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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第80話 境界線の抱擁

 ラトクリフ伯爵領の境界線を越えた瞬間、空気が変わった。

 気温が、物理的に数度下がったのだ。馬の吐く息が、先ほどよりも濃い白に変わる。道の両脇の草木は、全てが薄い氷の膜に覆われ、灰色がかっていた。生命の色が、この土地から失われている。

 私たちは、言葉を交わすことなく、荒れ果てた屋敷へと続く道を進んだ。

 やがて、視界が開け、丘の上に立つラトクリフ伯爵邸の全景が見えた。

 その光景に、歴戦の騎士たちでさえ、息をのむのが分かった。

 屋敷の北側に立つ塔が、完全に氷の塊と化していた。歪に輝く氷柱が、城壁のように塔を取り囲み、その先端は天に向かって鋭く尖っている。太陽の光を反射して、美しく、そして不気味に輝いていた。

 屋敷の正面玄関の前には、父と継母が、数人の使用人を連れて立っていた。彼らは、私たちの威容に気圧されたのか、ただ呆然とこちらを見ている。

 私たちは、屋敷から五十メートルほど手前で馬を止めた。

 アレスティード公爵が、馬上から、感情のこもらない声で言い放つ。

 「ラトクリフ伯爵。最後通牒の通り、我々が来た。これより、この場の全権は、我が妻、レティシアが掌握する。異論は認めない」

 父は、何かを言い返そうとして口を開いたが、アレスの隣に立つ法務官長の冷たい視線に気づき、悔しげに唇を噛んだ。

 私は、馬から降りた。

 アレスも、ダニエル先生も、法務官長も、誰一人として後に続かない。ここから先は、私一人の領域だった。

 私は、ゆっくりと、氷に覆われた北塔の入り口へと歩いていく。地面を踏みしめるたびに、薄氷がパリ、パリと音を立てて割れた。

 塔の入り口は、巨大な氷の扉で塞がれていた。その扉の前で、一人の少女が、うずくまるように座っていた。

 セシリアだった。

 彼女は、薄汚れた寝間着一枚の姿で、自分の膝を抱えて震えていた。その長い髪は白く凍りつき、肌は陶器のように青白い。

 私の足音に気づいた彼女が、ゆっくりと顔を上げた。その虚ろな瞳が、私を捉える。

 「……お姉、さま?」

 か細い、かすれた声。

 次の瞬間、彼女の瞳に、狂気じみた光が宿った。

 「お姉様!」

 彼女は、最後の力を振り絞るように立ち上がると、よろめきながら、私に向かって駆け寄ってきた。その両手は、何かを掴もうとするように、必死に伸ばされている。

 それは、昔と全く同じ光景だった。私の温もりを、私の魔力を求める、依存者の叫びだった。

 私は、その場で足を止めた。

 セシリアが、私の体に纏わりつこうと、その冷たい指を伸ばしてくる。

 その指が、私のドレスに触れる、寸前。

 私は、自分が着ていた、分厚いカシミヤの大判ストールを、素早く肩から外した。そして、それを大きく広げ、セシリアの体を、前から優しく、しかし確りと包み込んだ。

 彼女の体は、私の体に直接触れることはなかった。

 一枚の、厚い布を挟んだ抱擁。

 セシリアは、私の胸に顔を埋める形になったが、そこに求める温もりはなかった。ただ、布の感触があるだけだ。

 「お姉様……?」

 彼女が、戸惑いの声を上げる。

 私は、彼女を包み込んだまま、後方で待機していたダニエル先生に、視線で合図を送った。

 ダニエル先生が、携帯コンロと小さな鍋を手に、素早くこちらへ近づいてくる。彼は、私の足元で手際よく火を起こし、持参した水筒のミルクを鍋に注ぎ、温め始めた。

 私は、セシリアの耳元で、静かに、はっきりと告げた。

 「温かいものを、飲みなさい」

 ダニエル先生が、温まったミルク粥を木の器によそい、私に手渡す。

 私は、ストールでセシリアの体を支えたまま、もう片方の手で木のスプーンを取り、粥を少量すくった。そして、それを、セシリアの震える唇へと、ゆっくりと運んでいく。

 「これを飲んで、元気になりなさい。そして、自分の足で立ちなさい」

 私の声に、感情はなかった。

 セシリアは、粥の温かさと、私の言葉の冷たさの狭間で、ただ子供のように泣きじゃくり始めた。その涙が、熱い雫となって、私の手元のストールに染みを作っていく。

 私は、その涙を拭うことはしなかった。

 ただ静かに、次の匙を、彼女の口元へ差し出した。

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