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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第87話 救済

 グスタフ様が最後の証拠品を提示し終えると、法廷は完全な沈黙に支配された。

 それは、水を打ったような静けさ、という生易しいものではない。まるで、この部屋から全ての空気が抜き取られてしまったかのような、息苦しいまでの静寂だった。

 首席判事が、重々しく被告席に視線を向けた。

 「被告側、何か反論は」

 その問いに、父と継母の隣に座っていた弁護士が、ゆっくりと、そして力なく立ち上がった。彼は、顔を青ざめさせ、額には脂汗を浮かべている。

 「……反論、いたしません。いえ……もはや、弁護の言葉も、ございません」

 その言葉は、事実上の全面降伏宣言だった。彼は、深々と頭を下げると、そのまま力なく椅子に座り込んだ。もはや、彼の仕事は終わったのだ。

 父と継母は、最後の頼みの綱であった弁護士にまで見捨てられ、ただ呆然と前を見つめている。彼らの目には、もはや何の光も宿ってはいなかった。

 全ての証拠が出揃い、弁護の道も断たれた。あとは、判決が下されるのを待つだけ。誰もがそう思った、その時だった。

 首席判事が、その厳粛な視線を、私へと向けた。

 「原告、レティシア・アレスティード公爵夫人」

 私は、その呼びかけに、静かに顔を上げた。

 「最後に、あなた自身の言葉で、意見を述べる機会を与えよう。法は、時に人の心も鑑みるものでありますゆえ。被告らに対し、何か情状を酌量すべき点、あるいは、慈悲を求める気持ちはありますかな?」

 その問いは、形式的な手続きなのだろう。だが、その言葉に含まれた「慈悲」という単語に、被告席の継母の肩が、かすかに震えたのが見えた。父もまた、わずかな期待を込めたような、濁った瞳で私を見ている。

 彼らは、まだ、最後の最後に、私が「娘」としての情に流される可能性を、捨ててはいなかったのだ。

 法廷中の視線が、私一人に集中する。隣に座るアレスの、静かで力強い気配を感じながら、私はゆっくりと立ち上がった。椅子の引かれる音だけが、やけに大きく響いた。

 私は、まず首席判事に向かって、深く一礼した。そして、顔を上げ、その目をまっすぐに見つめ返した。私の声は、自分でも驚くほど、穏やかで、そして揺るぎなかった。

 「お言葉ですが、判事閣下。私が求めるのは、慈悲ではありません」

 その一言で、父と継母の顔から、かすかな期待の色が消え去った。

 私は、言葉を続ける。

 「私が求めるのは、公正なルールの適用です」

 法廷が、わずかに、ざわめいた。私は、そのざわめきには構わず、私の哲学を、私の戦いの意味を、この場にいる全ての人間に向かって、語り始めた。

 「情は、時に温かく、人を救うものでしょう。それは、私も存じております。しかし、それは、対等な関係においてのみ、美徳となり得るのです」

 私は、一度、被告席に座る父と継母に視線を向けた。

 「力を持つ者の『情』は、時に『温情』という名の気まぐれとなり、力なき者の『情』は、『忠誠』という名の隷属を強いられる。そして、その曖昧な『情』の陰で、ルールは歪められ、声の大きい者の都合の良いように、真実がねじ曲げられていくのです」

 私の脳裏に、これまでの人生が、走馬灯のように駆け巡る。

 「お前は我慢強いから」という呪いの言葉。冷え切った食事。セシリアに魔力を吸い取られ、倒れ込んだ日々。その全てが、家族という、不平等な力関係の中で、「情」という名の鎖によって、正当化されてきた。

 「私は、その歪みの下で、声を上げることすら許されずに生きてきました。私の痛みは、私の苦しみは、『家族だから』という、ただ一つの言葉によって、何度も、何度も、踏みつけにされてきたのです」

 私の声は、感情的ではなかった。ただ、事実を、一つずつ、丁寧に言葉にして、この法廷という名の天秤の上に乗せていくだけだ。

 「ですから」

 私は、再び首席判事へと向き直った。

 「私がこの場で求めているのは、この二人のための、個人的な罰ではありません。それは、私の過去を清算するだけで、未来には何も繋がらないからです」

 私は、ゆっくりと息を吸い、そして、この裁判の本当の目的を、はっきりと告げた。

 「私が求めているのは、未来の誰かが、私と同じ目に遭わないための、揺るぎないルールの確立。ただ、それだけです。情という曖昧なものではなく、誰に対しても公平で、誰に対しても厳格な、法という名の、絶対的なルールを、この場で示していただくこと。それが、私の、唯一の願いでございます」

 私の言葉が終わると、法廷は、再び、深い沈黙に包まれた。

 書記官は、ペンを走らせるのも忘れ、呆然と私を見つめている。

 壁際に立つ衛兵たちも、その厳つい表情をわずかに緩め、固唾をのんで成り行きを見守っていた。

 首席判事は、しばらくの間、目を閉じて、私の言葉を吟味しているようだった。やがて、ゆっくりと目を開くと、その厳粛な顔で、深く、一度だけ、頷いた。

 私は、静かに席に戻った。

 隣に座るアレスが、テーブルの下で、そっと私の手を握った。その手は、驚くほど温かかった。私は、彼の顔を見なかった。だが、その視線が、誇らしげに、そして優しく、私に注がれているのが分かった。

 首席判事が、目の前の書類を整え、その手を、傍らに置かれた小さな木槌へと伸ばした。

 法廷にいる全ての人間が、息をのんだ。

 いよいよ、判決が下される。

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