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その日、私は鳥になった。

作者: 柳染春馬


 私は空が好きだ。


 空と言っても、普通の人間が思い浮かべる空ではない。

 病院の一角、個室病棟の一部屋。壁に立てかけられた一枚の絵。私がこうなる前、母と共に描いた絵だという。

 クレパスで描かれたそれは、水色の空の下、動物たちが笑っている絵だ。

 のびのびと草原に座る私と母は、他の動物たちと共に空を見上げている。

「おはようございます。お加減はどうですか」

 今日も看護師が私に語りかけてくる。二十年来の日常だ。

 二十余年、弱々しい心臓の奥で答え続けた。


 最悪に決まっている。


 全身に刺された管。口を覆うマスク。動かない手足。そして、たまの見舞い客以外、変わることのない病室の風景。

 私はどうやら、今日で二十七歳になるらしい。変わらぬ日常の中、二十二回目の誕生日。

 日中、私の家族が集まった。私の誕生日を祝っているようであった。


 やめてくれ。


 その思いはしかし、声にならず、マスクをかすかに鳴らすだけであった。

 私の時間は五歳のあの日以来、一秒たりとも進んではいないのだ。

 あの日、あの事故以来……




 私の人生を語る上で、あの日起きた事故を抜かす訳にはいかないだろう。

 私が得た名前は西行寺さいぎょうじ隆一郎りゅういちろう。私は、西行寺財閥の御曹司として生まれてきたのだ。

 裕福な家に生まれた私はしかし、生まれつき病弱であった。いつも自宅の一室におり、外に出ることはなかった。

 その日は確か、今日と同じく私の誕生日だった。

 記念すべき日に母はこう言ったのだ。

「外に、出てみたい?」

 私はしばらく母の顔を凝視していた。病弱な自分はずっと、自宅からは出られないと思っていたのだ。

 数秒の後、私は満面の笑みで頷いた。そこからは、感動の連続だった。窓枠の無い空。青々とした木々。道を行き交う人々。その全てが鮮明に映った。

 しかし、それは束の間だった。

 夕方、母に手を引かれて帰路を歩む中、それはやってきた。

 結論から言うと、私と母は暴走自動車に跳ね飛ばされたのだ。飲酒運転だったらしい。あまり強い衝撃ではなかったので、母は骨折をした程度で済んだが、私は頭を強く打ったらしく、一時、全く動けない状態になってしまった。

 そこから、私の心は徐々に荒んでいった。

 ごめんなさい、ごめんなさい、と私に泣きすがり謝る母の声を聞いた。

 すいませんでした、と不服そうに謝る運転手の声を聞いた。

 親族が見舞いにやってきた。

 次第に、見舞いの客は減っていった。

 運転手がトラックと正面衝突して死んだと聞いた。

 病室で、私がまだ死んでいないのに遺産の話を始めた。

 そこに感動は一切無かった。




 今日も夜になった。

 何もすることが無い私は、就寝時間が早い。

 頭を一生懸命に動かし、横を見る。そこにあるのは、ページを開いた野鳥図鑑。今日、叔父が持ってきた物だ。

 棚の上のスペースを大きく陣取ったそれは、我が物顔で鎮座している。横には例の絵。

 鳥は自由なのだろうか? ふと、そんな考えが脳裏をよぎった。

 思えば、ものを考えるというのも久しぶりなので、私はこの時間を大切にすることにした。


 私の時間が動いた。






 私は風を感じて目覚めた。

 何事かと思ったが、瞬間、言葉を失った。

 窓枠の無い蒼い空、青々とした木々。行き交う人々。多少緑が多いことと、夜空であることは違うが、正に、二十二年前に見た光景だった。

 しかも、それだけではない。

 脚が、動く。

 自分の足を見れば、そこにあったのは細い木の枝のような足。


 鳥だ。


 つい先ほど、野鳥図鑑で見た鳥である。

 手を動かしてみる。バサッと音がした。

 翼だ。

 何度も何度も動かす。それは、か細い重病人の手ではなく、力強く羽ばたく鳥の翼だ。

 体が浮いた。今までベッドで動かなかったのが嘘のように感じられた。木々の隙間から飛び立つ。不思議と飛び方は頭の中に入っていた。

 生まれてこの方、味わったことのない風を感じ、生まれてこの方、感じたことのないきんを動かす喜びを味わった。

 木々は揺れ音を奏で、動物たちの鳴き声が私を祝っているようだった。

 ああ、私は今、空を飛んでいる! 長年焦がれ、尊敬すらした空を、飛んでいるのだ!

