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第7章 日常と火柱 ①

 夏実は朝珍しく目を覚ました。時計を見ると時刻は午前七時を示している。

 夏実は伸びをして布団から出る。部屋から見える庭には朝日が降り注いでいる。気持ちのいい朝だと夏実は思う。

 今日は元から早起きをするつもりだった。涼子が家に遊びに来るからだ。以前、料理を教えてもらおうと涼子の家を訪ねた時に約束した。

「次はまた夏実の家に行ってもいい?」そう涼子に言われて夏実はとても嬉しかった。

 この先も涼子との関係が続いていく。その一日一日が奇跡のように思えた。

「もちろんいいよ。おばあちゃんにも伝えておくね」と夏実は言った。

「夏実のおばあちゃんか……優しかったなぁ」涼子はしみじみと思い出すように言った。

 夏実は居間に移動する。「おばあちゃん、おはよう!」と元気な声で挨拶をする。いつもの体調が悪そうな朝とは違い、今日の夏実は明らかにいつもより元気そうに見える。

「いつもと違って元気な朝だねぇ」と秋恵が微笑ましそうに言う。

「まぁね、今日は涼子が遊びに来るからね。すごく楽しみでワクワクしてる」

「本当にいい友達ができてよかったね。夏実、ずっとなんだかつらそうだったから」

「えっ、そう? 今までも割と夏休みを満喫していたつもりだったけど」

「そう。だったらいいんだけどね」

 夏実は内心、冷や汗が出る。今まで何事もなく振る舞っていたつもりだったのに。

 おばあちゃんには私のつらさをお見通しだったと言うこと? だとしたら申し訳ないと夏実は思う。

 東京ではいろいろつらいことがあったけれど、心配をかけたくなくて偽っていた。ただ夏休みで祖母の家にダラダラしに来ただけだ。そういう体だったのに。おばあちゃんには嘘をつけないな。

 でも今はその話をするつもりはない。何しろこの後、涼子が遊びに来るのだから。今日は全力で楽しまなくちゃ。

 玄関のチャイムが鳴る。祖母が出ようとするのを止めて、「私が出るね」と夏実は玄関に向かう。いよいよ、涼子と会えるのだ。ドキドキして夏実は玄関の扉を開ける。

 でも、そこには颯汰がいる。Tシャツと短パンに麦わら帽を被った颯汰が、夏実のことを見上げている。

「なんであんたなのよ。何しに来たの。今日は私の大切な友達が家に来るの」

 夏実はあからさまにガッカリした態度で颯汰に言う。

「いいじゃん、一緒に楽しませてよ。どうせ、俺の家には誰もいないし」

「そうなの……じゃあ、上がっていきなよ」夏実は申し訳なくなってそう言う。「でも、私と友達の邪魔はしないでね」

「もちろん」そう言った颯汰の顔はちょっと意地悪そうに見える。仕方がないから、まあ良いけれど。

 秋恵は三人分の朝ごはんを作る。涼子が来るのはお昼前ということになっている。お昼ごはんを二人で作る計画をしている。

 今日もおばあちゃんの朝ごはんは美味しい。だし巻き卵とおひたしと味噌汁とごはん。いくらでも食事が進んでしまう。夏実はごはんを三杯食べてしまった。颯汰もおかわりをした。二人は満腹になるまでたくさん料理を口に運んでいく。

