無知への気づき
書き終えた文に目を向けた晴信の言葉の先を、克頼が無言で促す。
「国内すべての里から人質を取り、誘拐まがいに見目の良い娘を愛妾として連れ帰る。手向かう者は、ささいな事で斬り伏せられる。そんな国主なら、恨まれて当然だな」
深く太い憂いの息が、茶を揺らした。
「晴信様」
「父上とはそれほど面識があるわけではないが、聞けば聞くほど人の所業とは思えない」
眉根を寄せた晴信に、克頼が大福を示した。
「甘いもので、少し気を楽になさいませ」
「ありがとう、克頼」
かじった晴信は、克頼の怜悧な瞳を覗く。
「克頼は、父上の事を知っていたのか」
ごまかしは許さないと、透き通った晴信の目が言っている。
「はい」
短い答えに、晴信は苦しげに目を伏せた。
「そうか。――俺だけが、知らなかったのだな」
「知らせぬよう、父から言われておりました」
「何のために隠していたんだろう」
「それは……。時を、待っていたからでしょう」
「時?」
「晴信様が国主となられるにふさわしい時を」
「元服するまでは、という事か」
克頼が首を横に傾けた。
「晴信様のお心の事かと」
「俺の、心」
「はい。民の想いを受け止め、それを活かす事の出来るお心を、お持ちになられるかどうかを、失礼な言い方ではありますが、探っていたのではないでしょうか」
晴信は眉を下げ、力無い笑みを口元に漂わせた。
「俺も父のような気性を持っているのではないかと、危ぶまれていたという事か」
克頼が目を伏せ、肯定を示す。
「こればかりは、乳兄弟として育った私が違うと言っても、ひいき目があると思われますので」
わかっていると示すように、晴信は軽く首を動かした。
「違うと判断されたという事か。……判断がつく前に、限界が来たという場合もありうるな」
晴信の人となりを、訴えてきた里の者たちが知っていたはずは無い。
「おそらく、両方の理由からでしょう」
克頼の言葉を飲み込むように、晴信は大福に被りついた。押し込むように頬張った晴信の口の端に、餡の粒がついている。大福が詰め込まれた丸い頬の幼さと、大きな瞳に宿る深く暗い憂いの差に、克頼は厳しい顔をした。