第86話 裁く者たちの法廷
ラトクリフ伯爵家の応接室は、もはや査定の場ではなかった。
そこは、アレスティード公爵領の管轄下にある公証裁の、臨時法廷へと姿を変えていた。
部屋の中央には、簡易的ながらも厳かな裁判官席が設けられ、その前には、原告と被告の席が向かい合うように配置されている。壁には、アレスティード公爵家の紋章旗が掲げられ、その威厳が、この場の空気を支配していた。
裁判官席には、公爵領の首席判事が座っている。その隣には、書記官がペンを構え、全ての言葉を記録する準備を整えていた。
被告席には、父と継母が、まるで罪人のように座らされていた。彼らの顔は、憔悴しきっており、もはやかつての貴族としての面影はなかった。特に父は、密書が暴かれて以来、完全に生気を失い、ただ虚ろな目で一点を見つめているだけだった。
そして、原告席。
そこには、アレスティード公爵が、その威厳に満ちた姿で座っていた。彼の隣には、私がいる。公爵夫人の正装を身につけ、背筋を伸ばし、静かに前を見据えていた。
私は、かつてのように虐げられる「被害者」の席にはいなかった。
裁かれる側ではない。裁く側に、私は立っていた。
*
首席判事が、厳かに開廷を宣言した。
「これより、アレスティード公爵家を原告とする、ラトクリフ伯爵家に対する一連の訴訟について、公証裁を開廷する」
まず、アレスティード公爵家の法務官長であるグスタフ様が、原告側の代表として立ち上がった。
彼は、一切の感情を排した、しかし重厚な声で、訴状を読み上げ始めた。
「原告は、被告ラトクリフ伯爵家に対し、以下の罪状をもって訴えを提起する。第一に、アレスティード公爵夫人レティシア・アレスティードに対する、魔力供給に関する不当な終身契約の締結、及び、その契約を盾にした精神的・肉体的搾取。第二に、同契約の不当な破棄、及び、それに伴う懲罰的違約金の支払い義務の発生。第三に、アレスティード公爵家に対する、内政干渉、及び、転覆を企図した陰謀の実行。第四に、ラトクリフ伯爵夫人による、公爵夫人レティシアの身柄を担保とした、複数の悪徳商会からの不当な借財。以上、四点である」
グスタフ様は、淡々と、しかし圧倒的な論理で、訴状を読み上げていく。
その言葉の一つ一つが、父と継母の顔色を、さらに青ざめさせていった。
続いて、グスタフ様は、これまでに集めた証拠品を、一つずつ提示していった。
「まず、第一の罪状に関する証拠として、ここに、ラトクリフ伯爵が公爵夫人レティシアに対し、強制的に締結させた『魔力供給に関する終身契約書』を提出する」
書記官が、その契約書を丁重に受け取り、判事へと手渡す。
「この契約書には、公爵夫人レティシアの平均余命から算出した、今後50年分の魔力価値に相当する懲罰的違約金に関する条項が明記されており、被告ラトクリフ伯爵が公爵夫人をアレスティード公爵家へ嫁がせた時点で、この契約を一方的に破棄したと見なされる」
グスタフ様は、続けて魔導録音機を提示した。
「次に、第二の罪状、及び、被告ラトクリフ伯爵の悪質な脅迫行為の証拠として、公爵夫人レティシアが記録した、伯爵の『魔力供給を怠った逆賊として王国に訴える』という発言の魔導録音を提出する」
録音機が作動し、父の半狂乱の声が、法廷に響き渡った。その声は、彼の現在の憔悴しきった姿とは裏腹に、耳障りなほど高圧的だった。
父は、その声を聞くと、びくりと体を震わせ、顔を覆った。
「第三の罪状、アレスティード公爵家に対する内政干渉、及び、転覆計画の証拠として、ラトクリフ伯爵と、当公爵家の元家令との間で交わされた、複数の密書を提出する」
グスタフ様が、油紙に包まれた密書の束を提示すると、アレスの隣に座る私の体が、わずかに緊張した。あの密書に書かれていた「傀儡」という言葉が、脳裏をよぎる。
判事が、その密書に目を通す間、法廷は重い沈黙に包まれた。判事の顔に、明らかな怒りの色が浮かび上がったのが見えた。
「最後に、第四の罪状、ラトクリフ伯爵夫人による不当な借財の証拠として、伯爵夫人が複数の悪徳商会と締結した、公爵夫人レティシアの身柄を担保とした借用証書、及び、その購入品目録を提出する」
グスタフ様は、継母が作った借用証書の束を、テーブルに並べた。その一枚一枚が、継母の虚栄心と、私の存在を軽んじる態度を、雄弁に物語っていた。
継母は、その証拠の山を前に、もはや反論する気力も失っていた。ただ、震える手で、自分の顔を覆っているだけだった。
グスタフ様は、全ての証拠を提示し終えると、静かに原告席に戻った。
「以上が、原告アレスティード公爵家が、被告ラトクリフ伯爵家に対し、訴えを提起する根拠の全てである」
法廷は、重苦しい沈黙に包まれた。
父と継母は、もはや何も言えなかった。彼らの弁護士は、顔を青ざめさせ、ただ頭を垂れているだけだった。
私は、その全てを、静かに見つめていた。
私の心には、かつて感じたような、怒りや悲しみはなかった。
ただ、事実が、一つずつ、積み上げられていく。
そして、その事実の重みが、彼らを、確実に、地の底へと沈めていく。
私は、裁かれる側ではない。
裁く側に、私は立っていた。




