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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第65話 王都からの挑戦者

 灰色の路地での取引は、静かに、しかし着実に実を結び始めていた。

 私が約束通り、職業訓練所の設立準備と、当座の仕事として公共施設の清掃業務などを提供すると、彼らは見違えるように働き始めた。そして、街のあちこちで、新しい噂を流し始めたのだ。

 『公爵夫人は、俺たちを見捨てなかった』

 『あの人のスープは、本当に温かい』

 悪意の噂を流した者たちが、今度は善意の噂の発信源となる。これほど強力な逆宣伝はないだろう。毒の根は断ち、その土壌には新しい希望の芽が育ち始めている。ようやく掴んだ安堵に、私は深く息をついた。

 だが、敵は、私が一息つく時間さえ与えてはくれなかった。



 その報せは、執事長のブランドンが、珍しく焦燥の色を浮かべて私の執務室へ駆け込んできたことからも、ただ事ではないと分かった。

 「奥様。王都より、アレスティード公爵閣下への面会を求めるお客様が……。ですが、その、少々厄介な人物でして」

 ブランドンが言葉を濁す相手とは、一体何者だろうか。

 「公爵閣下は、すでに応接室でお待ちです。奥様にもご同席を、と」

 胸騒ぎを覚えながら、私はブランドンの後に続いて応接室へと向かった。

 重厚な扉を開けると、そこには絶対零度の空気が満ちていた。アレスティード公爵が、感情を消した氷の仮面でソファに座っている。その視線の先、対面に座る一人の男が、ふんぞり返るように足を組んでいた。

 派手な刺繍の施された上着に、手入れの行き届きすぎた髪。指にはこれみよがしに指輪が光っている。そして何より、その顔に浮かんだ、他人を見下すことに慣れきった傲慢な笑みが、私の神経を逆撫でした。

 「おお、これはこれは。噂の『聖女様』のおなーり、かな?」

 男は、私を一瞥すると、ねっとりとした視線で頭のてっぺんから爪先までを舐めるように見た。その無礼な態度に、アレスの纏う空気がさらに数度、下がったのが肌で感じられた。

 「紹介しよう。王都で料理人をしておられる、アントン殿だ」

 アレスの声は、地を這うように低い。

 「これはご丁寧に、公爵閣下。俺の名はアントン。王都の食通で、この名を知らぬ者はいないほどの料理人ですよ、奥様」

 アントンと名乗る男は、立ち上がりもせず、芝居がかった仕草で胸に手を当てた。



 「それで、アントン殿。貴殿が、このような北の辺境まで、一体何の用かな」

 アレスの言葉には、もはや隠そうともしない敵意が滲んでいる。

 「いやあ、なに。近頃、王都で面白い噂を耳にしましてねえ」

 アントンは、わざとらしく天井を仰いだ。「なんでも、この北の地で、温かいだけの素人料理を振る舞い、『聖女』などと崇められているご婦人がいる、と。料理を芸術の域まで高めたこの俺としては、聞き捨てならない話でしてね。偽物がのさばり、本物の価値が下がるのは我慢がならない」

 彼の言葉の一つ一つが、私だけでなく、私の料理を「美味しい」と言ってくれた全ての人々を侮辱していた。私の背後で控えるフィーの拳が、怒りに白く握りしめられているのが見えた。

 「それで?」

 アレスが、短く促す。

 アントンは、その挑戦的な視線を私にまっすぐに向け、にやりと笑った。

 「北の田舎で聖女様と崇められている料理とやらを、この俺様が直々に査定してやる。もし俺の舌を満足させられなければ、その偽りの看板を、自ら下ろしてもらうぞ」

 それは、宣戦布告だった。

 私の料理人としての誇りと、私がこの地で築き上げてきた全てを、公衆の面前で叩き潰すための、巧妙に仕組まれた罠。彼の背後で糸を引く、ボルコフ商会の残党や、私を快く思わない者たちの、嘲笑う顔が透けて見えた。



 空気が、張り詰めた弦のように震えた。

 次の瞬間、アレスティード公爵が、静かに立ち上がった。

 彼の動きには一切の無駄がなく、まるで抜き身の剣のような殺気が、部屋全体を支配した。

 「……貴様、今、何と言った?」

 その声は、氷河の底から響いてくるような、絶対的な怒りを含んでいた。アントンの顔から、余裕の笑みがすっと消える。本能が、目の前の男が本気で自分を殺せる存在だと告げているのだろう。

 「つまみ出せ。二度と、我が領地の土を踏ませるな」

 アレスがそう命じようとした、その時だった。

 「お待ちください、閣下」

 私は、彼の腕の前にそっと進み出て、その動きを手で制した。

 そして、まだ顔色の悪いアントンに向き直り、彼の挑戦的な視線を、まっすぐに見つめ返した。

 私の心は、不思議なほど静かだった。恐怖はない。ただ、私の聖域である厨房と、私の料理を愛してくれる人々を侮辱されたことへの、冷たい怒りだけが、腹の底で燃え上がっていた。

 私の料理人としての、負けず嫌いな魂に、火がついた瞬間だった。

 「面白い。受けて立ちましょう」

 私の言葉に、アントンは虚を突かれたように目を瞬かせ、やがて、再び傲慢な笑みを取り戻した。「ほう、威勢がいいな、聖女様」

 「ただし」

 私は、彼の言葉を遮って、続けた。

 「勝負の場所とルールは、私が決めさせていただきます」

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