表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧衣物語  作者: 水戸けい
19/42

父の落とした影

 すっかり栄を信じ切っているらしい晴信に、克頼はもやもやとした気持ちを抱えつつ、栄やその周辺の監視役の事を頭に浮かべた。妙な動きをすれば、取り押さえるよう言ってある。晴信の素直さを活かすべきかと、これ以上の小言は止めにした。


 里にさしかかる道に、やせこけた若者がいた。彼は晴信らの姿を見つけると、大きく手を振りながら「いらしたぞぉ」と叫んで里に走った。


「晴信様」


 克頼は警戒を滲ませ、馬を下りずに進む事を晴信に勧めた。晴信は渋々ながら了承し、騎乗のまま里の入り口に向かった。


 少し進むと、わっと人が現れ、馬の前に膝を着いた。


「ようこそ、お越しくださいました。ささ、どうぞこちらへ」


 さあさあと里の者たちに促され、二人は緊張を漲らせて馬を下りた。里長の屋敷へ案内されると、熊の毛皮の敷物を勧められた。


「新しくお館様となられた晴信様が直々に来られると聞き、至らぬ点は多々ありましょうが、酒食の用意をさせていただきました。私、里長を勤めさせていただいております、久谷弥次郎ひさや やじろうと申します」


 床に額を擦りつけた弥次郎に続き、他の者たちも同じように頭を下げる。晴信は歓迎の気配が妙である事に気づき、克頼に目を向けた。克頼は何を考えているのか判らない、能面のような顔をして控えている。


「早く料理をこちらへ」


 合図と共に、粗末ながらもキレイに着飾った若い娘が数人、料理を捧げて現れた。


「朝から山に入り、仕留めたキジでございます」


 出された料理は、とても食べきれるような量では無かった。


「酒も、上等のものとは言えませんが、用意をさせていただいておりますので、どうぞお召し上がりください」


 娘たちの中でも、一番愛らしい顔立ちをしている者が、晴信に酒を注ごうと傍に控える。


「いや。俺は、酒を飲まないんだ」


「さようでございましたか。それは失礼をいたしました。それでは代わりに、ヨモギ茶をお出し致しましょう」


 早くしないかと弥次郎が言えば、人が慌てて立っていく。


「いやはや、申し分ございませんでした」


 晴信は、なめした皮のような色をしている弥次郎の顔に、媚びを見つけた。その目を他の者に向けると、怯えが映った。これは何だ、と晴信の心中が寒くなった。これが“歓迎のもてなし”と言えるのかと、彼らの笑顔の奥にある恐怖を見つめた。


「お口に合うかどうかは、わかりませんが」


 ヨモギ茶が運ばれ、若い娘がそれを受け取った。晴信の横に座り、それを勧める娘の笑みが、強張っている。恐怖を必死に抑えようとしている娘の顔に、晴信は肌身から骨へと寒気が浸みるのを感じ、立ち上がった。小さな悲鳴とどよめきが起こる。


「申しわけございません」


 すかさず、娘が手を着いて謝った。小さな肩が震えている。これは何だと頭の中で繰り返す晴信の体は、肝の芯まで冷え切った。


「ええい、何をした!」


 弥次郎が大股で娘に近付き、拳を振り上げた。それを克頼が止める。


「ひっ」


 克頼が手を離すと、弥次郎は青ざめた顔で後じさり、申しわけございませんと繰り返した。


 晴信は、ゆっくりと座を見回した。誰もが怯え、震えている。彼らが見ているものは晴信ではなく、彼の背後にある先代国主の姿だった。父が今まで行った事が、彼らを卑屈にさせている。


「俺は、父上ではない」


 ぽつりと晴信が言った。怯えている者たちは、それが聞こえなかったらしい。ただただ許しを乞うて、震えている。晴信の声を聞いたのは、克頼だけだった。


 晴信は克頼を見た。克頼は何も言わず、ただ控えている。自分でなんとかしろという事かと、晴信は気を静めるために深呼吸をし、膝を着いて震える娘の肩に手を置いた。


「ひっ」


 鋭い悲鳴を上げて跳ねた娘は、音が聞こえそうなほど激しく身を震わせた。


「何もしていないというのに、何故謝る」


 晴信の声は悲哀に満ちていた。娘の顔を上げさせれば、血の気が失せている。怯えに潤んだ瞳に、晴信は笑いかけた。


「名は、なんと言う」


 唇を震わせる娘の喉は、ヒュウヒュウという音しか漏らさなかった。恐怖のあまり声が出せないらしい。娘の姿を通して、父の業がどれほど深いのかを見つめた晴信は、音が鳴るほど奥歯を噛んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