N 夏祭り
ヒロは夏季補習の朝、幼馴染の渡利春佳に「夏祭り」に一緒に行こうと誘われるのだが……。
今日も夏期補習に行くと、バスを降りた春佳に声を掛けられた。
「あ! ヒロ!」
珍しいこともあるものだ。まさか夏休み中に二回も春佳の方から声を掛けてくるなんて。
「なんだ? 後ろに乗せて欲しいってお願いならお断りだぜ」
もう学校まで目と鼻の先だ。ただでさえ俺のシャツは汗が滲んでいる。
「乗って欲しいっていうのなら乗ってあげるわよ?」
そういって後ろの変速機やチェーンに靴で乗るのは……ごめん、正直やめてくれ。大きなツインテールを揺らして、俺の肩に両手が乗せられると、焦ってしまう。
周りに見ている奴らがいるのに……春佳は気にならねーのかよ!
「壊れるだろう~が! 降りろ!」
「フフッ、相変わらずケチね~」
「ケチの方が金持ちになれるんだよ! それより、……なんか用でもあるのか?」
この前の誘いを断った仕返しでもされるのだろうか……。
「今日ってさ、町内会の夏祭りでしょ……一緒に行かない? 昔みたいに……」
棚から牡丹餅が落ちてきたような気分だぜ……、必ず受け止めなくてはいけない……。
「は、はあ~? 夏祭り~? 誰か他に一緒に行くやつ……いねーのかよ?」
あえて即答はしない。
一気に汗が拭きだす……。ワザと視線を外して……チラッと春佳の透き通った目を見る。
「うん……。実は……」
ゴクッと温いツバを飲み込んだ。俺がだぞ……。
「友達と現地で待ち合わせしてるんだけど……。会場に行くまで暗いし、一人だし……親がうるさいのよね……「一人じゃ駄目」って。お父さんなんか、「俺と一緒ならいい」なんて……性懲りもなくまだ言ってくるのよ~。小学生じゃあるまいし!」
眉間にシワを寄せてやれやれ顔を見せる。
「でも、ヒロだったら安心かなあ~って!」
ただのボディーガードデスカー?
ヒロだったら安心……なんて言われたら、……なんもするなって言われているようなもんだよな……。
……幼馴染って、所詮こんな扱いだよな……。
ガックリ肩を落としてしまう……。
せめて……恋愛シミュレーションゲームゲームのような幼馴染と夏祭り~ってのを体験してみたいもだぜ! 佐倉枇榔の心の叫びだ――。
「……だめ?」
そういって少し悲しそうな顔を傾ける。前にも見せた……なんか言いたげな表情だ……。
以前の俺だったら……たぶん断っていた。誰が好き好んで送り迎えだけを引き受けるものか! と。だが、ここんところ……女子の気持ちとかが、なんか些細な表情の違いで……妙に分かってしまう……。
春佳は、ひょっとして、俺と行きたいんじゃないだろうか……。
断ったら……また、「そっか……」とか言って、悲しむのではないだろうか……。
「……仕方ないなあ。いいぜ、どうせ暇だし。祭りの夜に女子一人ってのは、確かに危ないからな。行って帰る時間だけ教えてくれよ」
「ありがとう! じゃあ、六時に私の家の前ね! 帰りは九時にお宮さんの階段の一番下のところ」
「ああ。六時と九時だな」
お宮さんの下ってだけで、場所が目に浮かぶ。
小学校の頃によく立小便をかけた灯篭のところだ。昔から春佳と何度も遊びに行っていた……。小学校五年の時までは、祭りも家族で一緒に行っていたっけ……。
「ありがとう、じゃあね!」
「……あ、ああ」
春佳の笑顔……眩しいな。
笑顔で学校へ入っていく春佳を見送り、俺は自転車小屋の方へ向かった。
昼前には夏期補習は終わる。
夕方まではまだまだ時間があるので、相も変わらず俺と鵙美はゲーム作成の会議を開く。
祭りの事は、鵙美にはバレないように……って、別に構わないか。
――たかが幼馴染と夏祭りに行くことくらい――。
「ねえねえ、このゲームってさあ、教室と通学路くらいしか背景がないからさあ、もっと他の場所……作らない? 盛り上がるイベント」
「はあ? まあ、そうだなあ」
大抵のゲームはスケールがデカいほど移動する場所も当然デカくなる。学校と通学路だけでは、ゲームをやっている方だってうんざりすること疑いなしだ。
……クソゲーの第一条件なのかもしれない。……背景の少ないシミュレーションゲーム。
「うーん、リアリティー溢れるイベントっていったら……やっぱ夏祭りよね」
俺の心臓が、キュンっとするう~――!
