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霧衣物語  作者: 水戸けい
33/42

初段

 兵部が褒めるような顔つきをし、義元が「よし」と膝を打った。


「これは戦も同じじゃ。戦と同等の、国をかけた駆け引きじゃ。晴信様。いや、お館様の初陣と思い、この義元、存分に働かせていただきますぞ」


 気合十分の義元に、晴信が頬を紅潮させた。


「俺も、霧衣を泰平にするための大切な戦と思い挑もう。よろしく頼む」


 頭を下げた晴信に、四人が「おうっ」と頼もしく応えた。



 晴信の私室の障子に、人影が映った。


「お館様」


 晴信が報告書から目を上げると、からりと障子を開いた隼人がひらひらと手を振った。


「おお」


 晴信が招く笑みを浮かべれば、隼人はずかずかと室内に入り、ぴしゃりと障子を閉めて見回す。


「あいつは、いねぇのか」


 言いながら胡坐をかく隼人に、晴信は苦笑する。


「克頼は克頼で、する事があるからな」


 ふうんと気の無い返事をした隼人は、懐から団子を取り出し晴信に勧めつつ、ひとつを自分の口に入れた。


「紀和に民が逃げ込んで、保護されてるって話。けっこう広まってるぜ」


「そうか。では、そろそろ次の段階に入る時期だな」


 頼継、義元、兵部が使っている、諜報活動などを行う諸国御使者衆らに、逃げてきた霧衣の民を紀和が手厚く保護しているとの流言を、国内外に広めるよう命じてあった。その話が広く知れ渡れば、紀和の佐々道明も無視が出来なくなる。自然と注目を集めてしまう形になった所で、晴信が正式に「保護をしていただいた民を受け取りに行く」と申し込む。その話も人の口に上るように仕向ければ、断る事が出来なくなるだろうとの目論もくろみだった。


 いよいよ自分の出番かと、隼人が頼もしい顔で目を輝かせる。


「難しい役目だが、よろしく頼む」


「まかせておけよ」


 隼人の前で、晴信は二通の書状を書いた。文面は決めてあったので迷うことは無かった。


 墨が乾くまで、隼人の土産の団子を食しながら雑談をしていると、足音が近付いてきた。


「晴信様」


 障子に、膝を着いた人の影が映った。


「ああ、克頼」


 障子を開いた克頼は、隼人の姿に顔をしかめる。


「ずいぶんなご挨拶だなぁ」


 不快を示す克頼に、隼人が親しげに声をかけた。それを無視した克頼は、晴信に向けて膝を進める。


「紀和の佐々様と村杉の里に、文をお届けになるのですな」


「ああ」


 晴信が書状を示す。さっと読んだ克頼が、隼人にきつい目を向けた。


「書状を運んだ後は紀和で待機し、連絡を受けてから村杉へと向かうのだぞ」


「わかってるって。紀和でアンタの親父の部下とコッソリ会って、向こうの殿様に書状を渡してもらうんだろ? そんで俺は、紀和の城下町でブラブラ過ごして、連絡が来たら村杉の里長と会う」


 隼人が、どうだといわんばかりに胸をそらした。本当に大丈夫かと、克頼は疑惑の眼差しを向ける。


「そんな顔すんなって。大丈夫だからよ」


 克頼の背を隼人が叩いた。叩かれたところが痺れるほどの強さに、克頼が小さく呻く。


「俺を信用しろって。今までだって、ちゃんと方々(ほうぼう)の里長と話をつけて、立派に役目を果たして来たんだからさ。襲われたとしても、獣狩りで鍛えた腕があるから心配いらねぇよ」


 袖をまくって力瘤こぶを示す隼人の、よく日に焼けた太い腕と子どものような笑顔に、克頼が不安を滲ませる。


「敵を欺くには、まず味方から。どこから情報が漏れるかわかりませんので、この粗暴な男を使うのは致し方ありませんな」


「粗暴じゃなく、人の懐に入るのがうまい、豪快で頼もしい奴って言えよ。――ははぁん。もしかして、俺のこのたくましい肉体と人付き合いの良さに、嫉妬してんな?」


「誰がするか」


「まあまあ、克頼。隼人がよく働いてくれているのは、わかっているだろう」


「――は」


 克頼が軽く頭を下げると、隼人が「真面目だねぇ」と茶化した。

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