P 人には言えないバイト
ヒロは夏季補習の始まる前、翔から妙なうわさ話を聞いてしまい……。
学校に一番近いそのコンビニ……、まさにゲームに出てくるのと同じ風景だった。
そういえば、他の背景も同じところがあるのかも知れない。
鵙身と別れた後、そんな見たことがあるような風景を探して自転車をこいだ。駅やバス停、通学路。全く同じような風景が見える角度があった。
まるで、ロケ地を見つけたみたいで独特の面白みが味わえる。これが俗にいう「聖地」ってやつか……。やばい、自分で言っていて笑ってしまう。
なんか、俺、うっふんクス森ピクピクに……ハマってしまっている……。
「そういやあ、最近、ヒロって木南と仲いいじゃん」
……なにが言いたいんだこいつは。
夏期補習が始まる前の教室に、まだ鵙美は来ていない。俺の机の前の椅子に逆さに座り、翔が顔を近づけてくる。
無視を決め込んでいたのだが、
「いや、ヒロが俺の親友だから言っておこうと思うんだが、……ちょっと小耳にはさんだんだがな」
「なんだよ。この暑苦しいのにその汗べとの腕をひっつけるな。近すぎるんだよ! 顔も!」
「木南って……中学の時、なんか……人に言えないバイトしてたって噂だぜ」
……?
「なんなんだよ、……その人に言えないバイトって――。スパイか? スナイパーか? 違うよな……」
「俺はそこまで知らねえけど。あいつって、高校入学の時に転校してきたんだろ? 東京かどっか都会に住んでたらしいぜ。昔の友達とかとも全然連絡とってないみたいだし。いつも一人ぼっちだし……」
妄想するじゃないか……人に言えない……バイトだって?
「今の話は絶っ対っに内緒だぞ! 俺が言ってたなんて絶っ対っに言わないでくれよ。クラスの女子に嫌われるの……怖いし」
「ん? ああ……?」
女子に嫌われるのは……俺だって怖い!
「だが、知られるとマズイバイトってなんだ?」
「都会は分からねーからなあ。狭い部屋に何人も女子が閉じ込められてるらしいぜ」
「……? それって、まさか、……リアル同級生ショッピング?」
エロゲーなんて、現実離れしているものと思っていたのに――! ……ん?
それか……翔の奴、エロゲーやり過ぎて……現実と妄想がごちゃ混ぜにでもなっているのだろうか……?
「とにかく……内緒だぞ、内緒!」
唇の上に人差し指を付ける翔の姿……。キモイ。
「……内緒と言われると……聞きたくなるよな?」
「おいコラ! 俺はヒロの事を思って言ったんだからな――!」
鵙美って……たしかに、何かを隠している。だから……越えられない垣根のようなものを感じてしまうんだ。
……目的って、俺の気を引いて付き合いたいんじゃ……ないのか?
「この辺に、森ってない?」
そんな鵙美がいつものように、突拍子もない会話をしてきやがる――。
鵙美の頭の中は、恐らくうっふんクス森ピクピクの事しか入ってねーんだろうなあ……。教室から全員が帰ったあと、こっそりとうっふんクス森ピクピク開発プロジェクトが進められる。
クス森……森? 森か……。
「お前、どうせ今頃になって、ゲームのタイトルに「森」を入れた事、後悔しているだろ?」
脈略なしにタイトル付けたっていうのがバレバレだぜ。
「ギク!」
「……声にだしてギクッとか、ドキッとか言うなよ。バレバレだっつーの」
この暑いのに、あんまり頭を使わせるなって怒りたくなっちまう。
「だいたい、なんで「森」なんてタイトルに入れたんだよ!」
「なんか、こう、ふわーと降りてきたのよね。うっふんクス森ピクピクって!」
――答えになっとらん。
そもそも森ってなんだ、森って! 海や山ならともかく……森の定義ってやつが気になる。
「森なんて、大したイベントになんねーぞ?」
森……。草むら……。バッタ……? 蚊……! 痒そうなイベントにしかならない。
森林浴……? それって楽しいのか? 高校生が森林浴……。リアリティーないし、ドキドキ感もない。
二人で誰もいない森に入っていくのなら、多少のドキドキ感を期待できるかも知れないが……。それって……なんか違うゲームなっちまうんじゃねーか?
