婚約破棄ですか?大歓迎です!!
王城の大広間に、乾いた音が響いた。
「――よって、エレノア・ヴィンセントとの婚約は、ここに破棄する!」
王太子アルベルトの高らかな宣言に、貴族たちがざわめく。
エレノアは静かに顔を上げた。淡い金の髪が揺れる。その表情は、驚きでも悲しみでもなく、ただ穏やかだった。
「理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「決まっているだろう! 君はリリアと違い、冷淡で愛想もなく、王太子妃として相応しくない!」
その隣には、涙ぐんだ令嬢――リリアが寄り添っている。
「アルベルト様は、本当はずっと苦しんでおられたのです……!」
芝居がかった言葉に、エレノアは内心で小さくため息をついた。
(なるほど。そういう筋書きね)
実のところ、彼女は驚いてはいなかった。
むしろ、ようやく来たか、という気持ちの方が強い。
「承知いたしました」
あまりにもあっさりとした返答に、アルベルトは眉をひそめる。
「……随分と物分かりがいいな」
「はい。殿下のお望みのままに」
その言葉に、周囲はひそひそと囁く。
冷たい女、やはり情がない――そんな評価が広がっていく。
だがエレノアは気にしなかった。
なぜなら――
(これで、ようやく帰れる)
その夜、彼女は静かに王都を去った。
誰にも見送られず、たった一台の馬車で。
向かう先は――隣国、レヴァリア王国。
⸻
国境を越えた瞬間、空気が変わった。
「……お帰りなさいませ、エレノア様」
出迎えた騎士たちが、一斉に膝をつく。
その中央に立つのは、銀髪の青年。
「遅かったな。心配したぞ」
低く、しかし優しい声。
彼はカイル・レヴァリア。隣国の公爵令息であり――エレノアの“婚約者”だった人物。
「ご無沙汰しております、カイル様」
エレノアが微笑むと、彼は一瞬言葉を失った。
「……相変わらずだな。その何もかもを隠そうとする笑顔は」
そう言いながらも、彼の目は明らかに安堵している。
騎士たちも、侍女たちも、皆が彼女を見て柔らかく表情を緩めていた。
その様子は、まるで――
“長く離れていた大切な存在”を迎えるかのようだった。
⸻
王城に到着すると、重厚な扉が開かれる。
次の瞬間。
「エレノア!!」
玉座から駆け下りてきたのは、壮年の皇帝。
「無事だったか……! 怪我はないか!? 食事はちゃんと取っていたのか!?」
威厳ある皇帝とは思えないほどの慌てぶりに、周囲の重臣たちが苦笑する。
「お父様、大丈夫です」
そう、彼女は静かに言った。
「ただいま戻りました」
その一言に、場の空気が一変する。
エレノア・ヴィンセント。
それは仮の名。
彼女の本当の名は――エレノア・レヴァリア。
隣国レヴァリア帝国の、第3皇女だった。
⸻
数年前、両国の関係強化のため、彼女は“平民に近い貴族令嬢”として隣国へ送り込まれていた。
その際、余計な干渉を避けるため、正体は極秘。
本来なら、王太子との婚約は形式的なものに過ぎなかった。
だが。
(少しは、期待していたのだけれど)
彼がどんな人間か。
あの国がどんな未来を選ぶのか。
だが結果は、あの通り。
――婚約破棄。
しかも、あまりに浅はかな理由で。
玉座の間で王が拳を握りしめる。
「ふざけた話だ……! 我が娘を侮辱するとは!」
「落ち着いてください、皇帝」
カイルが静かに口を挟む。
「……むしろ好都合です」
エレノアは、ゆっくりと微笑んだ。
「これで正式に、私はこの国へ戻れますから」
そして、彼女はカイルへと向き直る。
「お待たせしました。約束、覚えていらっしゃいますか?」
「もしも私が帰ってきたら結婚してほしい」
この国を出発する際エレノアがカイルに言った一言。
カイルは一瞬目を見開き、やがて小さく笑った。
「当然だ」
彼は跪き、彼女の手を取る。
「エレノア。今度こそ、正式に求婚させてくれ」
その声には、抑えきれない想いが滲んでいた。
「ずっと待っていた。お前が戻ってくる日を」
その言葉に、エレノアの胸がわずかに揺れる。
――彼だけは、昔から変わらない。
どんなときも、真っ直ぐに彼女を見ていた。
「……はい」
小さく頷くと、周囲から歓声が上がった。
王でさえ目元を押さえている。
「よかった……本当に……!」
⸻
数日後。
隣国から使者が到着する。
内容は、婚約破棄の正式通知と――
“エレノアの正体を知らなかったことへの弁明”。
しかし、その場で全てが覆される。
「我が国の第3王女を侮辱した責任、どう取るつもりだ?」
王の冷たい声に、使者は青ざめた。
さらに、エレノアが静かに一歩前へ出る。
「私は、確かにあの国で過ごしました。ですが――」
彼女の瞳が、わずかに冷たく光る。
「あの方に、未来を託す価値はないと判断しました」
それは、事実上の“見限り”だった。
⸻
やがて、正式に発表される。
エレノア・レヴァリア第3王女と、カイル公爵令息の婚約。
その報は瞬く間に広まり、隣国は騒然となる。
「あの女が……王女……!?」
アルベルトは顔面蒼白で呟いた。
だがもう遅い。
彼が手放したのは、ただの婚約者ではなかった。
国そのものの未来だったのだ。
⸻
その頃。
庭園で、エレノアは穏やかに紅茶を飲んでいた。
「……やっと、肩の力が抜けた気がします」
「今まで張り詰めすぎていたからな」
カイルは隣に座り、当然のように彼女のカップを持ち上げる。
「熱いだろう。少し冷ましてから飲め」
「……ありがとうございます」
そんな何気ない仕草に、エレノアは少しだけ頬を緩めた。
「これからは、好きに笑え」
カイルの言葉は、優しく、そしてどこか必死だった。
「俺が全部守る」
その真っ直ぐな想いに。
エレノアは初めて、心から微笑んだ。
「では――お任せしますね」
それは、かつて“冷たい令嬢”と呼ばれた少女の、
本当の笑顔だった。