 私は縦横無尽に空を飛んだ。より高くまで飛んでみた。一切の束縛から解放されたような気がした。

 ふと前を見ると、高く、地平線まで続く空に、おぼろげな月が張り付いていた。

 私は、涙を流しているのだろうか。鳥が涙を流すのか私は知らないが、湿った感触が確かにあった。

 病室で感じた感情全てを足しても、今の感動にはかなうまい。

 私はそこで、考えてしまったのだろう。ああ、これは『夢』と言うやつか、と。

 願わくば、この世界が崩れ落ちてしまわないで……叶わぬであろう願いは、私の心を締め付けた。

 思うがままに空を飛び、疲れて木々の枝で休み、そして、朝が来てしまった。






 病室のベッドに一人、静かに寝ている人間があった。

 私だ。

 空は四メートルのところで天井に阻まれ、横を見ても、窓すら無い壁があるのみだ。

「おはようございます。お加減はどうですか」


 最悪に決まっている。


 人生の絶頂からどん底に突き落とされたのだ。これを最悪と呼ばずして何を最悪と言う?

 世界を飛び回っていたはずが、コンクリートの檻に閉じ込められた私。さながら悲劇の人ではないか。

 手足はピクリとも動かず、かろうじて首が少し動くのみ。二十年間、変わらぬ日常だ。

 正午に、弟が来た。

「よお、御曹司さん。相変わらず無様だなあ」

 一言で言おう。弟は屑である。

 確か弟が西行寺財閥の時期総帥に決まった時だったか、この屑は病室に来て、言ったのだ。

「お前の分まで俺が幸せになってやるから、そこで一生寝てろ」と。

 その時もう、私は無気力で、弟の罵詈雑言の類を聞いても、環境音としか思っていなかったのかもしれない。

 今では、ふつふつと心が煮えたぎっていた。不幸になってしまえばいいのに。

 悲しみや失望といった静かなものではなく、喜びや怒りといった動きの激しい感情を持つことなど、昨日の私には考えもつかなかっただろう。

 自由の魅力を体で覚えてしまった私は、弟の自由をうらやんだのだと思う。

 しかし、鳥は弟よりも自由だった。

 鳥になった私を縛る物は何も無かった。もう一度、あの夢を見ることができたなら。

 低い天井を見つめ、そう思った。






 私は風を感じて目覚めた。

 自分の心が昂っているのを感じた。

 『西行寺隆一郎』なら血圧が高すぎて倒れてしまうほど、胸を高鳴らせて自分の体を見る。


 鳥だ!


 私は空を飛びまわった。歓喜の舞いと表現しても良いかもしれない。

 私を包む空は広く、月が私を明るく照らしていた。それが、いけなかったのかもしれない。

 眼下の林からカラスが飛び立った。

――カアアァッ!

 一目でまずいと判断した。私は逃げた。カラスはとても速かった。空を全速力で逃げた。

 生命の危機だ。夢であるはずなのにそう感じた。

 だが、どこか楽しんでいる私がいた。既に命など失ったようなものだ、とどこか思っていたのかもしれない。

 カラスは去った。どうやら私はカラスより速かったようだ。

 地に降り立ち、体を休ませる。そういえば、空腹な気がする。

 地面ではミミズが顔を出していた。にょろにょろと動き、土をいじっているようだ。

 私はそのミミズを食べた。不思議と違和感は無かった。むしろ、普段が食べ物と言えるものを口にしている訳ではないためか、とても美味しく感じられた。

 長らく感じなかった味覚が刺激された。気がする。

 そこで、朝になった。






 病室のベッドに一人、静かに寝ている人間があった。

 私だ。

「おはようございます。お加減はどうですか」


 決まっているじゃないか。

 最高だよ。


 もう二度と行けないと思っていた世界にもう一度行けたし、また行けるかもしれないんだ。これを最高と呼ばずして何を最高と言う?

 不自由な病室生活も、あの世界への道のりだと思えば耐えられる。

 あの世界だって、危険はあるだろう。前回が良い例だ。

 だが、それさえも私の心を揺さぶってならないのだ!

