第9章 悲しみを乗り越えて ①
それから颯汰は姿を現さなくなった。
最初はそういうこともあるかもしれないと思っていたけれど、一週間も姿を現さないとさすがに夏実は疑問に思うようになった。
涼子とは毎日のように会っていた。それが夏実は本当に楽しかった。
涼子と一緒に料理をしたり、夏実の部屋で一緒に映画を観たり、近所まで一緒に出かけたり、一緒に買い物をしたり、その一つ一つが夏実の思い出となった。
しかし、いつしか颯汰がいないことに違和感を抱くようになった。
夏実は次第に寂しさを感じていた。颯汰と喧嘩したり笑い合ったりしたことが、愛しく思えるようになっていた。
颯汰に何が起こったのだろうと夏実は不安に駆られるようになった。かつて颯汰の両親が見せた不気味な笑顔が不安を増幅させていた。
それで夏実は意を決して颯汰の家を訪れることにする。
颯汰の母親は青白い顔をしている。
目には正気がなく、夏実を見る表情は「お前はここに何をしに来たのだ」という拒否感を醸し出している。
家のチャイムを押した夏実は、玄関の扉から顔を出した颯汰の母親に訊く。
「あの、颯汰くんはいますか? 最近、顔を見ていなくて」
それを聞いた颯汰の母親の表情は、苦痛で激しく歪んだように見える。その目からは涙が溢れ出す。そして颯汰の母親は言葉を絞り出す。
「颯汰は……神様のおわすところに行ったのよ。だからここにはもういないの」
「あの……神様がおわすところってどういう意味ですか?」
話の理解が追いつかない夏実は、恐る恐る颯汰の母親に訊く。
颯汰の母親は表情が怒りで満ちあふれ、突如として大声を上げる。
「颯汰が死んだってことよ!」
そして母親は声を上げて泣き始める。夏実は全身から血の気が引くのを感じる。
「亡くなったってどう言うことですか?」
夏実は、必死に声を絞り出す。颯汰の母親はその場で泣き崩れて、颯汰が死んだことについてそれ以上を聞き出すことは出来ない。しばらくして母親は言う。
「あなた、見たのでしょう?」
「……何をですか?」夏実は恐怖を堪えながら訊く。
「颯汰が天に昇っていくところよ」
「……何を言っているんですか?」
「見たのでしょう? 颯汰が燃やされるところを。私、気づいているんだから。あの夜、あなたたちが草むらの陰からこちらを見ていたのを」
夏実はそこで思い当たる。あの夜、山の中で白装束の集団が火柱を囲っていた光景を。
「もしかして、あの白装束の人たちのこと……」
夏実の目の前にいる颯汰の母親も、あの夜に見たものと同じ詰襟の白装束を着ている。
「どうして颯汰くんは亡くなったんですか?」
夏実は声を絞り出すように改めて尋ねる。颯汰の母親はその問いには答えない。
「お願いだから、あの夜のことは忘れてちょうだい」
代わりに颯汰の母親はそれだけを言う。
「……どうしてですか?」
「あなたたちのためよ。死にたくないでしょう」
冷たい目をして颯汰の母親は言う。夏実は全身を冷や汗が流れていくのを感じる。
どうして私たちが死ぬなんて言う話がここで出てくるのだろう。
颯汰はどうして亡くなったのだろう。そこに一体どんな秘密があるのだろう。
夏実は今まで経験したことのない大きな恐怖を感じる。
「分かりました……あの夜のことは誰にも言いません。約束します。涼子にもそう伝えておきます」
夏実は震えながらそう言うだけで精一杯だった。颯汰については分からないことだらけだけど、今この場でそれを追求する勇気は夏実にはない。
夏実は深々と一礼をすると、逃げるように颯汰の家を後にする。
それから夏実はすぐに涼子に電話をかける。
「今すぐ涼子に会いたい」
声を震わせながら、夏実はそれだけを言う。
「夏実、どういうこと? ごめん、今バイト中だからすぐにはいけない」
「それでも今すぐ涼子に会いたい。いつもの河川敷で待っている」
夏実は涙を必死に堪えながらそう言う。
「夏実の様子が変だからすぐに会いに行きたい」
涼子は両親にそう言って、カフェでのアルバイトを抜けさせてもらう。
