第8章 未来への足跡 ③
それからの一週間を秀一は、午前はカフェで勉強、午後は町に出て人探しという日々を送った。恵子の手がかりは相変わらず出なかったが、それでも秀一に落胆はなかった。
秀一は恵子からの手紙を見返す。
「今はこの子と一緒にいます」恵子はそう書いていた。
恵子は彩香との写真を同封していた。恵子のスナックで撮ったもので、カウンターの前で立っている彩香にしゃがんだ恵子が寄り添っていた。
その写真を使って、秀一は恵子の捜索をやり直してみることにした。
すると、恵子と違って「この子なら見たことある」という人が何人か現れた。彩香の心を射抜くような独特の瞳は、見る者の記憶に残るようだった。秀一を含めて。
しかし確認できたのは、恵子が彩香と一緒に人探しをしていたという事実の裏付けのみだった。恵子と彩香の行方は分からないままだった。
結局、俺は教団本部に乗り込まなければならない。それも信者との融和的な方法で。
恵子と彩香を見つけ出すために、秀一はそう思い定めるようになった。
秀一には恵子と彩香を連れ戻そうというつもりはなかった。
ただ無事でさえあればそれで良かった。もし教団の中で二人が元気に過ごしていることが確認できれば、それで良いと思っていた。
だから秀一には教団と反目するつもりはなかった。むしろ信者たちと仲良くできることを祈っていた。その思想だけを取り出せば、秀一が持っている哲学と彼らの教義はむしろ親和性が高いと感じていた。
ただ恵子と彩香の無事を確認すること。それを秀一は自らの明確な目標として定めた。
そしてある日の午後、カフェに白装束の二人が現れたのだった。
玲香から連絡が来て、秀一はカフェに戻った。カフェでは白装束を来た、人の良さそうな男女の二人組が席に座っていた。二人とも細身の中年で、男の方は眼鏡をかけていた。
秀一はその二人組に声をかけた。あくまでも何気ない感じを装って。
「こんにちは。素敵なお召し物ですね」
男女の二人組は秀一を見上げた。声をかけた瞬間、二人は警戒の目を向けた。
しかし二人は秀一を見て、表情がすぐに和らいだ。秀一は安物のTシャツにジーンズという、いかにも大学生という風体の地味な格好をしていた。
「この服装に興味がおありですか?」と男は訊いた。「申し訳ないが、この服は我々に支給されたものであって、売り物ではないのです」
「それは残念だなぁ。今は大学の夏休みでこの町に来ているんですが、ろくな服を持って来ていなくて。新しい服が欲しいなと思っていたところなんです」
「君は大学生なんですね! 意外だなぁ。その割には大人っぽく見える」
「お恥ずかしいのですが、年齢はもう三十です」
「もしかして君は社会人経験者ですか?」
「そうです。脱サラして再入学したパターンでして」
「奇遇ですね、私もそうなんですよ。社会人からの再入学で、医学部に入っていました。とは言っても、もうとっくに卒業しているのですが」
「医学部なんですか? ということはもしかして先生? 実は、俺も医学部なんです」
「それは何とも奇遇なことですね。今日こうして僕たちが出会えたことも、運命なのかもしれません。ところで、君のカバンの中に入っているのは、聖書ですか?」
男は秀一のカバンの中を指さす。秀一はわざと聖書を外から見えるように入れていた。
「そうです! キリスト教徒という訳ではないんですが、宗教にはとても興味があって」
「ほう! 実は私もなんですよ。私も宗教には興味があって、今はあるグループで研鑽を積んでいるのです」
「あるグループというのは?」
「それこそこの白い服をトレードマークとした、宗教の勉強会があるのです」
「そうなんですか? すごく興味があります! 宗教への飽くなき興味があって、それを誰かと共有したくても、現実にはなかなか出来なくて」
「それなら私たちのグループの勉強会に来ませんか? 君のことをぜひ招待したいです。ちょうど明日、開催するんですよ」
「僕なんかが参加しても良いんですか?」
「もちろんです。ぜひ参加してください」
「とても嬉しいです! いつもは一人でコソコソと勉強しているだけなので」
「それは良かった! 以前の私もそうでした。君のような仲間が増えると嬉しいよ」