「やっぱりおばあちゃんの料理は美味しいなぁ」と夏実が言う。

「たまには夏実の料理も食べてみたいけど」颯汰は意地悪そうに言う。

「ふん、この後いくらでも食わせてやるから待ってな」夏実は鼻息まじりに言う。

「え? マジで言ってる? 夏実の料理って食べたら死なないの?」颯汰はわざと大きく目を見開く。そんな颯汰のわざとらしさに夏実は少しだけ腹が立つ。

「うるさいな。そんなこと言うやつには食わせてやんねぇよ」夏実は怒ったふりをする。

「ごめんって。俺にも食べさせてくれよ。夏実お姉ちゃん」颯汰は手を合わせて、わざと上目遣いをする。そんな颯汰が可愛くて、夏実は悔しい気持ちになる。

 そうして軽口を叩きながら、夏実と颯汰は朝ごはんを食べる。何だかんだ颯汰との喧嘩も楽しいと夏実はひそかに思う。直接それを口にすることは絶対にないけれど。

 ごはんを食べると、二人は夏実の部屋に移動する。颯汰は夏実のマンガを読み始める。夏実は「勝手に読むなよ」と口では言いつつ、颯汰のことを傍観している。

 颯汰がマンガを読み始めたので、夏実も手持ちのマンガを読むことにする。夏実が手にしたマンガはかつて流行した少年マンガだった。十年以上前に物語は完結している。

 物語を読み進めていると、いつの間にか夏実はマンガの世界に熱中している。やっぱり物語って良いなぁと夏実は思う。

 しばらくして玄関のチャイムが鳴る。時計を見た夏実は「今度こそ、涼子だ!」と胸が高まる。夏実は心を踊らせながら玄関に駆け寄る。

 扉を開けると、そこにはおしゃれな格好をした涼子がいる。青色のワンピースを着て、手には小さなバッグを持っている。やっぱり涼子は美人だなぁと夏実は思う。

「いらっしゃい、涼子。ゆっくりしていってね」と夏実は頬を緩ませる。

「ありがとう、ゆっくりさせてもらうね」と涼子は満面の笑顔で言う。

「ところで、その子はだぁれ?」と涼子が尋ねる。どういうことだろうと思って振り返ると、颯汰が柱の影に隠れながらこちらを見ている。

 まったくこのガキは……と思って、夏実は内心で颯汰に呆れる。どうせまた私のことをからかいに来たのだろうと夏実は思う。

 でも、今日の颯汰はいつもと何だか様子が違っている。すぐに、夏実はそのことに気がつく。どうしたのだろうと夏実は思う。いつもより何だかぎこちないような気がする。

 そこで夏実は思いつく。そうか、きれいな涼子が来たから、颯汰は照れているんだ。前は自分のことを「ゲイ」って言っていたのに。やっぱり颯汰は男の子なのかもしれない。

 でも、颯汰の様子を見ていた夏実は、すぐに自分の中で訂正する。違う。颯汰は涼子が異性だから照れているんじゃない。私と違ってちゃんとした大人である涼子を前にして、颯汰はきっと緊張しているんだ。

 自分にも身覚えがあると夏実は思う。私も、子供の頃はとくに理由がある訳でもなく、知らない大人への警戒感が強かった。そのことを夏実は思い出す。たぶん、小動物が未知の大型動物と出会った時の警戒感に似ていると思う。

「颯汰、大丈夫だよ。そんなに緊張しなくても、涼子はすっごく優しい人だから」夏実は颯汰に優しい口調でそう呼びかける。

「うるせぇ……別にそんなのじゃねえし」言葉ではそう否定しながらも、颯汰の顔はすぐに赤くなる。そんな颯汰を見て、夏実と涼子はお互いに優しい笑顔を浮かべる。

「初めまして。夏実のお友達で、名前は佐藤涼子と言います。颯汰くん、よろしくね!」涼子は屈託のない笑顔で颯汰に声をかける。

「よ、よろしくお願いします……」颯汰は俯きがちに小さな声で返事をする。

 颯汰の緊張をほぐそうと考えた夏実は、思い切って涼子に提案する。

「これから料理を作るの、颯汰にも手伝ってもらおうか」

「うん、その方がきっと楽しいよね!」と涼子は満面の笑顔で賛成する。

 三人が居間に向かうと、涼子は秋恵に「こんにちは! 今日もよろしくお願いします。夏実の友達の佐藤涼子です」と丁寧に頭を下げる。

「かわいいお友達だこと。今日もゆっくりしていってね、涼子ちゃん」秋恵はそう言って涼子を笑顔で出迎える。そのまま三人は台所に移動する。

 そして三人はさっそく料理を始める。涼子はテキパキと二人に指示を出す。夏実と颯汰は言われるままに体を動かす。夏実は食材を洗い、颯汰は道具を用意する。

 今日はコロッケとシチューを作る予定となっている。

 涼子はコロッケ作りに取り掛かる。ジャガイモを塩茹でする。タマネギをみじん切りにして、ひき肉を加えて炒める。すり潰したジャガイモを加えてタネを作る。小麦粉と卵とパン粉をつけて油で揚げる。その作業を涼子はスムーズにこなしていく。

「さすが涼子、やっぱり料理に慣れてるね」と夏実は小さな声でつぶやく。

「そんなことないよ。これくらいなら誰だって出来るようになるよ」と涼子は謙遜する。

 夏実と颯汰も自分用のコロッケを作っていく。涼子と同じ作業をしているはずなのに、なぜか夏実のコロッケは見た目が不恰好になる。どうしてうまくできないのだろう。

「やっぱり料理できないんじゃん」悪戦苦闘する夏実を見て、颯汰は冷たく言い放つ。

「うるさい、黙って手を動かせ」夏実は颯汰に言い返す。「そっちこそ」と颯汰は言う。

 颯汰はもともと器用なのか、初めての料理のはずなのにスムーズに作業を進めていく。

 颯汰が作ったコロッケは涼子にも劣らず美味しそうに見える。それを見た夏実はひそかに落ち込む。自分だけがうまく出来ないなんて。そんな夏実に涼子は声をかける。

「料理なんてただの慣れだよ。最初からうまくいく人の方が珍しいんだから。これからも私と一緒に頑張っていこう。それに意外と味は美味しいかもしれない」

「ありがとうね、慰めてくれて。これからもよろしくお願いします」

 そう言って夏実は涼子に深々と頭を下げる。

「そんな……やめてよ。顔を上げて」頭を下げられた涼子は少し戸惑ってしまう。

 コロッケを作った後の三人はシチューに取り掛かる。涼子は手際良く野菜を切っていく。颯汰は涼子のために手元の物品を整理したり、涼子の隣で食材を手渡したりしている。

 颯汰は気がつくと涼子と親しくなっている。

「涼子は料理が上手だね」と颯汰は涼子を呼び捨てにして言う。

「そんなことないよ。颯汰だって初めてとは思えないくらい上手だよ」

 一方の夏実は二人から少し離れて、黙って鍋のお湯を温める。夏実は颯汰に涼子を取られたようで、言葉にならない嫉妬を感じる。それでも夏実はあえて二人の仲には割り込まず、楽しそうな二人を静かに見守っている。

