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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第83話 家名を継ぐ者

 応接室の時間は、完全に止まっていた。

 床に転がった請求書。その一枚の羊皮紙が、この家の終わりを告げる死亡診断書のように見えた。

 父は、崩れ落ちたまま動かない。ただ、荒い呼吸を繰り返しているだけだ。その目は、もはや何も見ていなかった。継母は、顔面蒼白のまま椅子に座り込み、その手から滑り落ちた扇が、音もなく床に転がっている。

 壁際に立つ家臣たちは、誰一人として主君に駆け寄ろうとはしなかった。彼らもまた、理解してしまったのだ。ラトクリフ伯爵家という船が、今、この瞬間に、完全に沈没したことを。

 誰もが、この家の断絶を確信していた。爵位は剥奪され、領地と財産は債権者であるアレスティード公爵家に吸収される。それが、貴族社会のルールだった。

 その、全てが終わったかのような沈黙の中で、私が静かに口を開いた。

 「ラトクリフの家名を残す方法は、一つだけあります」

 私の声は、部屋の隅々まで、驚くほどはっきりと響いた。

 床に伏していた父の肩が、ぴくりと動く。継母が、かすかな希望か、あるいは新たな恐怖に怯えるように、ゆっくりと顔を上げた。家臣たちの視線も、一斉に私へと突き刺さる。

 私は、彼らの反応には構わず、隣に座るアレスと、その後ろに控えるグスタフ様に向き直り、言葉を続けた。私の話す相手は、もはや父たちではなかった。

 「まず、今回の事態の責任を取り、現当主である父上には、その爵位と全ての財産を放棄していただきます」

 それは、決定事項を告げる、冷徹で事務的な声だった。

 「その上で、ラトクリフ家の血を引く者の中から、新たな当主を選定します。候補はすでに調べてあります。西の谷に暮らす、分家の一族です。血筋はかなり遠いですが、その実直な人柄は、周囲の評判も高い」

 私は一度言葉を切り、父の顔をまっすぐに見据えた。

 「その一族に、ラトクリフの家名と、債務整理後に残った最低限の領地と資産を継承させるのです。もちろん、父上と、そこにいらっしゃるお義母様は、一切の権利を剥奪された上で、この領地から追放されることが条件となります」

 継母が、ひっと息をのむ音が聞こえた。

 父が、信じられないというように、顔を上げた。その目には、かすかな困惑の色が浮かんでいる。温情なのか、それとも、さらなる罠なのか。意味を測りかねているようだった。

 私は、彼の疑問に答えるように、アレスに向かって、この提案の真意を説明した。

 「閣下。ラトクリフ家をこのまま断絶させることは、簡単です。しかし、それは貴族社会に無用な混乱と動揺を広げることになりかねません。ですが、この方法であれば、アレスティード公爵家は、罪を犯した家を厳正に裁きつつも、秩序を重んじ、寛大な措置を取ったという評価を得ることができます。これは、今後の領地運営において、必ずや有益となるはずです」

 その言葉を聞いた瞬間、父の顔から、全ての表情が抜け落ちた。

 彼は、ようやく理解したのだ。

 これは、温情でも、慈悲でもない。

 私の個人的な復讐ですらない。

 アレスティード公爵家の利益を最大化するための、極めて政治的な判断。そして、その判断を下しているのは、かつて自分が虐げ、道具として扱っていた娘自身であるという事実。

 ただ破産し、全てを失うのではない。

 自分が当主として君臨してきたこの家を、その名前を、顔も知らない遠い親戚に、明け渡さなければならない。そして、その屈辱的な決定を、自分の娘が、自分の目の前で下している。

 父にとって、それは、死よりも辛い罰だったのだろう。

 彼のプライドが、音を立てて砕け散っていくのが、私にははっきりと分かった。

 父は、何かを言おうとして口を開いたが、そこから漏れたのは、意味をなさない、かすれた空気の音だけだった。その目は、私を睨みつけていたが、そこにはもう、憎悪の力すら残ってはいなかった。ただ、空っぽの絶望があるだけだった。

 私は、その視線を、静かに受け止めた。

 それまで黙って全てを聞いていたアレスが、短く、しかし重い声で言った。

 「それで、いこう」

 その一言で、全てが決定した。

 父は、その言葉を聞くと、再び床に崩れ落ちた。今度は、もう二度と立ち上がることはないだろうと、私には確信できた。

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