「ねえ、この辺のどこかでないの? 夏祭り」
「絶対ない! ……じゃなくて……さあ~」
落ち着け。
落ち着け……。ふ~っとロングブレスで息を吐く。
鵙美はうちの町内会の祭りの日なんて知らないはずだ。町内のローカルな宮さんで行われる、なんの目玉イベントもない夏祭り……知るはずがない!
「絶対ない? 本当に~? なんか怪しいなあ」
女の子って……なんで嫌な時だけ勘が鋭くなるのだろう……。冷や汗がタラリと額から首筋を伝い、シャツの中を抜けて垂れ流れる。
「ちょっと、スマホで調べてよ!」
どこのサイトにも記載はされていない筈だ。だがしかし! 個人のサイトにワザワザ書き込んでいるような暇人が……いないとも限らない――!
「ああ? おっと、俺のスマホ、ローバッテラーだ! ハハハ、鯖寿司だな。バッテラ。なんちゃって」
「……」
じと~と鵙美が俺の目を見続けている。眼鏡が真っ白に光って見える。
「なんか隠しているでしょ」
「隠してるもんかよ~。かれこれ十五年も住んでんだぜ? 俺の町内の夏祭りなんて……聞いたこともないさ~」
「嘘って顔に書いてあるわよ」
……なんで分かるんだよっ?
思わず鼻を触ってしまう。ヤバイ、これって、嘘ついてますって仕草らしいぜ、知ってたか? ハハハ……。
「あ~あ、私も夏祭りに行きたかったなあ~チラ」
「ハハハ」
「……まだ間に合うわよ」
……勘弁して下さい……。
鵙美が来たら……なんかややこしくなりそうで怖い。
愛想笑いだけでなんとか鵙美を……まいた。諦めさせるのに成功した。
教室を出ても……振り返れば奴がいる……みたいで怖かった……。
そういえば……春佳は友達と待ち合わせって言ってたが、それって……男友達だろうか?
――春佳の友達は、俺にとって、意外な友達だった――。
六時丁度に春佳の家の前に俺は自転車で待っていた。俺を待たせるとは……いい度胸だぜ。
「ごめん、待った?」
「ああ。二分二十八秒も待った」
そして、待たせたくせに……ジーンズに白いTシャツ姿っていうのが、俺をホボホボガッカリさせてくれる……。
「浴衣じゃないのか?」
「うん。だって動きにくいでしょ? それに、下駄ってさあ、ずっと歩いていると痛いし」
なんか、ガッカリしたが、ボーイッシュな春佳の服装は見ていて安心する。
――って、なんで俺が安心なんかせねばならんのかっ!
「ああ~! もしかして、ヒロったら浴衣姿を期待してた? 昔みたいに?」
「ちがうよ!」
「着替えてきてあげようか~?」
「いらねーったら! それに、待ち合わせに間に合わなくなるだろ」
クスクスと笑うと、俺は自転車を極めてゆっくりトロトロこいで、春佳はその横を歩いた。
――普通は……降りて歩いたほうが楽なんだが……俺のプライドがそれをさせてくれないのだ。
会話なんて……殆どない。
だが、別に特別に何かを話さないといけない訳でもないし、静かにお宮さんまでの田舎道を歩くことに焦りなんかもない。
別にデートしに行くわけでもないんだからな。俺達は……。
お宮さんの周りは、大勢の人で賑わい、薄明るい提灯がたくさん点灯していた。
普段は誰も訪れることのない小高いお宮さんまでの道には屋台が並び、境内や階段には人が列を作っている。
今日だけはまるで……、ディズニーランドかユニバーサルスタジオの人気アトラクションのようだ。行ったことねーけど。
「あ、友達いたわ。ありがとうヒロ。じゃあ、またあとで」
「お、おお」
春佳は小さく手を振って走っていったその先にいた奴は――!
