彼を感じる瞳を持つ人達
「ど、どうして黒崎様が……」
「黒崎?」
震える叔父の声に、私は小首を傾げた。
様子が変だ。ガチガチと歯を鳴らしながら、背を丸めている。
それはいつもなら考えられない態度。
「馬鹿か。呼び捨てにするな! この方は黒崎コーポレーションの副社長・黒崎彩人様だ」
「えっ……!」
時間が止まったかのような錯覚を覚えた。
静寂が包む中、自分の鼓動が一度高く弾み存在をアピール。
まさか、そんな――
黒崎コーポレーション。
それを知らない者はいないだろうってというぐらいの大会社。
私達が最も身近なものでは、テレビのCMスポンサーなどで見かける。
たしか、旧華族を血筋に持ち政界などにも大きなパイプを持っているなんて話も聞く。
そんな雲の上のような人達とは出会うなんて想像もしなかったのに……
「僕がいても不思議ではないでしょう? ここは貴方の自宅ではないのですから。それよりも無粋ですよ。廊下を走るなんて」
「も、申し訳ありません……ご不快にさせたようでして……さぁ、光莉! 戻るぞ!」
「僕はこの子に用があるので、申し訳ないですけれども一人でお戻りになって下さい」
口調は優しいのだけれども、逆らえない何かがある。
叔父よりも半分ぐらい年が下なのに、それを微塵も感じさせない。
「それは困ります! 光莉がいなければ……!」
叔父の悲痛な叫びにも、黒崎さんは眉一つ動かさない。
「光莉、来い!」
どうやら黒崎さんには強く言えないらしく、矛先が私へと向かう。
私がいなければ融資実行は不可。
ここを逃げられたとしても、きっと逃しはしないだろう。
アパートや大学に押しかける未来が見える。
「……そうですか。どうやら僕のお願いは聞いて貰えないようですね。実に残念です」
落ちたトーンに、叔父が慌てて首を振る。
「いえ、私は黒崎様に刃向おうなんて思ってはおりません!」
「では、この障子の奥にいる方ならば聞いて貰えますか?」
そう言って黒崎さんが視線で指したのは、さっき出てきた部屋。
どうやら誰かいるらしい。
障子が締められているため、中の人物までは窺えない。
「奥ですか……?」
「えぇ。今、祖父と昼食中なんですよ」
「黒崎会長と!?」
「えぇ。どうなさいますか? あぁ、そう言えば、先ほど沢西さんの名前が上がりましたね。どうでしょうか? 沢西さんには僕の方からお話を通しますが」
「……わ、わかりました。それなら」
きっと言いたい事は多々あるだろう。
だが、会社の規模も資産も違う。
敵に回すには厄介どころの話ではない。大人しく引き下がった方が得策だろう。
こちらを一睨みした後、とぼとぼと背を丸め叔父はつい先ほどまでいた部屋へ向かって足を進めて行く。
どんどんと小さくなるその背を視界に入れ、私はやっと安堵の息を零す。
それが聞こえていたらしく、黒崎さんは「お疲れさま」と労いの言葉をかけてくれた。
「助けて下さってありがとうございました」
深々と頭を下げながらお礼をのべる。
本当に黒崎さんと出会えて良かった。
助けて貰えなかったら、今頃捕まってしまっていたかもしれない。
これが一時しのぎにしろ、対策を考えるだけの時間は稼げる。
「ねぇ。関わったついでに事情を聴いてもいいかな?」
「はい。ですが……」
「こっちの心配は大丈夫だよ。じゃあ、立ち話もなんだし中へ入って。さぁ、どうぞ?」
黒崎さんは微笑むと障子を開けて中へと私を促してくれた。
拡がった視界。一番正面は手入れの行き届いた庭がガラス越しに見え、まるで切り抜かれた絵画のよう。
その手前が座敷になっており、洋風の足の長いテーブルと椅子セットが設置されている。
畳の上にあるため、一瞬だけ違和感が湧いたがすぐに引っ込んだ。
きっとご年配の方用に膝や腰に負担をかけないように、こういった部屋も用意してあるのだろう。
「聞こえていましたか?」
「……少しな」
テーブルには椅子が2対2に別れているのだけれども、その上座の座席に一人の初老の男性が座っていた。
白髪交じりの髪を撫でつけたスーツ姿が似合う紳士。
階に刻まれた深い皺が貫録を感じ、少しだけ威圧的に感じる。
この方が黒崎会長だろう。
――……また、赤城君が頭を過ぎっちゃう。
会長の目元も赤城くんに似ていた。
「電話は構わないのか?」
「えぇ。後でも問題ありません。今はこちらの方が」
そう言って黒崎さんはこちらを見た。
似ているせいかどうしても赤城くんを思い出してしまい、心臓がぎゅっと掴まれてしまう。
それがなんだか恥ずかしくて、私は自然と俯いてしまう。
「さぁ、座って」
黒崎さんの言葉に従いそのまま足を進めるけれども、途中でぴたりと止まる。
一体自分は何処へ座ればいいのだろうか?