 颯汰を見ていて夏実は思う。きっと颯汰も寂しいんだろう。そんな拭えない予感が夏実にはある。颯汰を家に送り届けた時の大人しい様子を夏実は思い出す。颯汰は少なくとも家庭に居場所はない。それが颯汰の家で感じたことだった。

 颯汰の両親は明らかに何かが異常だった。得体の知れない不気味さが漂っていた。何かしら狂信的なものを隠し持っている。それが颯汰の両親への隠せない実感だった。

 そんな両親の異様さに颯汰はきっと馴染めていない。でもあえてそこには今後も触れるつもりはない。おそらく颯汰がそれを望んでいないから。

 夏実は目の前の料理に意識を集中する。涼子が野菜を切り終わり、鍋に投入する。それを夏実はゆっくりかき回しながら温める。途中からは颯汰にバトンタッチする。

 颯汰は初めての料理なのか目を輝かせて楽しんでいる。颯汰を見ているだけで楽しさが伝わってくる。夏実はそんな颯汰を見て自分も嬉しくなる。良かったな、颯汰。心の中で夏実はそう思う。

 そうしてシチューが出来上がる。自分が料理をしたと言えるのかは微妙だけど、初心者なのだから構わないと夏実は思う。

 シチューを皿に盛り付けていく。ごはんを颯汰がよそい、夏実がルーをかける。

 秋恵の分も含めて四人分のシチューを机に並べていく。温かそうな湯気が立っている。

「おばあちゃん、料理できたよ」と夏実が秋恵を呼ぶ。秋恵は奥の和室から出てくる。

「あら、美味しそうなシチューだこと! 颯汰くんも涼子ちゃんも上手だねぇ」

「あの、おばあちゃん、私は?」と夏実が訊く。秋恵は意地悪そうな顔で言う。

「夏実はどうせ混ぜてただけでしょ」「そうだけど……」と夏実は頬を膨らませる。

 それから楽しい食事は続いていく。颯汰を中心におしゃべりが盛り上がる。人見知りでコミュニケーションが苦手な夏実は聞き役に徹している。

「涼子っていつも自分で料理してるの?」と颯汰が涼子に問いかける。

「そうだね。両親がいつもカフェで忙しいから、家での料理は私がしてあげることが多いかな。両親に喜んでもらえると、それだけで作った甲斐があるなって思うよ」

「俺も今度からは自分で料理してみようかな。母親の料理あんまり好きじゃないんだよね。味が薄すぎるというか。それでよくおばあちゃんの料理を食べさせてもらうんだよ」

「そうなんだ。じゃあ私の両親のカフェにもおいでよ。おいしい料理いっぱい食べさせてあげるよ。自分で言うのもなんだけど、うちのカフェはすごいんだから」

「えっいいの? 本当にいっぱい食べちゃうよ。俺の食欲ってすごいんだから」

「かかってこい。いっぱい作ってあげるよ。颯汰が来たら私の両親も喜ぶと思うよ」

 涼子は笑顔で颯汰にファイティングポーズを見せる。颯汰も笑顔でそれに応える。

 みんなの話を聞きながら、夏実はふと思う。幸せそうに見えるみんながそれぞれに何かを抱えている。涼子だって颯汰だって、私にはない大変なものを抱えている。

 それは不思議な感覚だと夏実は思う。

 でも、世の中はそもそも、そういうものかもしれないとも思う。自分のことで精一杯になると、まるで自分が悲劇の主人公のように思えてくる。けれど、世の中の人々はみんながそれぞれに自分なりの悲劇を生きているのだ。

 つらいのは決して私だけではない。

 それが夏実にとっては救いと共に戒めとなる。たとえ苦しみを抱えていても、それでも前を見て生きていかなければならないのだ。たぶん。

 夏実はおしゃべりで盛り上がる食卓にいて、一人そのような考えに耽っている。いつの間にかみんなの声が耳に入らなくなり、夏実の周りだけが無音のように感じられる。

 そこでふと、夏実は現実に引き戻される。自分が考え事に没入していたことに気づく。

「何、ぼーっとしてるの?」涼子が笑って夏実に呼びかける。

「ごめん、いつの間にか考え事してた」夏実は照れ臭くなって頭をかきながら言う。

「まぁ、夏実はいつもこうだから」秋恵が少し呆れたように言う。

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― 新着の感想 ―
颯太、仲良くしてくれるお姉ちゃんが2人もいていいね~♪
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