俺のクラスのアイドル――九条佑里香だった!
春佳の友達って――九条かよ!
だったら俺も夏祭りを満喫したいぜ――と思った途端!
九条の横から長身で体格もよく、小麦色の顔をした凛々しい男子二人が姿を現せやがったんだ……。
野球部三年の男子……。上野と橘だ!
――ちょっと待てよ。今年、野球部は確か……甲子園初出場を決めて、毎日死にもの狂いの練習をしているハズ! 毎日グランドでは金属バットの耳障りな音を響かせていやがる。――夏祭りや恋路にうつつを抜かしている場合じゃないだろうに――!
自転車を押す俺の足が急に止まり、トボトボと歩いた。
上野は四番で橘はエース。この二人のお陰で甲子園に行けたと……野球に興味がない俺ですら知っている。
先に帰るか……。もし迎えが必要なら、九時にまたくればいい……とも思ったが……。
せっかく来たんだ。……まあ、神社にお参りして帰ろう。
恋愛成就のお参りをして……帰ろう……。くそっ!
射的屋や当て物屋を眺めながら、一人歩いた。金魚すくいや、ヒヨコ釣りまでやっている。
小学生の頃はどれも夢中になってやっていたなあ……。鉄砲が当たるくじ引き。飼えないのに必死にすくった金魚……一日で半分は死んだ。二日で全滅した。
腹が減ったが……財布は軽い。もし、春佳と九条と祭りを楽しむ事が出来たのなら……お年玉全額持ってきても……惜しくなかっただろう。
金持ちは決してケチなだけじゃないんだ。使う所をしっかりわきまえて、使い分けが出来るんだ!
しかし……不思議と落ち込んでいるわけでもなかった。
この夏祭りの独特な雰囲気、……ゲームに使えそうだ。
三人のキャラクターのうち、誰と夏祭りに行くのかを分岐にして……行く相手によって、少しずつグッドエンドにつながるように修正する……。それでバッタリ他の二人に見つかったら、その二人とはバッドエンドにしかならない。うまく見つからなければ、三人のグッドエンド……禁断の三又達成ってどうだろうか?
――いけるぞ。鵙美に明日、教えてやろう。
……気付いたら「うっふんクス森ピクピク」のことばかり考えていた。
歩いているのはカップルばかりで嫌になってしまう。中学生もいる。中学生のくせに~!
はあー、こんな事なら俺も、鵙美とこればよかったのか? ……んん?
俺は……もしかして、分岐を間違えたのか?
もし、鵙美と来ていたら、ゲームのネタや色々バカな話ができただろうし、男一人で境内を歩くような「痛い」事もなかったのかも知れない。
いやいやそれどころが、……鵙美も浴衣を着て、暗くなって顔が見えなくなってきたら、……そこそこ可愛いかもしれない。
――それで……、
暗くなったのをいい事に、鵙美が……、
「ねー、キスしてみよっか」
とか……言って来たらどうだろう。あーヤバイ! それはなんかヤバ過ぎて逆にニヤニヤしてしまう~。
次にそんなことがあったら、どうやってキスを断るか、今から考えておかないといけないよなあ~!
「あ、ヒロ! なに危ない顔してるのよ!」
――! うおっ――鵙美か! いや、違う違う。
いきなり春佳達に見つかり、声をかけられたのだ。
妄想している時に、急に声を掛けてくるのは勘弁して欲しい――!
