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月光

作者: 川野たすく

空は冴え冴えと澄み渡り、月は青白く光っていた。

ベランダに面した窓はカーテンを開け放たれて、すずやかな風と一緒に月光を呼び込む。

その月の光を浴びながら夜空を眺めていると、わけもなく泣きたい衝動が襲ってきた。

胸を締め付けられるような、切なさ。

体中を掻き毟りたくなるような、淋しさ。

このどうしようもない衝動は誰が居ても埋められないだろう、とキョウコは思う。


実際、傍らのベッドにはケイスケが安らかな寝息を立てている。

つい先刻までキョウコはケイスケと同じ閨にいて、その刻印はキョウコの深いところに今も残っている。

コトを終えた心地よいけだるさに包まれたまま眠れればよかったのだけれど、その心地よさはケイスケだけを運び去り、キョウコは月光の中に残された。


そして今、キョウコは素裸で夜風と月光を浴びながら窓辺に座っている。

風が時折カーテンを揺らし、布地がキョウコの肩に触れる。

それはケイスケの愛撫とはまた違った優しさで、心をとろけさせる。

どうしようもない切なさと孤独感に苛まれ、号泣したい衝動を押さえつけているというのに、この満ち足りた気分はどうしたって言うんだろう。

カーテンがまたふわりと揺れ、キョウコの頬をやさしく撫でた。


ピロートークの前に飲みさしたワインはとうにぬるくなって、汗をかいたワイングラスは足元に水溜りを作っている。

キョウコは構わず残っていたワインを干した。

ワインは生ぬるく、すっぱさと渋みを残してキョウコの喉の奥へ吸い込まれた。

アルコールが沁みていく感覚が涙腺を解き放ち、キョウコの目から涙がこぼれた。


キョウコは涙が頬を伝うのを感じた。

涙を意識したとたん、あとは滂沱となってほとばしった。

ああ、これこそあたしが生きている証拠。

嗚咽をかみ殺しながら、キョウコは泣いた。

最後はわんわんと声を上げて泣いた。


いつの間にか膝の辺りにはワイングラスの足元よりも大きな水溜りが出来て、ケイスケが身を起し、闇の中から月明かりの中で号泣するキョウコを見ている。

いぶかしむケイスケの視線を感じると、キョウコの感情の暴走は止まった。

小さくはなをすすりあげ、口の端をぎこちなく上げてケイスケへ目を向ける。


どうした、とケイスケが優しく肩に手をかけた。

なんでもないの、とキョウコは首を振る。


たぶん、ケイスケは理解できないだろう。

涼やかな風と、冴えた月光、優しく揺れたカーテン。

突如沸き起こった、切なさ、淋しさ。

体中を掻き毟りたくなるような、衝動。

キョウコはそんな感情に襲われながらも幸福で、それが余計に哀しかったこと。

でもそれは、ケイスケの態度が冷たいとかそんな現実的なことではなくて、現実的には「何も無かった」のに、どうしようもなく泣きたくなったのだということ。

それはきっと、ケイスケには分からないだろう。

仮に分かったとしても、これはキョウコひとりのものにしておきたいと思った。


ケイスケが優しくキョウコを抱きしめた。

それでもいい。

今は、もう眠ろう。

あたしはこんなにも幸せなのだから。


キョウコはケイスケに促されてベッドに入り、ケイスケの耳元に顔を寄せて目を閉じた。

ケイスケの手が何も心配することは無いよ、というようにキョウコの背を撫でた。


月はいよいよ高く上り、部屋に差し込む光は面積を狭めていた。

窓辺に残されたワイングラスの底で月が静かに光り、カーテンがその輪郭を撫でた。


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