涼子が河川敷に着いた時、夏実は顔を伏せて、膝を抱えて座り込んでいる。
「夏実、大丈夫?」
そう声をかけた時、涼子は夏実が震えながら泣いていることに気がつく。
「どうしたの? 何があったの?」
涼子は夏実の背中をさすりながら訊く。夏実は涙を流しながら震えた声で言う。
「颯汰が死んじゃったの」
「どういうこと……?」涼子は絶句しながらそう言う。
「最近、颯汰に会えていなかったから、颯汰の家に行ったの。でも颯汰は出てこなくて、代わりに颯汰のお母さんが出てきた。お母さんの顔色は悪くて、颯汰が神のおわすところに行った、颯汰が死んだっていうの。どういうことって聞いても訳は教えてくれなくて、その代わりに颯汰は燃やされたって言った。あなたたちもそれを草むらの陰から見ていたでしょうって。大きな炎を囲んでいた白い服を着た集団のこと。そして、あの夜のことは忘れてっていうの。あなたたち死にたくないでしょうって」
夏実は颯汰の母親と話した内容を必死に伝える。
それを聞いた涼子の顔からは血の気が引いていく。
それから二人は何も言わずに寄り添いあう。
颯汰を亡くした悲しみとその裏に隠れている何かへの恐怖で、二人の体は震えている。季節は夏のはずなのに、二人だけがひどく寒いと感じる。
二人はしばらくお互いの体にしがみ付いている。お互いの震えが伝わってくる。
これからどうすればいいのだろう? 二人は身動きが取れなくなっている。
しばらくして涼子は言う。このまま震えているわけにもいかないと涼子は思う。
「颯汰くんにお線香を上げに行きたい」
「そうだね……そうしよう」
そうして二人は重い腰を上げると、颯汰の家を再訪することにする。
二人で颯汰の家を訪ねると、今度は颯汰の母親だけでなく父親も二人を出迎える。両親とも作り笑いを見せている。
「何しに来たんだい?」と颯汰の父親は言う。
父親の顔は笑っているけれど、その目はとても冷たい。
「あの、颯汰くんにお線香を上げに来ました」緊張して震えた声で涼子は言った。
「そう、それはありがとう。颯汰もきっと喜ぶよ」
颯汰の父親は表情を変えずに、静かな口調でそう言う。母親も表情を変えずに、仮面のような笑顔を見せている。それが不気味だと夏実には思える。
夏実と涼子の二人は、両親のあとをついて居間に上がる。そこには颯汰の写真を置いた祭壇がある。写真の中の颯汰はとても良い笑顔を見せている。
祭壇を見て、夏実は颯汰が亡くなっていることを実感する。
夏実と涼子の二人は祭壇の前で黙祷を捧げる。いつの間にか二人の目からは涙が溢れている。黙祷を終えると、目を閉じたまま涼子はつぶやく。
「どうして死んでしまったの……」
夏実もそれは同じ気持ちだった。
でも、颯汰の死に隠された真実は分からないままだ。颯汰の両親が何も教えてくれないからだ。まるでそれを語るのが禁忌とでも言うかのように。
「もうここには来ないほうがいい」と父親は言う。「それが君たちの為なんだ」
「それは一体どういうことですか?」夏実はそう訊かずにはいられない。
「何も聞かないでおくれ」
父親は仮面のような笑顔で静かにそう言う。そこには奇妙な冷たさがある。
颯汰の死について真実を知ろうとすると、本当に何かの害を被るような雰囲気がある。
夏実の額には冷や汗が流れている。涼子の顔を見ると恐怖で青白くなっている。
すぐに二人は颯汰の家をあとにする。夏実は深々と頭を下げて言う。
「お邪魔しました。申し訳ありませんでした。もうこちらに伺うことはありません」
颯汰の家から遠ざかる二人は、お互いの手を固く握っている。その手の強さがお互いの恐怖を物語っている。
二人は何も話すことができない。ただ黙って祖母の家への帰り道を歩いていく。
涼子は自分の実家には帰らず、何も言わずに夏実の家に着いてくる。恐怖に震えている夏実は、それを当然のこととして受け止める。
二人は夏実の部屋に引きこもると、お互いの震えた体を温めるように抱きしめ合う。
二人の時間はそのまま流れていく。颯汰の不可解な死に終わりのない涙を流しながら。




