父の所業
何か父を諌める方法があるはずだと思っていた晴信だったが、重臣らが重ねて諌言をしても逆効果にしかならなかったと知り、自分の立場というものに追い詰められた。
父から国主の座を奪うという事は、父を殺すという事。
いくら国のためとはいえ、父を殺すことなど出来ないと思い悩んだ晴信は、茅野に嫁いだ姉の伊佐に文を書いた。父を国主の座から退けなければ、この国が危うい事になる。だが、父を殺す決心がつかないと。
ひそかに父の素行を憂いていた伊佐は、父を追放してしまえばいいとの返書を晴信に出した。その文を追うようにして、義兄の元直から、孝信宛に誘いの文が届いた。茅野の国にいる美女という美女を集めた月見の宴を開くと聞き、好色な孝信は出かける事を決めた。
晴信は、これは姉と義兄が力を貸してくれるのだと判じた。克頼も同意を示し、孝信に知られぬよう家臣らと相談した。孝信の身柄は丁重に預かるという義兄からの連絡があり、晴信は父を追放し、国主となる覚悟を決めた。誰もがたくらみの切れ端すらも漏らさぬよう、一枚岩となって孝信を茅野へ送り出した。そして孝信が茅野に到着したという知らせを受けてすぐに、先代は隠居のために出国したと国内外に触れ回った。
「俺は……」
寝返りを打ち、晴信はぽつりと零す。周囲に推されて国主の座に就いたはいいが、はたしてその器量があるのだろうかという不安があった。
ふうっと息を吐いた晴信の耳に、克頼の声が響く。
――私がおります。
きっぱりとした声と共に凛々しい顔を思い出し、晴信は体の力を抜いた。
「俺が一人で国を動かすわけじゃない」
父は周囲の声に耳を貸さず、勝手気ままに振る舞ってきた。そんな父のもとで、国を維持してきた重臣たちがいる。彼らの力を借りて、民が平穏に暮らせる国を作っていけばいい。無知だと感じているのなら、自分の良心と向き合いながら色々な事を知っていこう。
「よろしく頼むぞ」
つぶやいた晴信は、幾分か軽くなった心を勇気づけた。
父のものだった国主の座に腰を下ろした晴信は、居並ぶ家臣たちを見回した。晴信の背後には、克頼が控えている。
「他国の方々を招き、新しき国主としての披露目の宴を行わなければなりません」
克頼の父、頼継の言葉に、晴信は頷いた。
「父が隠居したという話は、十分に広まっているのだろうか」
「国中に人をやり、広めております。行商人や旅の者から外へと広まるでしょう」
小笠義元が問いに答え、三嶋兵部がわずかに膝を進めた。
「披露目の準備が整うまでに、乱れた国内をわずかでも立て直さねばなりません。でなければ、この霧衣の瑠璃を狙い、攻め入る口実を求めている国に付け入られます。つきましては、各所より先代のお館様が集められた人質の処遇ですが……」
「人質?」