「ビックリした? ごめんごめ~ん。ヒロ、帰りはみんなで帰ることにしたの。方向は逆なんだけど、送ってくれるんだって」
そう言ってチラッと春佳が向こうを見ると、野球部のイケメン二人が九条と楽しそうに話をしていた。
「……あー? ……そうか、良かったな。まあ気を付けろよ。……じゃあ俺は先に帰るわ」
春佳と話していたら、九条がこちらに歩いてきた。
「こんばんは佐倉君」
「……あ、ああ」
九条の浴衣姿……今日見た全員の浴衣女子の中で、飛びぬけて可愛い――。
「ねえ春佳って佐倉君と友達? それとも……?」
「ちょっと、佑里香! ただの幼馴染みよ! 幼馴染!」
強く念を押さなくても、いいのではないだろうか……?
ハハハ、はあ~。もう笑うしかねえよな、こんな時って。
「ふ~ん」
ニコニコする九条の背中を押しながら春佳は行ってしまった。
野球部の二人が少し後ろから見ている。決して悪意はないのだが……直視できなかった。くそっ。地中海に突き落として――、
耳に水が入ってしまえばいい~!
階段の一番上にある神社の賽銭箱に五円玉を投げこんだ。
ああ~、俺も恋愛成就しますように~!
お金持ちになって、アイドルと結婚できますように~! ナンマンダ~ナンマンダ~!
なんか、小学生のままだな。俺の思考回路は……。
ドーン!
大きな音がして……花火が始まったのかと思ったら、遠くで鳴る雷の音だった――。そもそも、町内会費ぐらいでは、大きな花火なんて一発も上げられないだろう。
今日は夕方になって急にムッと気温が上がり、夜まで雨が降らなかったらから……、これから急な雨が降るのかもしれないなあ……。
自転車だから、用も済んだし早目に帰るとするか――。
「ただ今。あー腹減った」
「お帰りなさい。早かったのね? フラれた?」
「誰に誰がだよ!」
「ヒロが雨によ。いやあねえ~。あんたに彼女なんているはずないでしょ……母さんと父さんの子なんだから」
スマホをいじりながらご飯を食べている母……なんか腹立つ。
「でも、春佳ちゃんと一緒に行ったんでしょ? もうじき下痢豪がくるわよ。下痢便のような大雨」
下痢便のような大雨だから下痢豪? じゃないだろ! ゲリラのようにくる豪雨だから「ゲリ豪」だろ!
しかも……母さん……カレー食べながら下痢便なんて言葉、使うなよ!
「しかし……マジかよ」
……まあ、いいさ。
春佳や九条が濡れても俺には関係ない……。
「傘くらい持って行ってあげたら?」
「はあ? なんで俺が?」
なんで俺が祭りを男子と楽しんでいる春佳の為に……傘を持って行ってやんなきゃいけないんだよ!
「いいじゃないの行ってらっしゃいよ。それで、帰りにおばさんから野菜受け取ってきてよ」
渡利春佳のお母さん……毎年、夏になると野菜を大量にくれるのだ。
つまり……それを取りに行けってことなら……先に言っといて欲しかった。くそー。
「仕方ねーなあ……。じゃあ、ちょっと行ってくるか」
急いで大きめの傘を選んで傘立てから取り出すと、玄関を開けた。
ヒューっと先ほどと比べて温度の下がった風が吹き込む。中より外の方が涼しい。虫の鳴く声もパタリと止んでいる。
「あんたは濡れてもいいから! 自転車の傘差し運転は絶対ダメだからね!」
「分かってるって! 警察に罰金取られるんだろ」
傘をサドルの後ろへ差し込むと、立ちこぎをしてお宮さんへ向かった――。
バチバチバチ――! ドオオオー!
途中から急にバケツをひっくり返したような雨が降ってきた――。
だが、安心してくれ――。俺のスマホは完全防水――。水の中に落としたって大丈夫なタフな仕様だ!
スマホだって、俺はスペックにこだわるのさ――。バケツがひっくり返って落ちてこない限り、大丈夫さ~!
暗くて自転車のライトだけでは前が見にくいのだが、通り慣れた道ならどうってことない。道路の横を走って帰る人とすれ違う中、見つけた――。
ツインテールが一人ぼっちで濡れて歩いていた――?
