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第5話 決闘は早朝

 軍が西域へ出征するその日まで、春藍はできる限り霄文を避けていた。

 家でも顔を合わせないように行動したし、会ってしまった時もあまり言葉を交わさなかった。霄文もまた、無理に春藍と話し合おうとはしなかった。


 しかし霄文が出発する当日の春藍は違った。日が昇りはじめた早朝、春藍は身支度をすませ、霄文のいる棟の前に立っていた。


「伯父上。起きていますか」


 真剣なまなざしで霄文を呼ぶ。春藍の凛とした声は、抑え気味でもよく響いた。


「春藍か。何の用だ」

 もう目を覚ましていたらしく、霄文の返事はすぐにかえってきた。

「伯父上が戦へ行く前に、手合せしていただきたいと思います」

 春藍は格子状の戸越しに、霄文に頼んだ。


 ――これは最後の機会だ。もしもここで、伯父上に勝てれば……。いや、勝つのは無理だ。せめて引き分けにできれば、伯父上も私を見直し、戦へ連れて行ってくれるはずだ。


 霄文と槍を交えるその瞬間を思い、春藍は震えた。


 春藍の意図を理解し、霄文はすこしの間沈黙した。


「わかった。庭で待っていろ」

 そして、霄文は仕方がなさそうに答えた。

「ありがとうございます!」

 春藍は目を輝かせ、勢いよく言った。


 春藍と霄文の住んでいる邸宅は、中庭をぐるりと囲む造りになっている。芝生が生えた庭に物はなく、二人の人間が試合をするのに十分な広さを持っていた。

 東の空が色を変えて、あたりを明るく染めていく様子を眺めながら、春藍は槍を片手に霄文を待った。冷たい朝の空気に体を冷やさないように、軽く体を動かす。


 しばらく待つと、厳しい顔の霄文が模擬戦用の槍を持って現れた。鎧は着ていなかったものの、戦用に仕立てられた上衣と袴を着た霄文の姿は勇壮で、貫録があった。


「では、始めるか」


 霄文は春藍から数歩離れたところで立ち止まった。冷えた風が二人の間を通り抜ける。


「はい。よろしくお願いいたします。伯父上」

 春藍は微笑み、拳をもう片方の手で包んで、礼をした。

 そして、腰を低くして槍を構える。


 霄文も、同じように構えた。師弟の関係になる二人の構えは、よく似ていた。


 お互いを見つめ、思考を読み合う春藍と霄文。二人は目と目で始まりを定めた。

 それが試合開始の合図となった。


 まず春藍が、水平にまっすぐ槍を突き出した。

 高い位置で結ばれた黒髪が、一瞬でたなびく。素早い先手であった。


 霄文は目を細めて春藍の動きを正確にとらえ、その穂先で自分に向けられた槍を絡めとった。そしてそのまま、相手の槍に滑らすように自らの槍を押し出した。


 春藍は身を反らして横に跳び、霄文の槍を避けた。距離を取り、体勢を整える。

 霄文は間髪入れずに次の動作に移っていた。槍で風をきり弧を描いて、春藍の胴を狙う。

 霄文の槍の軌道を読み、春藍は防御の姿勢をとった。

 しかし、霄文は冷静に攻撃を下方へと切り替え、春藍のひざ下を払いのける。


 ――中段と見せかけて下段か?


 予想外の攻撃に、春藍は体勢を崩した。その隙を見逃さず、霄文は春藍の腹部を突こうとした。細やかで鋭い、計算された攻撃である。


 霄文の体が、春藍の目の前に近づく。

 春藍は慌てて槍と槍を打ち合わせ、霄文の突きを防いだ。強烈な突きに春藍は衝撃を受け、防御が成功しても後ろに飛ばされた。


 ――伯父上の突きは、やはり重い。だがしかし、この流れの後には一瞬だけ、隙が生まれるはずだ。

 春藍は着地のはずみを利用して跳躍し、攻撃を終え構え直している霄文の胸部を槍ではね上げるようにして狙った。緋色の衣が朝焼けの光に溶けるようにはためいた。


 鮮やかな残像を残し霄文に迫る、激しい一撃。


 しかしその時、霄文の瞳が鋭く光る。春藍の考えは霄文に完全に読まれていたのだ。

 霄文は背を低くかがめて、横に避けた。

 そして春藍の後ろに目で追えないほどの素早さで回り込み、無防備な春藍の背中を石突きで容赦なく打ち据えた。


 春藍は強い衝撃を受け、倒れた。気付けば、目の前は芝生に覆われた土だった。仰向けに転がり、悔しさに片手で顔を覆う。模擬戦用の武器でも、当たればそれなりに痛かった。


「やはり、伯父上は強いですね」

 指のすき間から見える霄文の立ち姿に、春藍は負けを認めた。春藍には霄文が、いつもにもまして大きく見えた。


「お前が腕を上げたから、わしも本気を出さざるをえなかった。すまない、痛むか」

 霄文は心配そうに屈んで、春藍に手を差し伸べた。先ほどまでの厳しさは消え、いつも通りの優しい伯父に戻っていた。

 霄文の気遣いに、春藍は顔をしかめた。

「別に平気です」

 春藍は身を起こし、そっけない態度でそっぽを向いた。苦々しい表情で、霄文をなじる。

「私が伯父上に多少の本気を出させることができたって、どうせ戦場に連れて行ってはくれないのでしょう?」


 行き場のなくした手を引っ込めて、霄文はまっすぐに春藍を見つめた。

「春藍、お前はわしにとっては、帰る場所なのだ。お前にここで待っていてほしいと望むのは、それほど許されないことなのか?」

 霄文は切なげな表情で、そっとささやいた。春藍への真摯な思いやりや真心が、そこにはあった。


 春藍は体が熱くなって、何も言えずに地面を見た。


 ――どんなに大切に思われていたって、そばにいられないなんて私は嫌だ。帰る場所であるよりも、私はずっと一緒にいたいのだ。


 言いたいことが一斉に春藍の心を駆け巡る。だがそのうちのどれも、春藍は口にはできなかった。言ってなだめられてうやむやにされるくらいなら、言わずに心に秘めておきたかった。


 霄文は、うつむく春藍の頭を優しく撫でた。

「しばしの別れだ。春藍。すぐ戻る」

 少しわざとらしい明るい声に、春藍はこらえきれずに霄文を見上げた。


「伯父上…」


 春藍は胸を締め付けられるような気持ちで、霄文を呼んだ。


 霄文の瞳には、春藍よりも長い時を生きてきた深みがあった。しわの刻まれた顔をにこりとゆるめ、霄文は春藍の頭からゆっくりと手を離した。


 静かに立ち上がり、去ろうとする霄文を、春藍は黙って見つめていた。

 行かないでくださいと言う発想は春藍にはない。


「伯父上の馬鹿」


 朝日に照らされ、邸宅の門へと歩く霄文の背中に、春藍は小さくささやいた。

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