第十二章 制裁
松元に促され、由利奈は応接室を出て別室へ案内された。
ドアが閉まる。
部屋の中にはすでに二人の女性が座っていた。
由利奈は足を止める。
「……この人たちは?」
松元は静かに言った。
「紹介します」
「こちらは朝比奈勲さんの奥様、朝比奈芹夏さん」
芹夏は無表情で軽く会釈した。
「そしてこちらが佐野純平さんの奥様、佐野ひとみさんです」
その名前を聞いた瞬間、由利奈の顔から血の気が引いた。
ひとみは腕を組んだまま由利奈を見ている。
芹夏の視線は冷たかった。
逃げ場はなかった。
松元は椅子を指した。
「まあ、お掛けください」
由利奈は震える足で椅子に座った。
松元は書類を取り出す。
「私はこちらのお二人から依頼を受けています」
「丸山由利奈さんに対する不貞慰謝料請求です」
由利奈は唇を震わせた。
「……そんな」
松元は淡々と続ける。
「詳細は書面で正式にお送りしますが、概要だけ説明します」
「まず、朝比奈勲さんの件」
芹夏は静かに由利奈を見ている。
「朝比奈さんは離婚されないとのことです。したがって慰謝料は二百万円」
由利奈の呼吸が荒くなる。
松元は次の書類をめくった。
「次に佐野純平さんの件」
ひとみの目が鋭く光る。
「佐野さんは離婚される予定です。そのため慰謝料は四百万円」
合計六百万円。
由利奈の顔がゆっくりと絶望に染まっていく。
「……そんな」
かすれた声が漏れた。
松元は静かに言った。
「以上です」
部屋の空気は凍りついていた。
芹夏が初めて口を開いた。
「あなた」
由利奈は顔を上げる。
「よく平気な顔して、うちの夫と付き合えたわね」
由利奈は何も言えなかった。
ひとみは鼻で笑う。
「自分だけ得するつもりだったんでしょうけど、そう上手くはいかないわよ」
由利奈の手が震えていた。
すべてが崩れていく音が、頭の中で響いていた。
数日後。
増本俊介の元にも一通の内容証明郵便が届いた。
弁護士名義の封筒。
中身は慰謝料請求だった。
婚約中の不貞行為。
証拠写真付き。
増本はそれを読み終えると、長い間黙っていた。
そして数週間後、会社を退職した。
実家の家業を継ぐという名目で、田舎へ戻った。
佐野純平と丸山由利奈は会社を去った。
形式上は自主退職。
だが実質は解雇だった。
佐野家は離婚した。
慰謝料と財産分与で大きく資産を失った。
朝比奈家は離婚しなかった。
だが朝比奈勲は両親と義両親の両方から厳しく責められた。
家庭内での立場は完全に逆転した。
肩身の狭い思いをしながら、再構築の道を歩むことになった。
そして――
丸山由利奈。
婚約破棄。
面会権の消滅。
接近禁止。
さらに六百万円の慰謝料。
借金三百万円。
すべてを失った。
奥田和弘はただ、
娘の梨奈と静かな生活を送っていた。
ある休日。
梨奈が言った。
「お父さん」
「なに?」
「今日、公園行こう」
奥田は笑った。
「いいよ」
手をつなぐ。
小さな手だった。
奥田は娘の手を握りながら思った。
本当に大切なものは、もうここにあるのだから。
春の風が静かに吹いていた。




