夫はグチャグチャになったケーキでも美味しく食べてくれます
伯爵夫人ルカーシア・ドルトは6歳の娘ミスティ、侍女のヘレナとともに街を歩いていた。
ルカーシアはキャラメルブロンドの髪をシニヨンにまとめ、穏やかな顔立ちの美しい夫人である。ミスティもまた、母と同じ色の髪を肩まで伸ばし、桃色のドレスがよく似合う可愛らしい令嬢だった。
「ケーキ、ケーキ、ケーキ!」
ミスティがはしゃぐ。
今日ルカーシアたちはある有名店のケーキを購入し、帰宅途中だった。
嬉しさでピョンピョン跳ねるミスティを見て、ルカーシアもヘレナも頬を緩ませる。
ドルト伯爵家の邸宅に帰宅後、さっそく三人はキッチンに入る。
購入したケーキは小麦色のクリームが塗られ、ロイヤルベリーという赤い果実が載せられたものだった。
ミスティは「おいしそ~」と声を上げる。
「じゃあ、ケーキを四つに切り分けましょうか」
ルカーシアの提案に、ヘレナが「三つじゃないのだろうか」という顔をする。
「私と夫、ミスティ、それにヘレナの四人で分けたいから」
「私も? ……よろしいんですか?」
「もちろんよ。買い物に付き合ってくれたんだもの」
ヘレナもまだ10代の少女である。一流店のケーキを食べられることになり、満面の笑顔になる。ルカーシアもその表情を柔らかな眼差しで見る。
すると、ミスティが――
「わたしが切るー!」
ケーキを切りたいと言い出した。
ルカーシアは少し迷ったが、ヘレナに「ミスティ様なら大丈夫ですよ」と言われ、ミスティにケーキナイフを手渡す。
「危ないからね。絶対ふざけちゃダメよ」
「うん!」
ミスティも聞き分けはよく、打って変わって真剣な眼差しでケーキにナイフを入れる。
綺麗に四つに切り分けることができた。
ところが――
「あっ!」
皿に載せるところで、失敗をしてしまった。
パパのためにとロイヤルベリーを多めに載せたケーキだったが、落とすように皿に載せてしまい、形が崩れてしまったのだ。
「パパ用のケーキが……」
最後の最後にミスをしてしまい、落ち込むミスティ。
これを見たルカーシアは、娘に向かって優しく声をかける。
「大丈夫よ、ミスティ。このままパパに出しましょう」
「え、でも……」
「パパは美味しく食べてくれるから」
母の励ましに、ミスティはきょとんとしていた。
***
ルカーシアの夫ザルツ・ドルトが帰宅する。
ザルツはダークブロンドの髪をきっちり整えている精悍な青年で、将来を嘱望された若き伯爵である。
家族三人で夕食を取り、食後に先ほどのケーキが出される。
「今日はミスティとケーキを買ってきたのよ。デザートにどうぞ」
ミスティはザルツにケーキの載った皿を渡す。
多少形は崩れているが、ザルツは気にする素振りも見せず、フォークを入れる。
「うん、美味しいよ。さすが有名店のケーキだ」
これを聞いたミスティは笑顔になる。
「やったーっ!」
「ほらね?」
「うん、でもなんでパパは美味しく食べてくれるって分かったの?」
ルカーシアはザルツに目をやる。
「あなた、あの時のことをこの子に話してもいい?」
「……? あの時って?」
「ほら……結婚前のケーキの話」
「ああ、あれか」
ここまで今一つ事情を呑み込めていなかったザルツも、ようやく理解した表情になる。
「まあ……好きにしてくれ」
ザルツはこう答える。
積極的に話すことでもないが、君が話すなら止めはしない、というスタンスだ。
「じゃあ、パパの許しも出たことだし、昔話をしましょうか」
「わーい!」
ケーキを食べながら、ルカーシアはまだ結婚する前の自分自身を思い返す。
***
子爵令嬢ルカーシア・マルソーと伯爵令息ザルツ・ドルトが婚約した。
ルカーシアはキャラメルブロンドの波打つ髪を背中まで伸ばした快活な令嬢で、一方のザルツはダークブロンドの髪を整髪油で分け、スーツをビシッと着こなす無口無表情の令息だった。
マルソー家が持ちかけた縁談がそのまま形になったという格好で、ほとんど交際を経ない状態からの婚約だった。
ルカーシアとザルツ。性格はあまりにも対照的で、会話もこの通りである。
「ザルツ様はお休みの日、なにをなさるんですか?」
「……狩りをするね」
「わぁっ、大物をバンバン獲るんですね!」
「いや、そこまでの大物はなかなか獲れないね」
「じゃあ、小物をバンバン獲る感じですか?」
「ああ」
「すごい! 今度ご一緒してもいいですか?」
「いや……危ないから、やめた方がいい」
「ザルツ様ってお優しいんですね!」
「いや、優しいというか、当然の忠告なんだが」
「そういうところがまたお優しいんですよ!」
「……」
どこかチグハグな印象を受ける。
近くでやり取りを聞いていたルカーシアの兄は「この二人が本当に夫婦になれるか心配だった」と当時について語っている。
しかし、婚約期間は特に問題なく過ぎていき、そんなある日――
「来月の12日は、ザルツ様のお誕生日なんですか?」
「ああ」
「じゃあ私、ケーキを作って持っていってもいいですか!?」
「よろしく頼むよ」
ルカーシアはお菓子作りには自信があった。さらに、両家の邸宅はさほど離れていない。
なので当日は、ルカーシアは自宅でケーキを作り、それをドルト家の邸宅まで持っていくことにした。
婚約者の誕生日パーティーの主役が自分の手作りケーキになる。貴族令嬢としては最高のシチュエーションだ。
当日――ケーキは無事出来上がる。
「……完成っ!」
白いクリームに覆われ、イチゴが載せられた二段重ねのケーキ。
伯爵家の嫡子を祝うケーキとしてピッタリだ。
さっそくルカーシアは馬車で、ドルト家の邸宅に向かう。
(ザルツ様、美味しく食べてくれるといいなぁ……)
「美味しい」と言ってくれる婚約者を想像し、胸をときめかせる。
やがて、馬車は邸宅近くにたどり着く。
ところが、浮かれていたルカーシアはとんでもないミスをしてしまう。
「きゃっ!」
馬車から降りる時、ルカーシアはバランスを崩して、ケーキの入った木箱を地面に落としてしまった。
慌てて中身を確認するが「ケーキは無事だった」などという奇跡は起きていなかった。
それどころか派手に崩れ、激しい戦闘後の城砦のような有様になっている。
(そんな……せっかくのケーキが……!)
