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第1章 夏の始まり ③

「おばあちゃん、ただいま」と玄関に入って夏実が言う。

「よぉ、俺も来たよ、おばあちゃん」と颯汰が後ろから顔を出す。

「あら、二人が一緒なんてびっくり。川遊びで仲良くなったのかしら」

 びしょ濡れの二人を見て、秋恵は嬉しそうに言う。

「そうだよ。夏実って大人のくせに中身はめっちゃ子供なんだぜ。おかげで一緒に遊んでいてすごく楽しかった。俺たちすぐに友達になれたよ」

 颯汰の「友達」と言う言葉に夏実は顔が赤くなる。友達と言われて何だかとても嬉しくて、そんなことで嬉しくなる自分がちょっと気恥ずかしかった。

「おばあちゃん、颯太と一緒にスイカを食べてもいい?」

 自分の気持ちをごまかすように、夏実は別の話題を口にする。

「いいよ。いっぱい食べていきなさい。買いすぎて困っていたくらいだから」

「おばあちゃん、ありがとう」と颯汰が言う。

「あ、ありがとう」と遅れて夏実も言葉にする。

 すぐに秋恵は二人分のスイカを切り出してくれる。

「たくさんお食べ」と言って、台所からスイカを載せたお盆を持って来る。

 二人は縁側に並んで無我夢中でスイカを食べる。夏実はタネを一つ一つ手で避けていき、颯汰はタネごとスイカを口に含んで、器用にタネだけを吐き出していく。

「ヤベェ、めっちゃうまいな、おばあちゃんのスイカ。本当にありがとう」

 颯汰は食べながら、自然に秋恵への感謝を口にする。

「あ、ありがとう。おばあちゃん」

 夏実も年下の颯汰に負けじと礼を言うが、なぜだか気恥ずかしくて言い淀んでしまう。

「ごちそうさまでした」食べ終わった二人は、手を合わせて同時に言う。

「じゃあ私の部屋でゆっくりするか」

 二人は満腹の体を抱えて、夏実の部屋に移動する。

 二人はまず服を着替える。新しいTシャツと短パンを押し入れから引っ張り出す。

 颯汰は自分の服が乾くまで夏実の服を借りる。少しだけ大きいけれど不自然という訳ではない。

 二人は同じ部屋で着替えるけれど、お互いに相手のことを意識することはなかった。

 夏実の部屋にはマンガがたくさんある。マンガは夏実にとって唯一の趣味と言えるもので、部屋のマンガは夏実が少しずつ時間をかけて集めたものだった。

 最近の夏実はなぜかマンガを面白いと感じることが減っていて、マンガへの興味を失いかけていたけれど。

「すげえな、マンガがいっぱいある」颯汰は驚きの目で夏実の部屋を見渡す。「これだけのマンガをよく集めたよな。さすがだよ」

「まあね。子供の頃から少しずつ集めていて、気がついたらこれだけの量になってたんだ。まあ、新しいマンガはあんまり無いかも知れないけど」

「いやいや、それでも充分すぎるくらいだよ。この部屋のマンガだけで何日過ごせるか。まるでマンガ喫茶みたいだよ」

「それはちょっと言い過ぎだよ」そう言いながらも夏実は、得意げで鼻高々になる。

「ねぇ、何冊かマンガ借りていい?」と颯汰が聞く。

「いいよ、いくらでも貸してあげる」と夏実は言う。

「あっ……でもやっぱりいいや。マンガはここで読んでいっても良いかな。親が何を言うか、ちょっとめんどくさそうだから」

「親御さん、厳しいの?」

「しつけが厳しいとかではないんだけど、うちの親にはちょっと変わったところがあって。まぁ、詳しいことはあんまり言いたくないんだけど」

「言いたくないことは言わなくていいよ。ごめんね、嫌なことを聞いて」

「謝らなくていいよ。これは俺一人の問題だから。夏実は自分を責めなくていい」

「そう……」夏実はなぜか何も言えなくなってしまう。話題を変えるように颯汰が言う。

「とりあえずさ、一緒に遊ぼうぜ。ゲームとかは無いの?」

「あるよ。じゃあ、今から一緒にゲームで遊ぶか。いろいろあるけど、何がいい?」

 夏実はゲームソフトを棚の中からいくつか引っ張り出してくる。

「私が中学生とか高校生の時のゲームだから、今よりちょっと古いけどね」

「全然いいよ。どれも面白そう。じゃあ……これにしようかな」

