第十一章 会談
話し合いの日。
奥田和弘は娘を両親に預け、四谷へ向かっていた。
松元法律事務所。
すでに松元敬輔は応接室で待っていた。
「来ましたね」
「よろしくお願いします」
和弘は軽く頭を下げる。
しばらくすると、秘書がドアを開けた。
「丸山さんがお見えです」
由利奈が入ってくる。
黒いジャケットにタンクトップ。
由利奈は椅子に座ると、ゆっくりジャケットを脱いだ。
中はタンクトップ一枚だった。しかもノーブラだ。
胸元が深く開いている。
松元は書類を開いた。
「では始めましょう。これから依頼人、奥田和弘さんの依頼内容を説明いたします」
松元は淡々と読み上げる。
「一つ。婚約の正式な破棄」
「二つ。前回の離婚時に取り交わした面接交渉権の取り消し」
「三つ。奥田和弘さん及び娘さんへの接触禁止」
由利奈の表情が固まる。
「ちょ、ちょっと待って……」
そして急に声を震わせた。
「ごめんなさい……私……脅されてたの」
松元は表情を変えない。
「どういう意味ですか」
「俊介に……無理やり関係を持たされて、その時の写真をネタに脅されてたの」
和弘は黙って聞いている。
「朝比奈さんも……俊介に脅されて関係を持ったの。本当に反省しています。だから、もう一度チャンスをもらえませんか?」
松元は静かに言った。
「事実確認をさせてください」
「……はい」
「増本俊介さんとは何年の関係ですか」
「八年……です」
「三百万円の借金は?」
「俊介の車です……レクサスの頭金」
松元は続けた。
「川辺美緒に奥田さんを誘惑させましたか」
由利奈は強く首を振った。
「そんなことしてない!本当に違うの!信じて!」
松元は冷静に言う。
「では確認します」
「朝比奈勲さん以外に不倫関係はありませんね」
「……ありません」
「不倫相手とはどういう関係ですか」
「俊介の知り合いです」
「俊介に言われて……断れなくて関係を持たされました」
由利奈は質問に答えながら、わざとらしく前屈みになったり、身体を揺らしたりして、視線を和弘の方へ向ける。
谷間が強調される角度だ。
ちらちらと和弘の顔色をうかがっている。
和弘は思った。
(何なんだ、この女は……)
汚物を見るような目でそれを見つめた。
松元は資料を閉じた。
「なるほど」
そして静かに言う。
「ですが、嘘をつくのはやめてください」
由利奈の顔がこわばる。
「川辺美緒さんから証言は取れています。報酬五十万円の送金記録も確認済みです」
由利奈の目が泳ぐ。
松元はさらに一枚の資料を取り出した。
「それに、もう一人いるんじゃないですか?」
由利奈の顔色が変わる。
松元は写真を机に置いた。
「これはあなたの会社の上司ですね」
由利奈の唇が震える。
和弘が吐き捨てるように言った。
「お前は……」
「彼以外にも会社の上司と不倫していたんだな。このビッチめ」
由利奈は崩れ落ちるように泣き出した。
「すみません……すみません……」
松元は冷静に言う。
「この場に及んで偽証をするなど、誠意があるとは判断できません。したがって今回の要求について妥協することはできません」
そして続けた。
「通常であれば、百五十万円から三百万円程度の慰謝料を請求します」
由利奈が顔を上げる。
松元は言う。
「しかし、婚約破棄、面接交渉権の取り消し、奥田さん親子への接近禁止。この三点を受け入れるなら慰謝料請求はいたしません」
静かな沈黙。
「……どうしますか」
由利奈は俯いたまま言った。
「……分かりました」
松元は書類を差し出す。
「ではこちらに」
由利奈は震える手でペンを取り、公正証書に署名した。
松元はそれを確認して言う。
「これで手続きは完了です」
和弘に向かう。
「では奥田さん、今日はこれで」
「分かりました」
和弘は立ち上がった。
「ありがとうございました」
そしてそのまま部屋を出る。
続いて由利奈も立ち上がろうとした時、松元が声をかけた。
「丸山さん」
「え?」
「あなたには別件でお話があります」
和弘は振り返らなかった。
そのまま事務所を出た。
家に帰ると、ポストに一通の封筒が入っていた。
差出人は“リッツカールトン東京”。
和弘は眉をひそめる。
封を開ける。
『十一月挙式の予約受付を開始いたします。
日時の確定と手付金のご入金をお願いいたします』
和弘はしばらくその紙を見ていた。
「……由利奈」
小さく呟く。
「挙式するつもりだったのか」
慌ててホテルに電話をかけた。
「申し訳ありません。その予約はキャンセルしてください」
受付の女性が丁寧に答える。
『かしこまりました』
和弘は確認のために聞いてみた。
「ちなみに式の内容ですが」
『総額およそ八百万円のプランとなっております』
和弘は言葉を失った。
電話を切ったあと、小さく呟く。
「……前回は三百万円だったのに、今度は八百万円か」
和弘は苦笑した。
「危なかったな……」




