そして
「信用をしていなかったわけじゃないが、気を悪くさせたのならば謝罪する」
このとおりだと頭を下げる晴信に、義孝が豪快に笑った。
「この国を守るためのたくらみであれば、いくらでも騙していただきたい」
「栄姫を守るたくらみ、の言い間違いではないのか」
さらっと信成が言えば、義孝が大酒を食らったように赤くなった。
「姫さんは、べっぴんさんだもんなぁ」
隼人がからかい、義孝が憤然とそっぽを向く。それが本当の怒りではなく照れである事を、誰もが察して朗らかな笑いが起きた。
ひとしきり響いた笑いが収まったのを見計らい、克頼が晴信に膝を向けた。
「しかし、晴信様。このまま佐々殿が引き下がるとは思えません。為則殿を手に入れたのですから、栄姫殿を欲している科代の箕輪様と手を組むため、策を労してくるでしょう」
「父の事ですから、何をしかけてくるかわかりません」
栄も顔を引きしめ、克頼の発言に同意を示した。
「霧衣はまだまだ不安定な状態。姫様をかどわかす隙は、いくらもありましょう」
信成の言葉に、義孝が片膝を立てた。
「そんな不埒な奴、俺が全部ぶっとばしてやる!」
「この里に留まるつもりか、義孝」
「うっ」
信成に言われ、義孝が呻いた。
「なら、姫さんを連れて帰ったらいいんじゃねぇの? 安治に里をまかしてさ。計画に加担した奴が里長になれば、安心だろ」
あっさりと良案を口にした隼人に、全員の目が集まった。
「難しく考える必要なんて無いだろ。姫さんが残ってなきゃいけない理由があるんなら、別だけど」
今度は栄に視線が集中する。
「いいえ。私が留まる理由は少しもございません。安治なら、この里をうまくまとめてくれるものと存じます」
栄が手を着いて晴信を見る。その目に、共に国政に携わりたいという決意が漲っていた。
「俺も、そうしてもらえると助かる」
晴信が受け入れれば、栄は心底ほっとしたように頬をゆるめた。その背後で、義孝が少し浮かれた顔になる。
「皆」
きりりと眉をそびやかし、晴信は座にいる顔を見渡した。続く晴信の言葉を少しも漏らさず肝に刻もうと、誰もが意識の全てを晴信に向ける。
「俺は、見ての通りの未熟者。目が行き届かないところもあるし、考えが及ばない事態もある。父上の乱したこの国を、豊かで穏やかなものにするための難題が、山のように押し寄せてくるだろう。だが、今回の件で、俺はひとりでは無い事を強く感じた。多くの者に支えられてこそ、俺は国主となれる。だからどうか、この俺を末永く支えてもらいたい」
晴信は深く、頭を下げた。
「もちろんです」
「まかせとけ」
「心得ました」
「いかようにも、お使いくださいませ」
「当然です」
たのもしい声が晴信を包む。晴信は「ありがとう」と口内でつぶやき、湯飲みを持ち上げた。
「固めの杯ならぬ、固めの湯飲みとなるが、かまわないか」
照れくさそうな晴信に応える為、皆が無言で湯飲みを持った。
「情けは味方、仇は敵。人と人との繋がりを重んじる国に、していこう」
晴信の音頭で、皆が湯飲みを傾けた。
その後、さまざまな問題をくぐりぬけながら、霧衣は晴信の祖父が治めていた頃の穏やかさを取り戻した。晴信は身分を気にする事なく方々の里に顔を出し、民とたわむれ声を聞き、国政に活かした。瑠璃のみに頼っていた国の財政は、民が晴信を慕うようになり、野良作業に励んだ結果、農作物の収穫が豊富になった事もあって、それらを工夫した品々を輸出できるようになった。民が豊かに過ごせるようになれば、流通が生まれる。霧衣は、にぎやかな国となった。
晴信は有能な重臣らと、紀和から送られてきた孝明の博識とに支えられ、没した後も仁政を行った国主として、国内外で広く語られ慕われる事となる。