 ああ、あの世界のことがもっと知りたい。私の知らない全てを知っているあの世界のことが!

 これこそ私の生きる意味なのだろう。 

 私の世界はもう病室ここではない。あの自由な世界なのだ!






 今日も、私はこの世界に来た。

 空には、叔父が都会によくあると昔、私に語って聞かせたまばらな星が見える。それだけで私はうっとりとしてしまう。

 星などを見ることができるとは、私はこんなに幸せで良いのか、と。

 普通の感覚ならば、星は晴れれば見える物なのだろうが、私にとっては生まれて初めての星空だ。

 叔父は田舎の方へ行くと、もっと空気が澄んで綺麗に見えるんだ。と、ピクリとも動かない私に語っていた。

 今考えれば、あれは私に夢を持ってもらいたかったのだろう。

 そんなことを脳裏に浮かべ、私は熱烈に思った。満天の星空を見てみたい、と。


 私は飛んだ。体が疲れるのも気にせずに飛んだ。途中、水を飲み、虫を食べ、森のある方へと飛んで行ったが、結局一日では辿り着かず、朝を迎える前に木の幹に開いた穴で眠ってしまった。






 ああ、病室だ。

 体の疲れは無い。が、『西行寺隆一郎』の体はなんとも不自由だ。『私』が息を切らせて飛んだ時の数億倍不自由だろう。

 私は夜空を見たことがなかった。星空など神秘の塊である。

 夏の大三角を初めとする明るい星のみが淡く光る空だとしても、私の心を打つには十分だったのである。

 私は思う。あの世界は本当に夢なのだろうか。夢にしては私の知らないことが多すぎる気がするし、何より、とても鮮明だ。

 私が生まれてから見た夢は、あの世界の夢だけだが、普通はモヤモヤとした像が見えると話に聞く。

 私が生きる価値である自由な世界。それは、現実の世界なのだろうか?






 昨日の穴で目を覚ました。

 風の吹く中、夜空を飛んだ。もう空中飛行も慣れたものだ。

 だんだんと森が多くなり、空気が澄んでいるのを呼吸から感じ取れるが、生憎今日は曇りだった。

 耳をすませば、様々な動物が鳴いているのが分かる。

 病室と違い、有機的な音が森の静寂を震わせている、情緒に溢れた空間だ。

 その分、天敵も多いが。

 何故カラスと言うのはどこにでも出てくるのだろうか?

 ここ数日でどれだけカラスに追われたか、数え切れないが、私の体は肉体的な不利を機動力で補っているらしい。

 一回も捕まったことはない。捕まっていたら死んでいる。

 結局、草木に埋まって眠ることにした。

 ベッドの方が良いはずなのに、何故か寝心地良く感じられた。

 明日は晴れると良いなあ。






 本当にこっちの世界は勝る点が安全性くらいしかない。

 言葉にできない渇望を感じていると、人が入ってきた。

 そういえば、見舞客があると聞いていた。

「ほら由美、挨拶しなさい」

 部屋に入ってきた男は野鳥図鑑を置いていった母の弟、つまり叔父だ。そして、叔父の服を掴んでこちらを見ているのが、叔父の娘らしい。

「パパ、怖い……」

 小学校低学年くらいの年頃だろうか。こちらを見て怖いとのたまったのも無理はない。

 『西行寺隆一郎』は、どこぞの映画に出てくるかのような、子供には多少刺激が強い外見なのだ。

「すまん……」

 こちらに頭を下げるが、この体に「気にするな」とも「失礼な」とも言うすべは無い。

 室内の空気が重苦しい。飛んでいたら墜落しそうなくらいの重苦しさだ。

 そこで気付く。私はこんな冗談のようなことを言う、いや、思う者だっただろうか?

