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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第66話 芸術と、日々の糧と

 三日後、領都の中央広場は、かつてないほどの熱気に包まれていた。

 広場の中央には、二つの特設調理台が、まるで決闘の舞台のように向かい合って設置されている。その周囲を、今日の対決の証人となる領民たちが、黒山の人だかりとなって幾重にも取り囲んでいた。誰もが固唾をのんで、これから始まる前代未聞の催しを見守っている。

 「審査員は、市参事会を代表し、長老様!」

 「領軍からは、我らが健康の守り手、ダニエル軍医殿!」

 「そして、この街の食を支える露天商ギルドより、親方!」

 進行役を務める市職員の声が、広場に響き渡る。その公平な人選に、観衆から納得の声が上がった。

 私は、簡素なエプロンをきつく締め直し、自分の調理台の前に立つ。目の前には、見慣れた鉄鍋と、土の匂いが残る根菜の籠。そして、塩漬けにされた豚肉の塊。いつも通りの、私の厨房の風景だ。

 対するアントンは、まるで舞台衣装のような純白のコックコートに身を包み、ずらりと並べた銀の調理器具を、愛おしそうに指でなぞっている。その姿は、料理人というより、これから世紀の傑作を生み出す芸術家のようだった。

 開始を告げる鐘の音が、高く、長く、広場に鳴り響いた。



 先に動いたのは、アントンだった。

 彼の動きは、一つの無駄もなく、それでいて観衆を魅了する計算されたパフォーマンスに満ちていた。

 「見ろ、あのナイフ捌き!」

 「あの鳥は、王都でも滅多にお目にかかれないギンケイ鳥じゃないか?」

 観衆から、どよめきと感嘆の声が上がる。

 アントンは、見たこともないような形をした器具を巧みに操り、色鮮やかな野菜を寸分の狂いもなく切りそろえていく。彼のまな板の上は、まるで宝石箱をひっくり返したかのように、きらきらと輝いていた。

 湯気の立つ鍋も、油の跳ねるフライパンもない。彼の調理台は、終始静かで、清潔で、どこか冷たいほどに理知的だった。彼は、食材の持つ色彩と形を、まるで絵の具のように使い、テリーヌ型と呼ばれる長方形の器の中に、緻密なモザイク模様を描き出していく。

 それは、もはや料理ではなかった。誰もが息をのみ、その華麗な手作業に見入ってしまう。あれは、一握りの選ばれた人間だけが口にすることを許される、高尚な芸術作品の制作過程そのものだった。



 一方、私の調理台は、あまりにも対照的だった。

 私はまず、大きな鉄鍋を火にかけ、ラードを溶かす。じゅう、という音と共に、香ばしい匂いが立ち上った。

 次に、無骨に切り分けた塩漬けの豚肉を鍋に放り込み、表面に焼き色をつけていく。そして、皮を剥いて乱切りにした、ありふれたカブやニンジン、タマネギを、次々と鍋に投入した。

 私の手元には、華やかさなど欠片もない。ただ、日々の台所仕事の延長線上にある、実直な作業が続くだけだ。

 「……おい、あれで勝負になるのか?」

 「ただの煮込みじゃないか。俺たちの家で食うのと、そう変わらないぞ」

 観衆の中から、失望と、いぶかしむような囁き声が聞こえ始めた。無理もない。アントンの芸術的な調理を見た後では、私のやっていることは、あまりにも地味で、平凡に映るだろう。

 私は、周囲の雑音に心を惑わされることなく、ただひたすら鍋の中の食材と向き合う。水を注ぎ、ハーブの束を加え、蓋をする。あとは、薪の火が、硬い野菜と肉を、柔らかく、味わい深く変えてくれるのを待つだけだ。

 ぐつ、ぐつ、と。鍋が立てる穏やかな音だけが、私の世界の全てだった。



 勝負の均衡が、見た目の上で完全に崩れたのは、開始から一時間が経った頃だった。

 「完成だ!」

 アントンが高らかに宣言し、蒸し上げて冷やし固めたテリーヌ型を、慎重に白い大皿の上へと反した。

 現れたのは、まさに食べる宝石だった。

 赤、黄、緑、様々な色の野菜と、淡いピンク色の肉が、透明なゼリーの中に完璧な層をなして封じ込められている。表面は鏡のように磨き上げられ、広場の陽光を反射してきらめいていた。

 「おお……!」

 会場全体から、巨大なため息が漏れた。誰もが、その人間業とは思えない美しさに、言葉を失っている。アントンは、勝ち誇った笑みを浮かべ、その芸術品を審査員席へと運んでいった。

 誰の目にも、勝敗は決したかに見えた。

 その時、私の調理台の上では、巨大な鉄鍋が、まだぐつぐつと音を立てて、白い湯気を立ち上らせているだけだった。

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