そうして秀一は宗教の勉強会に参加することになった。
その勉強会に明らかな胡散臭さはなかった。むしろアカデミックな雰囲気があり、秀一の知的好奇心を刺激してくれた。
「今日はとても楽しかったです」と秀一は言った。「また参加しても良いですか?」
「もちろん」と秀一を招待した男は言った。彼の名前は豊田秀己と言った。「君が参加してくれて、僕たちも楽しかったよ」
勉強会は週に一回、週末に開催されていた。秀一は毎週その勉強会に参加した。
三回目の勉強会への参加後、秀一は豊田に呼び止められた。
「君を招待したい場所がある」
秀一は言われるがままに豊田について行った。連れて行かれたのは教団本部だった。
「君は宗教に興味があると言っていたよね。僕たちはある宗教に入って勉強しているんだ。君は宗教に対してとても真面目な人間だ。君にもぜひ我々の宗教に入ってほしいんだ」
「僕なんかが入っても良いのでしょうか?」
「もちろん。君には十分な素質がある」
こうして秀一は教団の信者になった。入会時には個人情報を書類に記す必要があった。秀一はそのことに躊躇したが、恵子を探すためには仕方がなかった。
これは全て伯母さんを見つけるためだ。秀一はそう言い聞かせて自分を奮い立たせた。
秀一が信者になってからも町での生活は大きく変わらなかった。週一回の勉強会が引き続きあって、そこに参加する他は自由に過ごした。
信者になってから余計な変化をつけるのはよくないと考えて、町での恵子の捜索はそのまま続けた。
成果は何も出なかったが、秀一にはそれでも良かった。何かが揺さぶりに掛かるのを、秀一は辛抱強く待った。
ある日の勉強会で、秀一は豊田に話しかけられた。
「人探しをしているという噂を聞いたよ」
「はい、そうなんです」と秀一は正直に言った。「伯母が行方不明になったので探しているんです」
「それは大変だ」と豊田は言った。「大切な人がいなくなるのは何よりもつらいことだ」と豊田は同情してくれた。「伯母さんを探すのを手伝ってあげようか」豊田はそう言った。
「良いんですか? 豊田さんが協力してくれるなら、僕にとってとても心強いことです」
「ところで、伯母さんの名前はなんて言うんだい?」と豊田は訊いた。
「伯母さんの名前は齋藤恵子と言います」
秀一がその名前を言った瞬間、豊田の目は曇ったように見えた。しばらく沈黙が続いた後、豊田はおもむろに口を開いた。
「これは個人情報だけれど、君だからこそ教える。齋藤恵子という女性は今、我々の病院にいる。ただし、彼女は既に亡くなっている」
秀一は最初、豊田が何を言っているのか分からなかった。彼は少しずつ状況を理解するにつれて、全身から血の気が引いていくように感じた。あまりのショックに立ちくらみがした程だった。それから秀一はやっとの思いで訊いた。
「伯母さんはどうして亡くなったんですか?」
「彼女は孫娘と一緒に交通事故で亡くなったんだ。身寄りがいないと考えて、彼女たちの遺体はそのまま置いておくしかなかった。僕たちもずっと探していたんだ、彼女たちの身寄りを。君に出会えて本当によかった」豊田はそう言った。
秀一は教団本部の中にある病院に連れて行かれた。そこには遺骨となった恵子と彩香がいた。
小さくなった彼女たちを連れて、秀一は憔悴した様子で教団本部を後にした。
秀一はその後、行方不明になった。
豊田が言ったことは全て嘘だ。秀一はそう直感した。
彼らが恵子と彩香に身寄りがいないと考えたのは嘘だ。少し調べたら彼女たちの身寄りはすぐに分かるはずなのだ。
彼らが彼女たちの身寄りを探していたのも嘘だ。今まで教団にそのような素振りは一切なかった。少なくとも秀一は感じたことがなかった。
彼女たちの死因が交通事故だというのも嘘だ。恵子と彩香は教団内部で殺されたのだ。秀一はそう直感した。
そして恵子の行方を探していた自分自身の命の危険も感じた秀一は、その姿を消すことにした。
結局、自分の動きも教団には全て筒抜けだったのではないか。秀一にはそういった予感と絶望もあった。
大学には郵送で休学届を出した。携帯電話を解約して、今の住所も引き払った。
「教団内部で人殺しがあったかもしれない」
警察に一報を残した秀一は、それからたった一人で深い山奥に引きこもった。




