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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第81話 計算された涙と魔導録音機

 ラトクリフ伯爵家の応接室は、私が知るどの部屋よりも冷え切っていた。

 暖炉には火が入れられていたが、その熱は部屋の隅々まで届かず、足元からじわりと冷気が這い上がってくる。壁にかけられた先祖代々の肖像画も、どこか色褪せて見えた。

 重厚なマホガニーのテーブルを挟み、私たちは向かい合って座っていた。

 こちら側は、私、そして私の隣にアレスティード公爵。彼の後ろには、公爵家の法務官長であるグスタフ様が、分厚い書類の束を前にして静かに控えている。

 対する向こう側には、父と継母。彼らの後ろには、ラトクリフ家の古参の家臣たちが、緊張した面持ちで壁際に並んでいた。

 セシリアの魔力暴走が鎮静化してから。今日は、今回の事件に関する最初の公式な協議の場だった。

 重い沈黙を破ったのは、グスタフ様だった。彼は、一切の感情を排した事務的な声で、手に持った書類を読み上げ始めた。

 「――以上が、今回の魔力災害によってラトクリフ伯爵領内で確認された被害の暫定報告です。農作物の凍結被害、家畜の衰弱死、そして、領民への精神的損害。これらの賠償責任の所在を明確にすることが、本日の第一の議題となります」

 淡々と語られる言葉の一つ一つが、この家の罪状を告発していく。

 父は、青ざめた顔で俯き、テーブルの上で固く拳を握りしめていた。継母は、扇で口元を隠しているが、その目が苛立たしげに細められているのが分かった。



 グスタフ様が書類から顔を上げ、父に問いかける。

 「ラトクリフ伯爵。これらの事実に対し、何か申し開きはございますかな?」

 その問いを合図にしたかのように、それまで沈黙を守っていた父が、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 そして、次の瞬間。

 父は、何の前触れもなく、テーブルの横の床に、その両膝をついたのだ。

 「……レティシア!」

 絞り出すような、悲痛な声。

 同席していたラトクリフ家の家臣たちが、息をのむ気配がした。

 父は、床に手をつき、深く頭を下げた。その肩が、小刻みに震えている。

 「我が娘よ! 全て、この私が間違っていた! お前の苦しみに気づかず、セシリアのことばかりを優先し、お前を追い詰めてしまった! どんな罰でも受けよう。だが、どうか、どうかこの父を、そして、我々の家を見捨てないでくれ!」

 その声は涙で濡れ、言葉の端々には深い後悔の色が滲んでいるように聞こえた。

 床には、ぽつ、ぽつと、父の目からこぼれ落ちた涙の染みができていく。

 ああ、始まった。

 私は、その光景を、何の感情も動かさずに、ただ静かに見つめていた。

 これは、単なる謝罪ではない。計算され尽くした、一世一代の芝居だ。

 ここで私が「今さら遅い」と冷たく突き放せば、後ろに控える家臣たちの目には、どう映るだろうか。涙ながらに許しを乞う父と、それを非情に切り捨てる娘。彼らは、どちらに同情するだろう。

 この協議を、法的な賠償責任を問う場から、家族間の感情的な問題へとすり替える。それが、父の狙いだった。情に訴えかけ、私を悪役に仕立て上げ、交渉の主導権を握り返すための、汚い罠だ。

 かつての私なら、この光景に動揺し、「お父様、顔を上げてください」と、手を差し伸べてしまっていたかもしれない。「いい子」の仮面を被ったまま、再びこの茶番に付き合わされていただろう。

 だが、今の私は違う。



 私は、隣に座るアレスの顔を、ちらりと見上げた。彼は、表情一つ変えず、ただ目の前の光景を無機質な物体でも見るかのように眺めている。しかし、その瞳の奥に、冷たい軽蔑の色が浮かんでいるのを、私は見逃さなかった。

 大丈夫。もう、私一人で戦っているわけではない。

 私は、ドレスのポケットに忍ばせていた、ある物を取り出した。

 それは、手のひらに収まるほどの、滑らかに磨かれた小さな水晶だった。

 「父上」

 私の静かな呼びかけに、父は、涙に濡れた顔をゆっくりと上げた。その目には、「どうだ、これで心が揺らいだだろう」という、かすかな勝利の色が浮かんでいた。

 私は、その父の顔に、水晶をまっすぐに向ける。

 「そのお言葉、もう一度お願いできますか」

 父の表情が、一瞬、凍り付いた。

 「……レティシア? それは、なんだ?」

 「魔導録音機ですわ。アレスティード公爵家に伝わる、最新式のものです。会話を、一言一句違わずに記録することができますの」

 私がそう言うと、水晶が、ふわりと淡い青色の光を放ち始めた。録音が開始された合図だ。

 応接室の空気が、張り詰める。

 私は、父の芝居には一切乗らず、淡々とした声で尋問を始めた。

 「父上。あなたは今、『どんな罰でも受ける』と仰いました。そして、『家を見捨てないでくれ』とも。これは、ラトクリフ家の当主として、正式な発言と解釈してよろしいですわね?」

 「なっ……いや、それは、娘であるお前に、父親として……」

 父の声が、しどろもどろになる。

 私は、彼の言い訳を遮り、さらに言葉を続けた。

 「では、確認いたします。昨夜、あなたが私に寄越した使者が伝えてきた言葉を、ここにいる皆様の前で、改めて申し上げますわ。『セシリアの元へ魔力供給に戻らねば、公爵家に嫁いだお前を、ラトクリフ家への義務を怠った逆賊として王国に訴える』。……これは、事実ですわね?」

 父の顔から、急速に血の気が引いていくのが分かった。

 後ろに控えていた家臣たちの間にも、動揺が走る。彼らは、そんな脅迫があったことなど、知らなかったのだろう。

 私は、最後の問いを、氷のように冷たい声で突きつけた。

 「お教えください、父上。今日の、涙ながらの『血を分けた家族』という言葉と、昨夜の『逆賊として訴える』という脅迫。法的に、どちらがあなたの真意ですの? 感情ではなく、事実として、この魔導録音機にお答えください」

 父は、完全に言葉を失った。

 口を、魚のようにぱくぱくと開閉させているが、何の音も出てこない。その額には、脂汗が滲んでいた。

 彼の仕掛けた感情論の罠は、私の持ち出した「ルール」と「事実」という、揺るぎない壁の前に、完全に無力化された。

 私は、青い光を放ち続ける水晶を、もう一度、父の顔の前にかざした。

 「……どうかなさいましたの? お答えになれないのですか?」

 父は、その問いに答える代わりに、力なくその場に崩れ落ちた。

 私は、魔導録音機の録音を停止した。水晶から、すうっと光が消える。

 私は立ち上がり、後ろに控えていたグスタフ様の元へ歩いていくと、その水晶を恭しく手渡した。

 「グスタフ様。本日の協議における、重要な証拠品です。厳重な保管をお願いいたします」

 「……承知いたしました、奥様」

 グスタフ様は、わずかに目を見開いた後、深く頷き、その水晶を革の鞄へと丁寧にしまった。

 応接室は、墓場のような沈黙に支配されていた。

 床にへたり込んだ父も、顔面蒼白の継母も、そして、呆然と立ち尽くす家臣たちも、この場の力関係が、今、この瞬間に、完全に入れ替わったことを、はっきりと理解していた。

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