第二章 杞憂
翌日の午後、俊介からメールが届いた。
「仕事終わったら夜会おう」
たったそれだけの短い文章。
それでも私は、胸の奥に溜まっていた重たいものが少しだけ軽くなるのを感じた。
昨日のお見合いのことが頭から離れなかった。
仕事中も、ついスマホを気にしてしまう。
もし相手の女性が気に入られていたら――。
そんな考えが、何度も頭をよぎる。
定時を過ぎると、私はすぐ会社を出た。
待ち合わせは赤坂駅。
駅前で俊介の姿を見つけた瞬間、ようやく少し安心する。
「昨日はごめん」
会うなり俊介はそう言った。
「お見合い相手の人が、なかなか帰してくれなくてさ。夜までずっと一緒だったんだ」
胸の奥の不安が、むしろ強くなる。
私は少しだけ間を置いてから聞いた。
「……それで、どうだったの?」
俊介は肩をすくめた。
「今日の昼に電話して断ったよ」
一瞬、頭の中が空白になる。
「そうなの?」
「うん」
私は思わず息を吐いた。
「昨日、全然連絡つかなかったから……ちょっと不安だった」
俊介は軽く笑う。
「何言ってんの。一番大事にしてるのは由利奈だよ」
そう言って私の肩を抱く。
「運命の人じゃなきゃ、八年も続かないって」
その言葉を聞いて、胸の奥のざわつきがゆっくり消えていく。
「……そうだよね」
私は笑った。
「嬉しい」
そして、ふと思い出して聞いた。
「でも、それならさ。あの車、どうして売ろうとしてるの?」
俊介は少し困ったような顔をする。
「ああ、あれね。エンジンがもうダメっぽくてさ。やっぱり日本車がいいかなって思ってるんだ。次はレクサスとかGT-Rとかどうかな」
俊介は楽しそうに言う。
「今度一緒に見に行こうよ」
私は少し考えてから言った。
「来週末は?」
「いいよ」
俊介は即答した。
その一言だけで、胸の奥にあった不安はほとんど消えていた。
週末。
私たちは車のディーラーを何軒か回った。
ショールームの中で、俊介はまるで子供みたいに目を輝かせている。
その様子を見ていると、私まで楽しくなる。
夕方になると、そのまま俊介のアパートへ向かった。
久しぶりにゆっくり一緒に過ごす夜だった。
窓の外には冬の夜景が広がっている。
何度か抱き合ったあと、俊介がふと口を開いた。
「クリスマスイブさ……リッツカールトンのレストラン予約したんだ」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「……本当?」
「うん」
私は思わず俊介に抱きついた。
「嬉しい!」
キスをして、そのまままたベッドに倒れ込む。
その夜は、久しぶりに心の底から満たされた気分だった。
そして――
待ちに待ったクリスマスイブ。
私は朝から時間をかけて身支度をした。
髪も丁寧にセットして、ワンピースも新しいものを選ぶ。
待ち合わせ場所に着くと、俊介は私を見るなり言った。
「今日は一段と綺麗だね」
「ありがとう」
ホテルのレストランは、想像していたよりもずっと豪華だった。
大きな窓からは夜景が広がり、店内には静かなピアノの音が流れている。
食事が運ばれてきて、しばらくしてから俊介が聞いてきた。
「そういえばさ」
「前の旦那さんとは最近どうなの?」
私はグラスを置いた。
「最近はね、週に二回くらいランチに行ってる」
「へぇ」
「再婚できそう?」
俊介は興味深そうに聞く。
「多分、大丈夫」
私は少し笑った。
「俺たちのことはバレてないんだ」
「うん」
「全然疑ってないよ」
俊介はワインを飲みながら言った。
「それにしても、すごいよね。離婚したくて友達に頼んで旦那を誘惑してもらって、旦那有責で離婚したのに、また復縁しようとしてるなんて」
私は肩をすくめる。
「前より収入かなり増えてるみたいだしね。俊介と会える時間は減るかもしれないけど、その分お金は使ってあげられるし」
俊介は苦笑した。
「やっぱりお金目的?」
「それだけじゃないよ。娘のことも大事」
そう言うと、俊介は少し意地悪そうに言う。
「その割には親権放棄してたよね。慰謝料も上乗せして」
私はグラスを指でなぞりながら言った。
「離婚が原因で和弘は会社辞めて、今の成功があるんだから、ある意味、私の功績でしょ」
俊介は笑った。
「まぁ、そういう見方もあるよね」
私は少し頬を膨らませる。
「そもそも、離婚したら俊介が結婚してくれると思ったんだもん。でも俊介、結婚する気ないって言うし」
俊介は肩をすくめる。
「俺は結婚とかガラじゃないんだよ」
そして聞いた。
「年末年始はどうするの?予定ある?」
「12月27日は和弘の家に泊まりに行く。その後は空けてあるよ」
「じゃあ年末年始、一緒に過ごそう」
俊介は笑った。
「年越しSEXしよう」
「嬉しい!」
さらに俊介は小声で言う。
「それからさ……このホテル、部屋取ってあるんだ。今日は朝まで寝かさないよ」
「本当?」
私は思わず笑った。
「すごく嬉しい!」
その夜は、いつもよりずっと激しい夜だった。
少し前まで、俊介とうまくいっていない気がしていた。
でも今は違う。
私たちは、ちゃんと愛し合っている。
このまま俊介とうまく付き合いながら和弘とも復縁できたら。
娘とも一緒に暮らせて。
お金にも困らない生活ができたら。
それが一番いい。
再婚するなら――
このホテルで式を挙げるのもいいかもしれない。
私はそんなことを考えながら、ホテルの天井をぼんやり見上げていた。




