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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第88話 未来への投資

 首席判事が、その手に持った木槌を、ゆっくりと振り上げた。

 法廷にいる全ての人間が、息をのむ。

 隣に座るアレスの手が、テーブルの下で、私の手をより強く握った。その確かな温もりが、これから下される裁定の重さを、共に受け止めてくれているようだった。

 乾いた音が、一度、法廷に響き渡った。

 その音を合図に、首席判事は、目の前の羊皮紙に視線を落とし、厳粛な声で、判決を読み上げ始めた。

 「判決を言い渡す」

 その声は、いかなる感情も排した、法そのものの声だった。

 「被告、ラトクリフ伯爵家に対し、原告アレスティード公爵家が提起した全ての訴えを認め、原告の全面的な勝訴とする」

 短い、しかし決定的な一文だった。

 被告席から、継母のかすかな嗚咽が漏れた。父は、その言葉の意味すら理解できていないかのように、虚空を見つめたままだ。

 判事は、構わずに続ける。

 「被告ラトクリフ伯爵、及び、その夫人は、本日をもって、その爵位と貴族としての全ての特権を剥奪されるものとする。ラトクリフ家の家名は、原告側の提案に基づき、正当な継承権を持つ分家の一族に継承されるものとし、被告らは、その継承に関し、一切の権利を主張することを禁ずる」

 父の肩が、がくりと落ちた。彼にとって、最も屈辱的な罰が、今、確定したのだ。

 「次に、資産について。ラトクリフ伯爵家の全ての資産は、本日付でアレスティード公爵家の管理下に置かれる。その資産は、まず、ラトクリフ伯爵夫人が個人的に作成した借財を含む、全ての正当な債務の支払いに充当されるものとする」

 判事は、一度言葉を切り、羊皮紙の次の行に目を移した。

 「そして、債務整理後に残った全ての資産は、原告レティシア・アレスティード公爵夫人が被った、過去、及び、未来にわたる損害に対する懲罰的違約金として、その全額を、原告アレスティード公爵家が回収するものとする」

 その宣告は、ラトクリフ伯爵家の、完全な消滅を意味していた。

 継母は、もはや嗚咽すら漏らせず、ただ口をかすかに開けたまま、判事の顔を呆然と見つめている。彼女が執着した全てが、今、法の名の下に、跡形もなく奪い去られたのだ。

 判事が、再び木槌を手に取った。これで、全てが終わる。

 その、最後の音が鳴り響く、寸前だった。

 「お待ちください、判事閣下」

 私は、静かに立ち上がり、発言の許可を求めた。

 法廷が、再びざわめいた。判決は下されたのだ。これ以上、何を言うことがあるのか。誰もが、困惑の表情で私を見ている。

 首席判事は、わずかに眉を上げたが、私の真剣な眼差しを認めると、その手を静かに下ろした。

 「……発言を許可する」

 私は、その場にいる全ての人間に向かって、深く一礼した。そして、顔を上げ、はっきりとした声で、私の最後の意思を告げた。

 「ただ今、判決により、ラトクリフ家の残余資産が、私への違約金として、アレスティード公爵家へ帰属することが確定いたしました。その資産の使途について、この場で、私の口から明確にさせていただきたく、お時間を頂戴した次第です」

 隣に座るアレスが、私を見ている。彼の瞳には、驚きではなく、全てを理解した上での、深い信頼の色が浮かんでいた。私たちは、このことについて、言葉を交わしてはいない。だが、彼は、私が何をしようとしているのか、分かっているのだ。

 私は、一度、息を吸った。

 「私は、この違約金を、私個人の財産として受け取るつもりは、一切ございません」

 その一言に、法廷のざわめきが、さらに大きくなった。被告席の父ですら、信じられないというように、初めて私に視線を向けた。

 私は、その動揺には構わず、私の計画を、この公的な場で、宣言した。

 「私は、この回収した資産の全てを元手とし、ラトクリフ領の民のため、新たな基金を設立いたします」

 基金。その言葉に、誰もが耳を疑った。

 「その基金の目的は、二つ。一つは、先のセシリアの魔力暴走によって引き起こされた、広域魔力災害からの、領地の完全な復興支援。そして、もう一つは、搾取と停滞によって疲弊したラトクリフ領に、新たな産業を育成し、人々が自らの力で生活を立て直すための、長期的な経済支援です」

 私は、壁際に立つ、ラトクリフ家の元家臣たちに、視線を向けた。彼らは、驚きと、そして信じられないというような表情で、私を見つめている。

 「この基金は、アレスティード公爵家の厳格な監督の下、公明正大に運営されることを、ここに誓います。これは、過去の清算のために使う金ではありません。未来を築くために使う、投資です」

 私の言葉が終わると、法廷は、先ほどとは全く違う種類の、静寂に包まれた。

 それは、判決の重さに打ちのめされた沈黙ではない。

 畏敬と、そして、静かな感動を含んだ、荘厳なまでの沈黙だった。

 首席判事は、その厳粛な顔のまま、私をじっと見つめている。その目には、法を司る者としての厳しさだけでなく、一人の人間としての、深い感銘の色が浮かんでいた。

 私は、宣言を終え、静かに席に戻った。

 アレスが、再び、テーブルの下で私の手を握った。今度は、先ほどよりも、さらに強く、その温かい指が、私の指に絡められた。

 首席判事が、咳払いを一つした。そして、今度こそ、その手に持った木槌を、力強く、一度だけ、打ち鳴らした。

 「――閉廷」

 その音が、全ての終わりと、そして、新しい時代の始まりを告げていた。

 書記官が、この歴史的な判決と、私の宣言を、後世に残すために、必死の形相で、羊皮紙にペンを走らせている。その、カリカリという乾いた音だけが、静まり返った法廷に、いつまでも響いていた。

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