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霧衣物語  作者: 水戸けい
24/42

だからこそ

 目をしばたたかせた晴信は、質問の意図がわからないまま答える。


「教育係という意味ならば、頼継だな。あとは乳母と、身の回りの侍女たちというところか」


「そう。いわば、この頼継が父代わりという事になります。晴信様は、父君の孝信様とは、あまりお会いにならずに育ちました。これは国主の子としては当然の事。その周りを囲む者たちにとっても、ごく当たり前の話。けれど民からすれば、想像をする事も無いような育ち方。多少の例外はあれど、親の姿を見て育つものだと思っている。そして知らずに、親の言動が移るものだと考える。だからこそ、里の者達は晴信様の内側にあるであろう、孝信様を恐れた」


 晴信と克頼が顔を見合わせる。


「もともとの資質の違いで、似ぬ場合もありますが」


 共に育ちながらも対象的となった二人に、頼継は目じりに優しいしわを刻んだ。


「民は孝信様を追放した晴信様もまた、気性の荒いお方だろうと考えた。その考えに則っての行動が、久谷の民の反応、という所かと」


 言葉を切った頼継は、ちらりと二人の反応を伺った。


「俺は父上とは違う。それを、民に示したい」


 胸を張った晴信を、克頼がすかさず止めに入る。


「だからと言って、直接に出向くのは危険です。さしさわり無き里があれば、私から申しあげます。それまではご自重ください。安易に出向き、久谷とは逆の行動を取る里があれば、どうするのです」


「そういう里にこそ、俺は行かなければならないと思う」


「危険です」


「それだけの事を、父上は民にしてきたのだろう?」


 晴信の苦しげな声に、克頼は息を呑んだ。二人の肩に手を乗せて、頼継が静かに諭すような声を出す。

「どちらの言い分も、間違ってはいない。けれど霧衣の現状を考えれば一刻も早く、民に晴信様を受け入れてもらわなければならない。その事は、克頼もよくわかっているだろう」


「だからと言って、晴信様を危険にさらすわけには」


「克頼」


 頼継は鋭く、息子の言葉を遮った。


「有事のために、武家としての鍛錬を積んでいたのではないか。霧衣の国は、どうしようもないほど民の心が離反している。他に行く所が無いから、仕方なく民は国内に留まっているというような状況だ。民無くして、国は国としてはおられない。このまま心の離反が進めば、隣接する国々が好機と見て、自らの領土を広げるため、霧衣の瑠璃を我が手にするため、さまざまな手を伸ばしてくるだろう。属国とされるのならば、まだいい。だが、搾取する土地との考えで来られたらどうする。民の生活は、逃れられぬ地獄の日々となるだろう。この言い方は酷と思うが、孝信様が酷使し虐げてきた民を安寧に導くためには、晴信様にも命をかけてもらわねばならぬのだ。それほどに、この国は危急の状態と心得よ」


 内容は厳しかったが、頼継の声は子どもに言い聞かせるようにやわらかだった。その声音が、二人の胸に刺さる。きゅっと眉を引き締めた晴信が強い瞳で訴えた。


「俺も人。民も人だ。人に自分を理解してもらおうとするには、直接に会話をし、双方の意識の違いを擦り合わせなければならないと思う。それに、俺は何も知らなすぎる。百聞は一見にしかずと言うだろう? 直接に見て、肌で感じ、この国の主としての意識を高めたいんだ」


 晴信の言葉を受けて、頼継が願うように克頼を見た。覚悟を持ってそれを受け止めた克頼が、晴信と頼継に向けて手を着き、頭を下げた。


「お命じ下されば、なんなりと」


 晴信は克頼に、物事を頼んだことはあっても、命じた事は無かった。緊張気味に背筋を伸ばして言いつける。


「宿老、牟鍋頼継の同意を持って、里の巡察の供を申しつける」


 周囲に押し上げられる形で国主となった晴信は、父の跡を継いだのだからという、漠然とした心地があった。それが、この発言で払拭された。


「は」


 短く返答をした克頼と、頼もしくなった晴信の横顔を、頼継は感慨深げに瞳の奥で受け止めた。



 硬い表情で、克頼は馬に乗っていた。晴信はそれに苦笑する。


「心配しすぎだぞ、克頼」


「しすぎるに越した事のない状況であると、出る前に申し上げたはずです」


「ああ、聞いた。聞いたが、こちらが怖い顔をしていれば、相手も警戒をするだろう」


「晴信様は穏やかにおられれば良いのです。私が警戒をしておりますので」


 ふうっと息を吐いた晴信は、道の先に目を向けた。周辺を探り帰ってきた者の話によれば、どこも晴信を孝信とそう変わらぬ人間と思っているらしい。その報告を耳にしていたから、克頼は晴信が軽装で外に出る事を嫌った。けれど命とあれば仕方がない。晴信の気持ちも聞いてしまったからには、引き止める事ができなくなった。そのために自分の出来る最大限の警戒をしようとしているのだと、晴信にも容易に想像が出来た。克頼の気遣いを、ありがたくも不器用な奴だと受け止めていた。

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