 以前の私はもっと悲観的だったし、世界の全てを否定するような性格をしていたはずだ。

 自分が自分でないような気がした。私は、なんなんだろう。

 野鳥図鑑。首を懸命にずらし、それを見る。

 そこには『私』が描かれている。

「ああ、違うページにするか?」

 叔父が訊ねるが、近寄らないでくれ、と微動だにしない。叔父も動かなかった。私の意をくんでくれたようだ。

 病室の生活は辛くはない。苦しくもないが、プラスの感情も無い。

「じゃあ、元気でな」

 二十年も寝たきりで元気なはずが無いが、他に言葉が見つからなかったのだろう。

 とにかく、『西行寺隆一郎』の体は眠りへと落ちた。






 私の目が覚めた。

 適当に虫を食べてエネルギーを補給する。

 上を見上げても緑のとばりが覆うばかりだが、私の勘によると今日は快晴である。

 翼を思い切り動かし、緑の中を飛ぶ。途中、枝に何回か当たったが、無事抜けきった。

 息を飲むとは、このことなのだろう。


――ああ

――これが、星空


 森を抜けて見上げると、天高くの星が私を歓迎していた。

 バケツをひっくり返したかのような満天の星空を仰ぐ。光は儚く、それでいて力強く。幾多の輝きが夜の世界を照らしている。

 私は完全に魅せられていた。鏡で見れば、顔は法悦を浮かべていたに違いない。

 銀河の瞬く中にあって、私のなんとちっぽけなことか! 自然と感想が出てきた。

 ここ数日で、どれだけ自由を謳歌しただろう。どれだけ涙を流しただろう。

 『私』は、ここにいるのだ!






 無機質な光が私を照らした。

 ああ、どうやら発作が起こったようだ。だとすればここは手術室か。

 稀に起こる持病の発作。ある意味、これすら日常なのかもしれない。

「迅速に」

 麻酔と思われる刺激が体に染みる。簡単にはあちらへ行かせてくれない。

 消えゆく意識の中、『西行寺隆一郎』の体で思う。


――星空、綺麗だったなあ








 意識が完全に消えたその時、私の意識は『私』の体に入っていった。

 今まで見ることのなかった、明けの頃合い。

 私は鳥として、地平線から昇る太陽を見た。

 地平線はオレンジ色に染まり、真っ赤な太陽が生命を祝福している。

 どれだけ贅沢なのだろう。こんな経験は西行寺財閥のカネが成せるものでもなければ、病人に哀れむ者が渡してくれるものでもない。

 今、私は日の光を浴びて飛んでいる。

 生まれついた時から、室内で走ることも、かなわなかった、私が、日の下で、飛んでいるのだ!

 私を興奮が侵食し、高揚が最高潮まで達している。

 フルスピードで空を飛び、宙を大きく一回転し、どこまでも高く飛び、私は疲れ果てて地面へと降り立った。

 どうやら開けた場所に降りたらしく、殺されないかと心配になったが、急に眠くなり眠ってしまった。

 カラスやヒトに襲われないか、心配、だ……






「西行寺さん、聞こえますか?」

 医師が私の顔を覗いているようだ。

「良かった。西行寺さん、突然発作を起こしてしまったんですよ」

 知っている。何故か知らないが意識があった。

 医師が私の乗った、私が名前を知らないあの台を押す。

「とりあえず、一週間は安静ですね」

 安静。つまり日常だ。何の変わりも無い。せいぜい来客の可能性が0になるくらいだろうか。

 つまらない日常である。

 私にはそんな中身の無い話よりも、気にかかっていることがあった。先ほどの飛行だ。

 今まで夜に飛行していたが、昼間の魅力を知ってしまった。

 しかし、昼間は『西行寺隆一郎』の時間である。『私』の時間ではない。

 まさか定期的に発作を起こせる訳でもあるまいし、どうしたものか。

 台を流れる風景を見る。『私』が見た世界より幾分狭いが、『西行寺隆一郎』の見る世界より何倍も広い庭の景色だ。

 ふと、庭の一角に目が止まる。

 私と、『私』。

 ……ふ、ふふふ、はははは! あったじゃないか、昼間に行動する方法が。

 『私』が私から奪えば良いんだ!

 何故そんな単純明快な方法を思いつかなかったのか。

 どうやら、二十年の無感情で思考能力が落ちていたようだ。

 顔にこそ出ないが、私は静かに、心の中で微笑ほほえんでいた。

 その夜は嬉しくなってしまい、本末転倒的になかなか寝付けなかった。






 『私』は起き上がった、庭で。

 『西行寺隆一郎』が見た庭の一角と寸分の違いも無い位置だ。

 きっと遠足の道を行く小学生は、このような気分なのだろう。

 翼を軽やかに羽ばたき、目的の壁を見つける。

 明らかに脆い、老朽化した壁だ。この病院の利用者として複雑な気分でもあるが、それも今日で終わる。

 北病棟七階の天井にあたる部分を進む。埃っぽいが我慢だ。

 やがて目的の位置に着く。七〇四号室の天井を見たくもないのに、二十年以上見続けてきたマエストロたる私が導き出した、若干安全性が怪しい部分。

 この病院はあまり良い環境のそれではないと気付いてはいたが、本当に色々と大丈夫なのだろうか?

