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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第54話 吹雪の中の戦場

 冬祭は、熱狂と温かい湯気に包まれて、最高潮の時を迎えていた。

 私の屋台と、かつてのライバルたちの屋台は、今や一つの大きな共同体となっていた。人々は、私のクリーム煮込みとソーセージ屋の親方が焼く極上のソーセージを組み合わせたり、揚げ魚屋のフリットをパンの器に載せたりと、思い思いの楽しみ方で祭りを満喫している。

 広場の中央では楽団が陽気な音楽を奏で、子供たちの笑い声が弾ける。ランタンの柔らかな光が、舞い始めた粉雪をオレンジ色に染め、幻想的な光景を作り出していた。

 「奥様、見てください! まるで夢のようですわ!」

 フィーが、寒さではなく興奮で頬を赤く染めて、私の隣で感嘆の声を上げる。

 私も、その光景から目が離せなかった。憎しみや競争ではなく、分かち合うことで生まれる温かさ。私がずっと夢見ていた食卓の光景が、今、この広場いっぱいに広がっている。この光景を守るためなら、私はなんだってできる。そう、心の底から思った。

 その、時だった。

 それまで陽気だった楽団の音楽が、不意に途切れた。人々のざわめきが、一瞬にして不安の色を帯びる。

 北の空から吹き付けてくる風が、急にその性質を変えたのだ。先ほどまで頬を撫でるようだったそれは、今や、鋭い刃となって肌を切り裂く。ランタンが激しく揺れ、いくつかが地面に落ちて火花を散らした。

 「きゃあ!」

 悲鳴が上がる。舞っていた粉雪は、一瞬にして、視界を奪うほどの猛烈な吹雪へと姿を変えていた。気温が、体感できるほど急激に下がっていく。

 「みんな、落ち着け!」

 誰かが叫ぶが、その声は、まるで獣の咆哮のような風の音にかき消された。



 状況は、数分で悪夢へと変わった。

 人々はパニックに陥り、我先にと出口へ殺到するが、降り積もった雪と、急速に凍り始めた地面に足を取られ、あちこちで転倒者が続出する。泣き叫ぶ子供の声、助けを求める大人の怒声。楽しいはずだった祭りの広場は、一瞬にして地獄絵図と化した。

 このままでは、凍死者や、将棋倒しによる圧死者が出る。それは、火を見るより明らかだった。

 「奥様、危険です! 早く屋敷へ!」

 フィーが私の腕を引き、庇うように前に立つ。けれど、私の足は、その場に縫い付けられたように動かなかった。

 私の脳裏に、前世の記憶がフラッシュバックする。大規模なシステム障害、予期せぬプロジェクトの炎上。絶望的な状況で、冷静に情報を整理し、優先順位をつけ、最適解を導き出す。あの息の詰まるような日々で、私が唯一得意としていたこと。

 そうだ。パニックになるな。私。

 まず、確保すべきは三つ。安全な避難場所、人々を温めるための熱源、そして、体力を維持するための食料。

 私の視線が、広場の最も奥、石造りの頑丈な神殿へと向かう。あそこなら、この猛吹雪にも耐えられる。

 熱源は、ここにある。各屋台が使っている薪と、調理用の火だ。

 食料も、ここにある。まだ鍋にたっぷりと残っているシチューと、各屋台の食材。

 やるべきことは、決まった。

 私は、震えるフィーの肩を一度だけ強く抱き、そして、彼女の前に出た。

 腹の底から、自分でも驚くほどの大きな声を張り上げる。

 「皆さん、聞いてください!」

 私の声は、奇跡的に風の合間を縫って、近くにいた人々の耳に届いた。何人かが、驚いたように私を振り返る。

 私は、一番近くにいたソーセージ屋の強面の親方を、まっすぐに見据えて叫んだ。

 「親方! あなたのところの薪と食材を、全て神殿へ運んでください! 他の皆さんも、動ける者は、自分の店の食料と薪を持って、神殿へ集まってください!」

 それは、もはやお願いではなかった。命令だった。

 一瞬の沈黙。誰もが、この状況で指示を出す若い公爵夫人の姿に、呆気に取られていた。

 その沈黙を破ったのは、私が名指しした、あの強面の親方だった。

 彼は、私の目を一秒だけ見つめると、次の瞬間、雷鳴のような大声で、自分の仲間たちに怒鳴った。

 「てめえら、聞いたな! 公爵夫人の言う通りだ! ぼさっと突っ立ってんじゃねえ! 動け、動けぇ!」

 その一喝が、凍り付いていた人々の心を溶かした。



 親方の言葉を皮切りに、先ほどまで私のライバルだった露天商たちが、今や、私の指示の下で一糸乱れぬ動きを見せる、頼もしい部隊へと変わっていた。

 「揚げ物用の油は火がつきやすい! 焚き付けに使えるぞ!」

 「こっちの野菜はまだ凍ってねえ! 全部持ってけ!」

 彼らは、自分たちの財産である食材を惜しげもなく差し出し、協力して神殿へと運び込んでいく。その姿を見て、パニックに陥っていた一般の領民たちも、次第に落ち着きを取り戻し始めた。

 「私は、動けない老人を運びます!」

 「私は、迷子になった子供たちを集めます!」

 絶望的な混乱の中に、小さな秩序の光が灯り始める。

 「フィー! あなたは神殿の中で、怪我人の手当てと、子供たちを温める準備を! ゲルトさんは、神殿の厨房を借りて、全ての食材を集め、炊き出しの準備をお願いします!」

 「「は、はい!」」

 私は、次々と矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。不思議と、恐怖はなかった。守るべき人々が、私の言葉で動き、一つの目的に向かって団結していく。その光景が、私に力を与えてくれた。

 神殿は、臨時の避難所となった。中央では、持ち寄られた薪が大きな焚火となり、凍える人々の体を温める。厨房からは、ゲルトさんたちが作る巨大な鍋のシチューの、温かい香りが漂い始めた。

 私は、吹雪が吹き荒れる神殿の入り口に立ち、遅れて避難してくる人々を誘導し続けていた。冷たい雪が容赦なく顔に叩きつけ、髪も服も、あっという間に凍り付いていく。

 けれど、私の心は、不思議なほど熱く燃えていた。

 これは、もはやお祭りではない。

 これは、猛威を振るう自然との戦い。人々を生かすための、戦場だ。

 そして、その最前線に、私は指揮官として立っている。

 「いい子」だった私には、決して見ることのできなかった景色が、今、この吹雪の向こうに広がっていた。

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