人質の処置
そんな話は聞いていないと、晴信は父を追放するために動いた宿老三人を等分に見た。
「国内にある里の郷士から、人質を取っております」
「背かないよう人質を取らなければならないほど、父上は人心を遠くさせていたのか」
そんな事までしなければならないほどだとは思わなかった。太い息を吐いて額に手を当てた晴信を、いたましそうに家臣らが見つめる。
しばらく額に手を当て憂いた晴信は、顔を上げて命じた。
「人質は全て、里に帰そう。愛妾の館の者も全てだ。帰りたくない、または帰るべき場所の無い者には、居場所を見つけるように。全員にいくばくかの金子を与え、送り届けるときには人をつけるとしよう」
ざわりと家臣たちの空気が動く。それを受けて、頼継が言った。
「晴信様。そのような事をしては、背く里が出てくるかもしれません。非道を行ったのは父君ですが、その子である晴信様に恨みを転化させる者がいないとは限りません」
「だからこそだ」
強い意思のこもった声に、さざめいていた不安が鎮まる。
「彼らを送る者に、俺の詫び状を持たせる。文面は同じものになるだろうが、それを持って無事に彼らを送り届けて欲しい。そしてその里や周辺の状態を調べ、報告をしてくれないか」
「報告、ですか」
頼継が探るような声を出した。
「俺は外に出るまで、父上が何をして来たのかを知らなかった。そんな俺が国を治めるためには、まず知る事からはじめなければならないと思う。知らなければ、何もできない。それがどれほど酷なことであっても、受け止めなければならないと思うんだ。父の事を訴えてきた者たちは、俺がどんな人間かを知らなかったはずだ。父のように簡単に手討ちにする者かもしれない。そんな不安を抱えながらも訴えてくれた彼らに応えるためには、しっかりと現状というものに向きあわなければならないだろう」
あちこちから「ご立派な」という声が上がった。
「だから、どれほど悲惨な状況であったとしても、遠慮なく、ありのままを俺に伝えて欲しい。送り届けた先の里で、どんなふうに使者が受け入れられたか。生活状況はどういう具合なのかなどを、つぶさに調べて帰ってきてくれ」
「人選はなかなか難しいですな」
期待を滲ませた頼継に、晴信は笑いかけた。
「俺は家臣の全てを知らない。人選は頼継、義元、兵部の三名に任せるが、かまわないか」
「承知いたしました」
頼継が頭を下げ、他の者たちもそれに習った。満足げに彼らを見渡した晴信が腰を上げる。
「では早速、文を書くことにしよう」
去る晴信の後に克頼が続くのを、家臣たちは平伏したまま見送った。
私室にこもって黙々と同じ文面を書き続けていた晴信に、茶と大福を持った克頼が一息つくよう勧めた。
「同じ文面ばかりを書き続けては、気も疲れるでしょう」
ほんのりとした笑みを浮かべる克頼の気遣いに、晴信は筆を置いて伸びをした。
「だが、今日中には文を書き上げてしまいたい。やることは次々と出てくるだろうからな」
「急いては事を仕損じるとも申します」
「正直、休憩の機会を見つけられなくて、困っていたところだ」
克頼が全てを見通していたかのような顔で、茶と大福の乗った盆を晴信へ差し出す。晴信は湯飲みを手にし、茶をすすって肩の力を抜いた。
「父上の心は、病んでいたのだろうか」