「誰もいない密林とか、ジャングルでアナコンダと遭遇とか? 壮大なスケールのゲームには、必ずそういった森が出てくるじゃない」
「だーかーら! そりゃあ、ロープレとかアクションとかの話だろ?」
大きな卵を森から拾ってきたり、走ってて割ったり。
箱の前でボタン間違えて割ったり……。ガギャンッ! 卵がっ! クソ~だ!
「恋愛シミュレーションゲームゲームに森はいらねーよ。そもそも、リアリティーがなくなるだろ」
「チッチッチ、リアリティーがあるかないかなんて、実際に行ってみないと分からないでしょ? だから、学校の近くに森がないかって聞いてるのよ」
「……」
チッチッチって言うの……やめてくれ。腹立つ……。
ここで変な事を言ったら……明日にでも行こうと……連れて行かれるのかもしれない。言わば強制連行ってやつだ。
だったら……近場で……散歩程度に行けるところにしておかないと……このクソ暑い中、山登りなんて死んでもゴメンだ。いや、死ぬぐらいだったら、そりゃ登るんだろうが……ゴメンだ。
鵙美は鼻と上唇の間に、シャーペン挟んでタコのような顔をしているのが、妙におかしい。こいつ、なにも考えてねー。
っつーか、そのシャーペン俺のじゃねえか!
「おお、そうか、近くにいいところがあるぞ!」
ワザと声を張り上げる。いいアイデアが浮かんだ――ように。
「城跡公園だ。ほら、こっからでも見える、あの海沿いにある小さな山。あそこにはちゃんと歩道があって、上の方には大昔、小さな城があったそうだ。今は城跡公園になってるのさ。そこへ行く途中の林道は……林道といいながら、立派に森をしている! いわば森道だ」
「城跡公園? また、なにか騙そうとしているの?」
「……人聞きの悪いこと言うなよ」
冷たい汗が額から流れる。森だよ森! カテゴリー森!
「小学生でも登れる。遠足で何度か登った。でも、ちゃんと森を満喫できるぜ」
「満喫できるの?」
鵙美の表情がパッと明るくなった。ヨシ! 食い付いてきたぞ!
「ああ、満喫できる。絶対できる!」
「じゃあ今から行こう!」
「じゃあ今から……今から……今からか?」
昼飯……持って来てねーぞ。大した道のりじゃねーけど……制服で……革靴で行くのか? このクソ暑い中、帽子もかぶらずに炎天下を歩くつもりか?
「いや、……それはまたいつか日を改めた方がいいんじゃないか? タオルもねーし、飲み物もない」
「駄目。だって、どんどんゲーム修正していかないと、間に合わないかも知れないじゃない。そーれーに! ヒロ君、今日じゃなかったら、「みんなで一緒に~」とか、「天気がいい日に~」とか言って、ズルズル卑怯者のように逃げようとするじゃない!」
……卑怯者だと? この俺が?
ご名答だ――! 今も逃げ出したい気分だぜ……。
鵙美は鞄を持って立ち上がった。
「だから、そこへ行ってからそのまま帰ればいいじゃない」
「……。仕方ねえなあ……分かったよ」
そこからさらに十キロの道のりを自転車で帰る俺の気持ち……鵙美には分かんねーんだろうなあ……。
制服の太ももの部分が汗でくっつくと、自転車こぐのも大変なの……分かんねーだろーなあ。
自分で蒔いた種か……やれやれだぜ。
仕方なく鞄を持って、俺も教室を出た。
城跡公園登り口と書かれた立札の横に自転車を止めると、チェーンをしっかり立札に巻き付け鍵を掛けた。
「そこまでしなくても、誰もいないわよ。この辺……」
「駄目駄目。俺にとってこの自転車は、命以上に大切だ!」
高校に入学した時、バスには乗らないからと必死で親に頼んで買ってもらったお高いロードバイクだ。万が一盗まれてみろ……。俺は十キロ歩いて帰らなくてはならないんだぞ? バス代なんて持ってねー。
傾斜の緩やかな分、山道は長い。
コンクリートで所々崩れた箇所が補強されているが、殆どの部分が赤茶色の土で、俺の革靴に埃のような土汚れが付く。こんな事なら、外履きの体育シューズに履き替えてこれば良かったぜ。
少し前をせっせと歩く鵙美の黒い革靴も、同じように汚れている。
鵙美の靴……俺のと違って、綺麗な黒光りをしている……。それに、この暑いのに、膝下までしっかり靴下を上げている。校則で推奨されている白のハイソックスだ。
ひょっとして、お嬢さんなのか?