さすがに会長が座る上座は駄目なのは理解出来ている。
けれども、だからと言って反対側の黒崎さんの方とは断言出来ない。
――そもそも私なんかが同席しても良いのだろうか……?
それに気づいたのか、黒崎さんは「僕の隣へどうぞ」とフォローしてくれた。
食事の途中だったらしく、二人の席には料理が並んでいる。
「ご迷惑おかけして申し訳ありません。お食事中なのに……」
「いや、構わぬよ。それより先ほどの騒動は?」
「それ僕も聞きたいな。それから、さっき僕の事を赤城くんって言ったよね? もしかして赤城当麻?」
「え? どうしてそれを……?」
私が小首を傾げ尋ねれば黒崎さんも会長も困惑気味な表情を浮かべている。
もしかして知り合いなのかもしれない――
「赤城君をご存じなのですか?」
「うん。よく知っているよ。自分の言った事は絶対に曲げないし、人の話もろくに聞かない意固地でしょ?」
「……すみません。もしかしたら、私が知っている赤城くんと、黒崎さんが知っている赤城くんは同性同名なのかもしれません。バイト先で一緒の赤城当麻くんは、とても優しくて思いやりある人です。みんなの事をフォローしてくれますし、帰り道いつも送ってくれる気遣い屋ですので」
「え? あいつが送る!?」
「当麻が!?」
何故かそれには二人とも反応が大きかった。
身を乗り出しながら、まるで幽霊でも見ているかのような表情。
やはり同性同名の人違いなんじゃ……?
「二年で人は変わるもんだね……あいつも、大人になったんだな……」
しみじみとそう呟く黒崎さん。それに同意するように頷く会長。
「そっか。当麻は君の事を送ってくれるのか……と言う事は、あいつは君の事……ふふっ」
口元に手を当てながらクスクスと笑い始める黒崎さんに、私は小首を傾げた。
「あの……やはり同性同名では?」
「君のバイト先って、ファミレス・ナカノ?」
「はい」
「ならあっているよ。その赤城当麻で。さて、当麻の事少し聞かせて貰ったから、次は君の番だね。一体何故追われていたか教えて」
「はい……」
私は今までの出来事を話した。
叔父さんに電話で呼ばれてからの事、ついさっき和室であった事を――
話しを進めて行くうちに、黒崎さんと会長の顔はどんどん曇っていく。
やはり聞いていてあまり気分が良いものではない。
「――……そうか。わかった。この件はこちらに任せて。五千万は僕が立替えるよ」
「待って下さい! そんな簡単に引き受けるような額では……」
いくらお金持ちとはいえ、こんな見ず知らずの他人に即金で支払う額ではない。
私に何かしらの能力があって投資としてなら話もわかるが、ずば抜けてた何かを持たないためそんな事はありえない。
「ごめんね。僕は君が考えているような善良な人間じゃない。ちゃんと下心があるんだ」
「下心……?」
「そう。だから気にしないで」
「私には価値が……」
「あるよ。とても」
そう言ってこちらに満面の笑みを浮かべてくれた黒崎さん。
けれども、何故だろう。それが物凄く黒く感じてしまうのは。