「おおっと! 春佳!」
自転車をスリップさせながら止まり、ずぶ濡れになってもトボトボと歩き続ける春佳の横へ行き、傘を開いて中に入れる。
「え? ええ! ヒロ! どうしたのよ」
「どうしたもこうしたもねえよ。ずぶ濡れじゃんか! トボトボ歩くなんてお前らしくもない――」
春佳は陸上部で、足だって早い。俺よりも早い。わざわざ歩かなくても、走ればいいだろう……。
「へへ、途中で楽しくなくなったから抜け出してきたんだ」
車のヘッドライトで一瞬春佳の顔が明るく照らされると……まるで泣いていたかのような表情をしていた……。
――春佳……泣いていた?
「……なんかあったの?」
俺の傘を受け取って、さっと俺に背中を向けた……。
……どうでもいいけど、俺はまたゲリ豪に撃たれっぱなしなんですけど……一緒に入るなんて選択肢は……ないのかなあ~?
「ヒロのクラスの九条佑里香……。さっきの子が……友達なんだけどさあ、その子が、私と同じ野球部の上野先輩の事が好きだったみたいなの。それで上野先輩は私じゃなくて佑里香の方が好きなのが分かっちゃって……。そこへクラスの男女も合流してきちゃってさあ、なんか……もう、やんなっちゃう」
「だから、途中で帰って来たの。そしたらこの雨――! 信じられない最低な日よ!」
春佳が……少し笑っているのが辛い。
最初の方が、雨の音で……ぜんぜん聞こえなかったのがもっと辛い――!
「要するに……フラれたってことか? 男にも……雨にも」
俯いたままツカツカ近づいてきたかと思うと、ペダルに掛けたままの俺の右足向う脛を……爪先で本気で蹴られた――!
「痛え~! なにしやがる!」
「ヒロのバカ! もっと他に言い方あるでしょ!
――こんな時に傘を……持って来てくれたくせに……」
雨に濡れた背中を俺に向ける……。
「あ、ああ……」
自転車から一度降りた。
「春佳、……サドルに座りなよ」
「?」
俺の自転車はロードバイクで荷台がついていないし、チェーンカバーもないから二人乗りはおおよそ不可能――と思っただろ?
「春佳がサドルに座ったら、俺が立ちこぎすっから。二人乗りでさっさと帰ろうぜ! どうせ雨でビショ濡れなんだろ?」
「うん……」
そう言うと春佳は傘をたたんで、俺が言ったとおりにサドルへと座った。浴衣じゃこの二人乗りは出来なかっただろうな……。
「よーし、飛ばすぜー」
「ちょちょ、っちょっと待ってよ! どこ掴んだらいいのよ~!」
「ハッハッハ! 俺を掴め俺を! 誰も見てないから遠慮なんてするな」
この二人乗りは非常に不安定なのだ。だから春佳は俺の腰に手を回すしかない。頭脳戦だな――。
そして座る事もできない俺は……変な姿勢での立ちこぎオンリー。太ももに掛かる負担は想像以上――。
――明日は心地よい筋肉痛に悩まされること疑いなしだな――。
「ヒャッホーイ」
「アハハ! ヒロったら子供みたい!」
「構わないさ~。どうせ大雨で誰も見てないし、もう濡れようがないくらいズブ濡れさー」
「アハハ。私も、もうパンツまで濡れちゃってるわ――!」
ハハハって、――はあ? 今のは、問題発言ギリギリではないのか~?