 とにかく、そこを私はくちばしでひたすら突き、突き突き突き突き突き突き、更にか細い足に全体重をかけて、ダメージを負ったそこをひたすら踏み、踏み踏み踏み踏み踏み踏み踏み踏み――――――――


――――パコッ


 なんと、天井が外れてしまった。本当に大丈夫か、この病院は。病人が野鳥に殺されるぞ?

 冗談、いや、皮肉はともかく、割と耐久性は低くなかった。単調な作業で疲れる。

 恐らく踏んだ時と天井が外れた時の音で、夜勤の看護師が気付くはずなので、開放されている部屋の扉を閉め、中から鍵をかける。病人にも操作しやすい長い鍵は、鳥も含めてユニバーサルだ。完全に立てこもることは出来ないだろうが、時間稼ぎにはなるだろう。

 改めて夜闇の中で『西行寺隆一郎』を見る。外れた天井がのしかかって可哀そうな状態になっているが、自分で自分をいじめているだけなので問題はない、はず。

 ベッドまでてくてくと歩いてゆき、『西行寺隆一郎』の上に乗る。その体には管が繋がっているので、容赦無く引き抜く。

「っ! 七〇四号室の西行寺さんが!」

 今の行動のせいで警告音のようなものが鳴っているので、完全に看護師たちにはばれただろうが、あとはもう滅茶苦茶にするだけである。

 身体中の管を無慈悲に引っこ抜いて、ついでとばかりに机に置いてあるペンを押さえ、苦戦しながらもキャップを外して嘴で咥え、首を切り裂いておく。病人じゃなくても下手をすれば死ぬだろう。それを『西行寺隆一郎』が耐えられるはずもない。もって30分か。そんな知識はないが、私の勘だ。

 入った時の穴をいそいそと進み、準備しておいた虫を適当に食べる。このままでは殺されてしまうので、ズタズタな壁を蹴り破って外に出る。

 ああ、この世に生を受けてからの二十七年と六日で最も活き活きしている気がする。きっと気のせいじゃないだろう。

 眠い。どうやら今度も目覚めるようだ。自分でやったことだけど痛そうだよなあ、あれ。






「西行寺さん、大丈夫ですか!」

 看護師が私に呼びかける。

 私は経験したことの無い激痛を感じ取っていたが、不思議と冷静だった。

「山田、誰か先生を呼んで!」

 私を生かそうと頑張っている方々には悪いが、早く死にたくてしょうがないんだ。とどめを刺しておけば良かったな……、私に。

「頑張ってくださいね、西行寺さん!」

 うん、頑張るよ。ここで痛みに負けて心を病んだりしたら、徒労も良いとこだからね。弱いのは体で嫌ほど味わってるから、精神まで弱くなるのは勘弁してほしい。

 ああ、だんだんと意識が薄れてきた。何故かこんな風に考えることは、できるけど。

 視界が朦朧もうろうとして、だんだんまぶたが落ちてきた。

「西行寺さん!」

 うん、思えば短い人生だった。自分で昔、五歳以来時間が進んでないとか語ったのだから当然だが。と言うか、あの時の私こそ病んでいたのではないか?

 いや、私は今ここから始まるんだ。『西行寺隆一郎』は死に、『私』が生まれた。それで良いんだ。

 とても眠い。今まで感じたことの無い眠気だ。抗いがたい。

 走馬灯と言うが、ここ六日の記憶以外では、五歳のあの日しか思い出せない。

 きっと、今回眠ったら、それは死を意味するのだろう。

「西行寺さん!」


 私の、人生が、終わる……






















 青い空、木々はささやき鳥たちは歌う。

 私の帰るべき所はここなのだろう。

 西行寺隆一郎との決別を終えた私は今、清々しい風に吹かれている。

 私の心が、体が、私を形作る全てが空を求めている。

 私は飛んだ。今までのそれよりも、自由の翼は力強かった。自由の空は私を祝福していた。


 その日、私は鳥になった。











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