そして決して短くないスカートのお尻の所を、押さえて坂道を上がっていくのだが……。
山道には俺しかいない。つまり、俺にスカートの中を見られたくないのは分かるのだが……。
だったら俺の後ろを歩けばいいだろ――。
何故ゆえに俺の前を歩こうとするのか――?
スカートが気になるのは都会育ちだからかは知らないが、俺はそんなに鵙美に女子を意識してないぜって……言ってやりたいぜ。
「ヒャッ!」
小さな叫び声を上げ、急に鵙美が俺の所へ駆け寄ってきた……そして、俺の腕にすがりつく。
「どうしたんだよ?」
俺の腕、汗でベタベタだから触らないで欲しい。そっと振りほどく。
「大きな蜂がいるわ! 大きな!」
「え? ああ、本当だな。スズメバチだな」
木の根が山道に出ているところに、5センチ以上あるオレンジと黒色をした大スズメバチが、大きな羽音を立て、止まったり飛んだりを繰り返していた。
「なに余裕ぶっこいてるのよ! 刺されたら死ぬんでしょ? 帰ろうよ!」
「はあ? なにいってんだ、頂上はもう目と鼻の先なんだぜ?」
ここまできて帰るのは……なんか……勿体ないし、また来ないといけないのはまっぴらゴメンだ。
「こっちから攻撃しなけりゃ蜂は襲ってこないから、そっと歩いてりゃ大丈夫さ」
仕方なく、腕にしがみ付く鵙美をそのままに、ゆっくり蜂の横を歩いて抜けた。
スズメバチの羽音が聞こえなくなり、数メートル離れたのを振り返って確認する。もう安全だ。
「あー、怖かったね」
「怖がりだなあ……蜂なんかで」
なんだかんだ言っても、やっぱり女子なんだと再認識させられる。さっきから……掴んだ腕を、放そうとしないのだが……。
まあいいか。
よほど怖かったんだろう――スズメバチ。
その後も、枯れ葉の下に急いで隠れるトカゲにヒヤリとしたり、なにかが動いただけでハッとしたり、いちいち俺の汗だくの腕にくっついてくる~!
都会の子は、みんなこんなに怖がりで、アピールが激しいのだろうか? 春佳なんて、トカゲ捕まえて尻尾切って遊んでいたぜ? 子供の頃だけどな……。
しかし、蜘蛛の巣が顔に急に張り付いた時は……、俺も焦ってしまい、女子みたいな悲鳴を上げ笑われた。……ムカつく。
「うわー凄くいい眺め」
やっと小さな山の頂にある公園に辿り着いた――。公園と言っても、ベンチと階段の付いた小さな展望台があるだけの広場。決して楽しめる遊具などは一つもない。
それでも小学校の時は、先を競って走って登った。一生懸命だったから、登るのもすぐだったと感じていたのだが、汗水たらして登ると……その時間はもの凄く長く感じた。実際に小一時間ぐらい掛かっていた。
帰りは下りだから楽なんだろうが、明日は筋肉痛になるだろう。
――潮風を受けて……彼女の決して長くない髪が揺れる。
今まで気づいていなかった彼女の素顔を見て俺は、なんとも言えない気持ちを胸に抱いた――。
大きな瞳に映る青い海と紺碧の空はどこまでも澄み渡り。本当に綺麗なものっていうのが、この世でなにを指し示しているのかを俺に教えてくれていた。二人でこの場所に来て――正解だったなあ……。
「ってのを書き足したらどうだ?」
実際には二人とも汗でシャツはドボドボ。タオルなんて持ってもいないからハンカチは色が変わっている。夏の山を見くびり過ぎだ――!