今から作り直す時間はない。しかし、街で市販のケーキを買う時間ぐらいならばある。
個人的なパーティーであればともかく、今日のパーティーは伯爵家のパーティーだ。新品を買ってくる方が明らかに無難な選択である。
だが、ルカーシアはどうしても“自分の”ケーキをザルツに食べて欲しかった。
悩んだ末、出した結論は――
(これを持っていこう……!)
ルカーシアは自分のケーキを持っていくことにした。
たとえ、この選択が間違っていたとしても――
まもなくパーティーが始まる。
大いに盛り上がり、いよいよルカーシアがケーキを出す段となる。
ルカーシアは緊張の面持ちで、箱の中のケーキを披露する。
箱から取り出されたケーキはグチャグチャだった。
これにはドルト家の面々も顔をしかめる。
ルカーシアは馬車から降りる際にケーキの箱を落としてしまったことを説明し、謝罪する。
パーティー参加者たちは責めることこそしないが、パーティーの空気は冷え切ったまま戻らなかった。
(やっぱりちゃんとしたケーキを買ってくるべきだった……)
せっかくのパーティーを台無しにしてしまい、ルカーシアは自分の過ちを後悔する。
ところが――
「うん、美味しいじゃないか」
ザルツが率先して、自分の皿にケーキを取って食べ始めた。
(ザルツ様……!?)
「見た目は多少崩れてはいるが、味はバッチリだ。なんの問題もない」
崩れたケーキを淡々と頬張るザルツに、周囲は唖然とする。
婚約者に気を遣わせてしまったと、ルカーシアは止めに入る。
「ザルツ様、お気持ちは嬉しいです。ですが、無理はされない方が」
「無理などしてないさ」
「え」
ザルツはフォークを置いてルカーシアに目をやる。
「実はさっき、僕は馬車から降りる時の君を、家の中からこっそり見ていた。あまりに待ち遠しくてね」
「そうだったんですか……!」
「当然、君がケーキの箱を落として、悩んでいる姿も見ていた」
「あ……」
「あの時、君は新品のケーキを買いに行こうか迷っていた。違うかい?」
「いえ、おっしゃる通りです」
ルカーシアは素直に答える。
「だが、君はこのケーキを持ってきてくれた。もし僕の自惚れだったら申し訳ないが、君はどうしても僕に自分で作ったケーキを食べて欲しかったんじゃないかな?」
ずばり言い当てられ、ルカーシアは顔を真っ赤にする。
「は、は、ははは、はいっ!」
「僕としても今日は君の手作りケーキを心待ちにしていた。こうして口にすることができて嬉しい。その上、そんな君の気持ちを想いながら食べると、ただでさえ美味しいこのケーキがさらに何倍も美味しく感じられるよ。僕は今、世界一の幸せ者かもしれないな」
再びケーキを頬張るザルツ。
熱い言葉を投げかけられ、ルカーシアは完全に火照っている。
ザルツの家族も「ザルツはこんなにも情熱的なことを言う男だったのか」と驚いている。
ザルツの父が言う。
「我々もルカーシアさんのケーキをいただこうじゃないか」
ケーキは切り分けられ、味の評判は上々だった。「元のケーキの出来がいいと形は関係ないんだな」と褒める者もいた。
ルカーシアはホッとする。
ケーキは綺麗さっぱりなくなり、ルカーシアはザルツに笑顔を向ける。
「やっぱりザルツ様はお優しいですね!」
一方のザルツはうつむき、頬を赤らめていた。
ルカーシアがグチャグチャのケーキを披露した時には気まずい空気だったパーティーの場が、今やアツアツの二人を見守る場に変貌していた。
もし、ルカーシアが新品のケーキを買う選択をしていたら、こうはならなかったに違いない。
***
「――というわけだったの」
ルカーシアの話が終わり、ミスティは無邪気な笑みを浮かべる。
「パパ、昔から優しかったんだぁ」
「そうよ。とっても優しかったの。ね?」
ザルツは視線を下に向ける。
「今思うと私もずいぶんキザなことを言っていたんだな」
「キザなんてことないわ。私、とっても嬉しかったんだから」
「パパはママのことが大好きだもんね!」
妻と娘の言葉に、ザルツの目は泳ぎ、照れ臭そうにすることしかできない。
「これで分かったでしょ? パパは形が崩れたケーキも美味しく食べてくれるって」
「うん、分かった!」
ミスティは満面の笑顔で言う。
「だから今度パパにケーキをあげる時は、わざとグチャグチャにしてからあげるね!」
これにザルツは困惑した表情になる。
「いや……それは困る」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