 颯汰は対戦型のカーレースのゲームを選ぶ。

「おっ、いいね。それにしよう。負けないからな」と夏実は意気込む。

「俺だって。自分ではゲームを持ってないけど、友達とやる時の俺はわりと強いんだぜ」

「言ったな。私だってそこそこ強いんだから」そう言って二人はゲームを始める。

 しばらくゲームの対戦を繰り返すが、何度やっても夏実は颯汰に負けてしまう。

 そのせいで夏実はだんだん不機嫌になってくる。

「今日の私は調子が悪いね。まぁ、ゲーム自体やるのが久しぶりだからな」

 そう言いながらも、夏実は悔しくて頬を膨らませている。

「……なんか飽きた。別のゲームがやりたい」夏実は不機嫌そうな口調で言い出す。

「しょうがねぇな。まったく……子供かよ、夏実は」

「悪かったわね、大人のくせに中身は子供で」

「次、ゲーム何がしたいの?」と颯汰は聞く。

「そうねぇ……これにしようかな」夏実が選んだのはパズルゲームだった。

 二人は再びゲームを始める。しかし今回のゲームも颯汰が圧勝してしまう。

 夏実はさらに不機嫌になって、頬をさっきよりも大きく膨らませる。

「なんだその顔。面白いかよ」と颯汰は笑う。

「うっせぇな。笑うんじゃねぇよ」夏実は言い返す。

「もう疲れた。マンガでも読む」そう言って、夏実はゲームを無理やり終わらせる。

「しょうがねえな。分かったよ、終わりにしてやるよ」颯汰はなおも笑いながら言う。

 そして二人は雑魚寝をするように、それぞれが自由な体勢で部屋のマンガを読み始める。気がつくと夏実は、読みかけのマンガを顔の上に置いてうたた寝をしている。

 そんな夏実を夢から現実に引き戻したのは、「晩ごはんよ」と秋恵が二人に呼びかける声だった。

 夏実が居間に移動すると、颯汰は一足先に座っている。

「遅えよ。いつまで寝てるんだよ」と颯汰が言う。

「うるさいわね。あんただって寝てたんじゃないの?」

「寝てねえよ。マンガを読んでたらあっという間に晩ごはんだよ」

「あぁ、そう。私のおかげでマンガを読めたこと、感謝しなさいよ」

「そうですか。ありがとうございました」全くありがたくなさそうに颯汰は言う。

「ほんとムカつくガキだな。将来が思いやられるよ」

「ガキのままの夏実には言われたくねぇよ。夏実の方が心配だよ」

「痛いところをついてくるなよ。泣くぞ……」夏実は情けない声で言い返す。

「はいはい、二人とも席について。晩ごはん食べるわよ」秋恵が料理を並べながら言う。今日の晩ごはんは唐揚げだった。大きな皿に出来たての唐揚げが積まれている。

「うわぁ、すげぇ美味しそうだな!」と颯汰は嬉しそうに大声を上げる。

「美味しそう……お腹いっぱい食べちゃおう」夏実はよだれが垂れそうになる。

「じゃあ二人とも手を合わせて」と秋恵が二人に呼びかける。

「いただきます!」二人は声を合わせて言うと、競い合うように唐揚げを食べ始める。

「美味しいなぁ」と颯汰が言う。「ね、美味しいね」と夏実も言う。

 そして二人はあっという間に大皿の唐揚げを平らげてしまう。

「おばあちゃん、唐揚げのおかわりってある?」と夏実が聞く。

「あるわよ。すぐになくなると思って新しいのを作っているから待っていて」

「はーい」と二人は声を合わせる。そしてすぐに新しい唐揚げがやって来る。

「おばあちゃん、ありがとう」と颯汰が言う。

「本当にありがとうね」今度は夏実も負けじと感謝を伝える。

「どういたしまして」そう言って秋恵は笑っている。

 そうして晩ごはんを食べ終わると、颯汰は家に帰ることになる。

「そろそろ颯汰は帰らないとね」と秋恵が切り出したのだった。颯汰は寂しそうに頷く。

「また来ていい?」と帰り際に颯汰は尋ねる。

「もちろん、いつでもおいで」と秋恵は言う。「待ってるから」と夏実が言い添える。

 颯汰は嬉しそうに笑顔を見せる。「すぐに来ちゃうからな」と颯汰は言う。

 そして夏実と颯汰はお互いを見て笑い合う。

「楽しみにしてるぜ」と夏実が言う。「おう」と颯汰は返す。

「送っていってあげたら?」と秋恵が提案する。「そうするか」と夏実は応える。