鵙美は……肩をヒクヒクさせている。ワナワナなのかもしれない。
「せっかくのいい雰囲気が台無しよ――! でも! それ、いただき~!」
さっと胸ポケットから手帳を出し、汚い字でメモを取る。小さなメモ帳は端の方が……汗を吸ってブヨブヨに紙が変色している。
それでも気にせずに書く鵙美の字は、スピード重視だ。自分で書いた字が本当に後で読めるのだろうか気になるくらい汚い。
小学校の時、春佳だってもっと綺麗な字を書いていたぞ……。いや、俺だってもっとマシな字を書いてるぜ……。女子って字が綺麗なものだと……思い込んでいた。
「展望台の方がいい眺めだぜ」
なんせ、低い木が見えなくなり、本当に海と空に近づいた気になれるんだ。俺が小学校の時は、そう感じた。清々しい思い出って、いつまでたっても覚えているものだ。
鵙美が先に展望台へと上がる階段を足早に、タンタンタンっと音を立てて上がるのを見ていて……。さっと視線を逸らした。
――これじゃ俺がまるで、鵙美の下着を見たいがために、卑劣な手段を使ったみたいじゃないか~!
っつーか、ここで押さえろよ、スカートを!
「うわあ、ほんとだ! もう、あの入道雲がギュッと掴み取れそう! 凄くいい眺め!」
「ハハハ、そうだろ」
いい眺めだろ……。
俺はムッツリスケベなんだ! 「パンツ見えてるぞ!」とか、「ラッキー」とか、そんな気の利いた事が言えるわけがない。気付かれないように、チラッ……休み……チラッ……休み……を繰り返すくらいなのさ。我ながら……情けない。……ガク……。
「はい、お水! 沢山あるから飲んで?」
「え! 水あるの?」
鵙美が鞄から、普段夏期補習に持って来ている小さな水筒を手渡してくれた。
どこまでも遠くまで海が見える小高い絶景の公園が、暑さのおかげで俺達二人だけの貸し切り状態だ。
鵙美の水筒の中には、たっぷり水が入っていた――。
「サンキュー」
飲むと――。
温い……。
「……これ、学校の水道の水を入れてきただろ?」
「うん!」
水分を欲していた体が、温い水道水を喜んでいるのだけは……分かる。体中からまた汗が噴き出したからだ。飲んだ量より、汗として出た方が多いのではないだろうか……。
鵙美も俺から水筒を受け取ると、口に当てて……喉を鳴らしてゴクゴクと飲む。
その顎から首にかけて汗で湿っていたのを見ると、思わず鵙美から……女性の色気を感じてしまう。
いや、待て俺! 暑さでどうかしてしまったのか? 落ち着け……鵙美だ。
鵙美とゲームのアイデアを探しに来ているだけなのに……なんでこんなに……また汗が噴き出るんだ。
「間接キッスね」
「頼むから……そんなことをわざわざ口に出して言わないでくれと、言いたいぞ!」
風が吹き抜けると、少し汗も引いてきた。ずっと坂道を上がっているときは暑かったが、ゆっくりベンチに座っていると、意外と涼しくて気持ちがいい。
「そういえば鵙美……お前って、中学の時、なんか人には言えない怪しいバイトでもしてたのか?」
大きく目を見張る鵙美――。
「――! 急になによ」
やべ、突然過ぎたかな? 越えちゃいけない垣根を越えてしまった感がある……。
それに――ごめん翔。俺、「絶対に言うなよ」的なフリに滅法弱いんだ。
なんかさあ……、胸につっかえたまま会話してると、苦しいだろ? 苦しいよな?
決して俺は、口が軽いって訳じゃねーんだ。でもゴメン! 軽いのかも……だ。
「なんか、女子の間で噂になってるんだって」
今の俺、世間話を楽しむ女子みたいだ……。
「……ああ、ほら、あれよ! ハンバーガーショップでバイトしてたのよ。中学生なの内緒にして、叔父さんの店を手伝ってただけなの。でも、それがバレちゃって……ド叱りされちゃったんだから~」
「なーんだ」
そんなことかよ。笑っている鵙美を見てホッと息を吐きだした。
そして一つの事実に気が付いたんだ。女子の噂って……こえー。
城跡公園から降りるとき、二人の会話は登ってくる時の半分以下になっていた。二人とも、疲れていただけなのかもしれない……。
そして、帰りの自転車で俺は気付いたんだ。
ハンバーガーショップのバイトの話は……嘘なのかも知れないと。
鵙美はバレる嘘をつくのが、上手だから――。