外伝 『戦闘機乗り』とTHBF乗り
『せんとうきみたいでかっこいい』
足元で声がしても俺にはその子供の声しかわからない。
それでも声に悪意は微塵もなく、むしろ敬意と羨望を感じた。
逆に少々胸を痛めることになったが。子供は残酷である。
ぺたぺたと私の腰をたたくそのちいさなもみじのような手は幼児の手であることがわかる。
「こら。飯島。やめろ」「森田。かっこいい」
子供の連れの老人が深々と無礼を謝罪するが私には気持ちだけあいまいに笑うことしか出来やしない。
「これ、かっこいい。ぼくにも作って。森田」「こら」
そんなやり取りを私の家族は苦々しく見守る。あいまいに子供を離そうとする。
かっこいい。か。
自分の糞の世話すらできない今の私をかっこいいという者と遭うのは初めてだ。
そのセリフはかつて羨望とともに私に向けられていたはずだ。
そのときは当然のように感じ、なんとも思わなかったのが皮肉だが。
スポーツ万能。成績優秀。未来を嘱望されていた私。
その指先が震えだし、徐々に固まっていく恐怖。
それは、私の身体が一切動かなくなる日まで続いた。
私の一族が比較的裕福だったこと、いくばくかの援助金からこのベッドが手に入ったがそれがなんなのだろうか。
それでも私は、それでも私は自らの難病を癒すために医者を志した。
手なんて動かない。問題集を親に読んでもらい、答えを暗記してマークシートに代筆してもらう。
声も出ない。それでも私のもどかしい意思は伝わる。
「ねね。この問題わからないんだ」
『森田』の連れと思われた『飯島』なる少年はしかしこの学舎の生徒であった。
『森田』があいまいに説明するに、子供の姿のまま成長しない難病。らしい。
私が彼らと仲良くなるのにそれほど時間はかからなかった。
というより、『飯島』が私の腰元に突撃してくるからだが。
一応言っておく。私にはまだ痛覚があるのでやめてくれ。苦笑いできたらそうしただろう。
悪臭漂う私の腰回りに突撃してくる彼に内心苦笑いしながら、『森田』が謝る姿に心の中で礼を言いながら私と家族は彼らといくばくか話をした。
「医者になるんだ。お兄ちゃん」「うん。そうだよ。絶対お医者さんになって飯島君と僕の病気を治してやるんだ」
『飯島』は私の口元の動きから私の意思を正確に把握していると言うのだが医者たちが言うには『おかしい』らしい。
そもそも私の口元はよだれを間断なく垂れ流す程度に緩み、麻痺しきっているのだから。
しかし彼が複数言語を操る天才少年。そう。私が見ても嫉妬するほどの天才だとわかったとき、若干納得できなくもなかった。
「飯島君の夢は?」「なんなんだろうねぇ」
勝手に私のベッドによじ登り、私の顔の近くで戯れる彼に呆れながら将来の話をするのは楽しかった。
将来なんて、勉学をすることで前向きになっているふりをして逃げていた。
だが、負けられない。自分の運命に。彼に。
「たぶん。『夢を守ること』だと思う」なんだそれは。
けたたましい足音。
軍人の服装をした人々。明らかに研究者とわかる人たちが寄ってくる。
「副長! 緊急事態です! 今すぐ現場に向かってください! あ……」「いい。いい。秘密なんだからだまって」ひみつ?
「お兄ちゃん。行ってくる」
そういってほほ笑む『飯島』の顔は。
大人の男の決意した顔だった。
その後、『飯島』や『森田』に会ったことはない。
かつての私が難病に侵されていたと知る者もいない。
妻に話してみたが嫌そうな顔をされた。少々胸が痛んだがそういうものなのだろう。
そういう未来は、病気になる前の私は考えもしなかった。
妻の知る。考える私はこの上ない美男子で、医学の研究者でスポーツマンの私しかないらしい。
私は彼女の考える私だけではない。私の歩んだ道があり、その道の延長に今の私がある。
『THBF隊解散』そう書かれた新聞を難病克服の過程で読んだことがある。
文字を読みたくても認識できなかった当時の私がなぜかわかったこと。
その日から私は文字が少しづつ読めるようになり、学業の道をさらに険しいものにできるようになった。
誰も見ていない。
だが私が見ている。まだ見ぬ友が見ている。
天が見ている。地が見ている。人々がいずれ知る。
私たちの誇りと、道程を見ている。
いつか、あの二人に出会える時、始めて会った時のように胸を張っていたい。
幾年経っただろうか。突然の知らせ。
『ノーベル医学賞を授与します』
私は祝福に来てくれた旧友とシャンパンを交わした。