「ありがとう」と颯汰は言う。そして二人は秋恵の家を出る。

 夜空は星が綺麗に見える。星空を見上げながら二人は歩く。

「めっちゃ綺麗だね」と颯汰が言う。「そうだね、本当に」と夏実は返す。

「あれは何座かな?」と颯汰が聞く。「星のことはあんまり分かんない」と夏実は言う。

 星空を見上げていると、心が洗われるような気がすると夏実は思う。私のような薄汚い心の持ち主は特に洗われるような気がする。でも、颯汰のような綺麗な心の持ち主も感動することを思うと、星空の美しさは万人に分け隔てないのかも知れない。

 やがて颯汰の家に着く。颯汰の家は洋風のとても豪華な建物だった。祖母の家の簡素な和の佇まいとは正反対の趣がある。

「立派な家だねぇ」と夏実は嘆息する。

「そんなことないよ」と颯汰は冷淡に言う。そして「もうここで良いよ」と切り出す。

「そう? ご両親に挨拶しなくても良いのかな?」と夏実は不安になる。

「大丈夫だよ。それに両親と会わせたくないんだよね。変わった人たちだから」

「そう……」と言ったきり、夏実は何と応えたら良いのか分からなくなる。

「じゃあ、私はここで帰ろうかな……」夏実がそう口にしたところで家の扉が開く。

 そこには颯汰の両親がいる。家の照明が逆光となって、その表情をはっきりと伺うことはできない。暗闇に浮かぶ二人の挙動だけを知覚することができる。

 それでも夏実には感じる。二人が仮面のように張りついた不気味な笑顔を浮かべていることが雰囲気で伝わる。夏実の背中に虫唾が走る。そして冷や汗が流れ出す。

「やあ、送ってくれてありがとう」とやけに明瞭な声で父親が言う。

「颯汰を送ってくれたことを感謝しているわ」芝居のような無機質な口調で母親が言う。

 夏実は怯えてしまって何も声を出すことができない。気づくと夏実の体は震えている。

「こ、こちらこそ」震えた弱々しい声で、何とか言葉を口にする。

 そして夏実は「ありがとうございました」と不自然な程に深々と頭を下げると、後ろを振り返ることなく早足で颯汰の家を後にする。

 祖母の家まで歩いていく夏実には、心臓の鼓動が異常な大きさで耳の奥に響いている。同時に気分の悪さと吐き気を催す。夏実は口元を手で覆いながら帰路を急ぐ。

 祖母の家の引き戸を開くと「ただいま」と言う。その声は少しだけ震えている。

「おかえり。夏実どうしたの? 何だか顔色が悪いけれど」と秋恵が尋ねる。

「何でもない」と夏実は言う。そしてトイレに駆け込むと胃の内容物を嘔吐してしまう。それでも気分の悪さは尾を引く。夏実は便座に向き合ったまま、床に座り込んでしまう。

 夏実は気持ちが落ち着くまでしばらくじっとしている。やがて少しずつ吐き気は引いていき、夏実は冷静さを取り戻していく。同時に夏実は考え込んでしまう。

 どうして自分はこれほどに気味の悪さを感じているのだろう。颯汰の両親の何処にこれほどの違和感を覚えるのだろう。それを上手く言葉で説明することはできない。

 それでも夏実はなぜか颯汰の両親に対して異様なまでの恐怖を感じた。その感覚が夏実にある種の罪悪感を呼び起こす。私はあろうことか初対面の、しかも友達の家族に気味の悪さを感じてしまった。それは非常に不謹慎なことではないのか。

 そのせいで夏実の気持ちは一層に沈んでいく。夏実はもう一度トイレの中に嘔吐する。気がつくと目には涙を浮かべている。

 夏実はトイレを出ると服を剥ぎ取って裸になる。自分の身にまとわりつく気味の悪さと自己嫌悪を洗い流すようにシャワーを浴びる。その間も夏実はずっと涙を浮かべている。

 浴室を出ると夏実は半袖の新しいパジャマを着る。そして自分の部屋に移動すると布団の中に引きこもってしまう。夏実はいつまで経っても眠ることが出来なかった。

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― 新着の感想 ―
嘔吐するほど気味悪い両親ってどんな人なんだ(.;゜;:益:;゜;.)
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