言ってやった。
「男子の前で、……生理なんて言うなよ……」
ペラペラ喋りやがって……九条の気持ちを考えろよ。このペラ子! いや、ペラ美!
「え? なんで? ハッキリ言った方が男子は優しくしてくれるでしょ?」
そんな奴……いねえよ。……それどころか……、
「からかったり、バカにしたりするかもしれないだろ……」
……胸が痛かった。
小学生の時に春佳を泣かしてしまった時の光景がフラッシュバックのように、鮮明に甦る――。
でも鵙美は……全然気にしない。
「そんなのは小学生までよ~。じゃあさあ、もし私も生理よって言ったらどうする? ヒロ君は優しくしてくれるでしょ?」
ちょっと上目遣いで顔を覗き込んでくる。
「え?」
返答に困ってしまうじゃないか! だが……、
「まあ、そうだな……。鵙美でも……鵙美にでも、普段よりかは気を遣うかな……」
優しくしてあげなくてはいけないんだと思う……。それが鵙美でも……他の女子でも……。
そういえば俺は……普段から鵙美に優しくないよなあ。なんか、自己嫌悪だ……。
保健の先生に言われ、九条をベッドへと降ろすと、さっさと出て行けジェスチャーをされた。
鵙美と二人で教室へと戻る途中の階段で、
「あ、保健室でイチャイチャするイベントもいいかも! ベッドもあるし!」
……。
はあ、やっぱり鵙美の頭の中は……分からない~。
「駄目だろバカ! エロゲーになっちまうだろーが!」
「え? ならないわよ。ヒロ君はいったいなにを想像してたの~?」
ニヤニヤしながらまた上目遣いで見上げる鵙美……。
……本気で、なにか口に突っ込んでやりたい! いや、俺のじゃないぞ~!
補習も終わり、いつものように教室でゲームのイベントや台詞を考えていると、九条が戻ってきた。少し顔色も良くなっているのを見ると、この暑いのに……ホットする。
「ありがとう佐倉君、木南さん」
「いいっていいって!」
俺にしてみれば、お安い御用さ。なんせ……、
「お尻触れたもんね〜。ラッキーって?」
……なんで、……そんなことを鵙美は~、……ここでサラっと口に出して言えちゃうのかなあ……。
ほら、見ろ! 九条も赤くなったじゃないかっ、俺以上に~!
「――じゃあね、ありがとう。さよなら」
「バイバーイ」
「……」
「お前なあ~、あんな事言われたら、九条だって恥ずかしいじゃないか」
俺だって、見てみろよ! もうモロッコ産の茹でダコのように顔が真っ赤だろーが!
「で、どうだった? 柔らかかった?」
両手で何かを抱えるゼスチャーをする……。
「――バカ!」
……柔らかかったに、……決まっているじゃないか。