ずぶ濡れの春佳が俺の体にしがみ付いている。
「と、とばすぞー。しっかり掴まってろよー」
「うん」
春佳はそう言ってもっと力を入れて俺を後ろから抱きしめた。
でも、ヒクヒクと、泣いているかのような振動だけが……俺の体にまで伝わってきた……。
春佳の家に着いた時には、雨は小降りになっていた。
俺の母が連絡をしていたのだろう。おばさんが傘をさして玄関で待っていてくれた。自転車を玄関ギリギリの所でキキッと止めた。
「ただいま、お母さん」
「お帰り。ヒロちゃんごめんね。うちの子、重かったでしょうに」
春佳の母さん……高校生になっても俺を「ちゃん」付けで呼ぶ……。
「……はい。後ろタイヤが悲鳴を上げていました」
「ちょっと、二人とも怒るわよ!」
ハハっと笑った後、春佳はこっちを向いて軽く礼をする。
「ありがと、ヒロ。迎えに来てくれて本っ当に助かったわ。嬉しかった」
「どういたしまして。どうせ暇だったんだし……野菜を貰いに来たついでだよ。ついで」
別に催促じゃないからな。俺は、野菜、そんなに好きじゃないからな。
「あ、そうそう。これ家で採れたトマトと茄子とミョウガ」
おばさんが手渡してきた大きなビニール袋には、トマトと茄子と、俺の大嫌いなミョウガが沢山入っていた。
「いつも有難う御座います。ミョウガはいらねーけど」
「ハハハ、ヒロちゃんは昔っからミョウガ嫌いだからね。でも、食べると物覚えが良くなるって言うから、しっかり食べるのよ!」
「プッ」
春佳が笑ってやがる――。ミョウガって、逆に物忘れするって迷信があるのを知ってておばさんがそう言ってくる。
絶対に食わねえ――。あの歯がキシキシきしむ感じが嫌いなんだ――。
こんなに貰ったら……明日の朝の味噌汁に入ること疑いなしだ――。
……途中で捨てるか……?
いやいや、食い物は絶対に粗末にしてはいけない。金持ちになる秘訣の一つだ……。
「じゃあね、ヒロちゃん、風邪引かないでね」
「はい、ありがとうおばさん」
「今日はありがとう」
「ああ、春佳も風邪引くなよ」
「うん」
雨に濡れたTシャツがスケスケになっていて……それ以上春佳を見ていられなかった……。
自転車にまたがると、立ちこぎせずにゆっくり走ったのに……大した理由はないからな……。
「ところで春佳。ヒロちゃんにはもう言ったの? あのこと」
「ううん。まだ言ってない」
「春佳が自分の口から言うって言うから、お母さんもまだ話してないんだけど、早めに言っておくのよ」
「うん。……分かってる」
渡利家の玄関の扉が……ガチャっと濡れた音と共に閉まった――。
次の日……、
「おいヒロ……。昨日、なんで帰ったんだ? 夏祭り」
バカは声がデカイのが痛い……みんなそう思うだろ?
教室で翔のやつが……俺の席へ近寄ってきながら、そう言いやがった。暴露しやがった……。
まあ、昨日の鵙美と俺の会話を知らない翔は、仕方ないっちゃあ、仕方ないのだが……。ほら……。冷ややかな目で鵙美がこちらを見続けているじゃねーか。
――鵙美に丸聞こえだ。丸聞こえこえ~――!
「せっかく九条も来てたのに。聞くところによると、九条の友達を送ってきて、その後一人でウロウロして帰ったそうじゃねーか。寂しい奴だなあ」
春佳が言っていた途中で一緒になった男女達の中に……ひょっとしたら、コイツも含まれてたのか?
「いやあー、でも九条と一緒になってから、しばらくして急に大雨が降ってきたからなあ。まいったまいった。まあ、神社の屋根の下でしばらく雨宿りしてたらすぐ止んで助かったけどな」
「お前、ずっと九条と一緒だったのか?」
「ああ帰りの電車もみんな一緒だったぜ。あいつの浴衣、なかなか似合ってたぜ。同じクラスメートとして、一緒に歩くぐらいの特典はあっていいだろ」
ハッハッハと翔は上機嫌だ。チッ、羨ましいぜ……。それに比べて俺は……。
……まあ、いいか。
九条と夏祭りは楽しめなかったが、俺は俺なりに楽しんでいたのかも知れない。
「ヒロ君~。ちょっと私……喉が渇いたんだけど。ジュース飲みたいなあ~」
憤りを抑え込んだ甘ったるい声が聞こえてくる。
やっべえ、こいつの事を忘れていた――。
楽しかった夏祭りの思い出に、水を差しやがる。
「……はい?」
「缶じゃないやつ」
……。
この埋め合わせは、必ずしてもらうからね! と……笑った顔に書いてあるぜ……。




