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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第4話 保存庫の宝と共犯者の誕生

 一週間の試用期間。それは、私にとっての好機であると同時に、失敗の許されない戦いの始まりでもあった。私がまず向かったのは、厨房のさらに奥、巨大な扉の向こうにある大保存庫だった。


 扉を開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。干し草と、古い木材と、わずかな埃の匂い。薄暗い庫内には、天井まで届きそうな棚がいくつも並び、樽や木箱、麻袋が整然と、しかしどこか無機質に積まれている。ここが、この公爵家の食を支える心臓部だ。

 家令の管理下にあるこの場所は、一見すると完璧に整理されている。だが、私には分かる。これは「管理のための管理」だ。食材を最高の状態で使うための工夫ではなく、ただ腐らせないように並べているだけ。前世で見た、誰も中身を把握していない共有サーバーのようだ。宝の持ち腐れとは、まさにこのことだろう。

 私は腕まくりをすると、持参した帳簿とペンを手に、棚から木箱を一つ下ろした。まずは在庫の棚卸しからだ。何が、どれだけ、どのような状態で保管されているのか。それを把握しなければ、戦いは始まらない。

 干しリンゴ、塩漬けの魚、樽詰めのピクルス。私は一つ一つの状態を確認し、手早く帳簿に書き込んでいく。この作業は得意だった。限られた予算と人員でプロジェクトを回していた前世の経験が、こんなところで活きるとは皮肉なものだ。

 黙々と作業を続けていると、背後に人の気配がした。振り返らずとも分かる。昨日からずっと、私の動向を窺っていた侍女長のフィーだ。彼女は何も言わず、私が作業する様子を入り口の柱の陰からじっと見ている。敵意はないが、警戒は解いていない。値踏みされている、という表現が一番しっくりきた。

 私は構わず作業を続けた。やがて、保存庫の半分ほどを調べ終えた頃、彼女が静かに口を開いた。

「……何を、なさっているのですか」

 その声には、純粋な疑問が滲んでいた。

「見ての通り、棚卸しです」と、私は帳簿から目を離さずに答える。「何があるかを把握しなければ、献立も立てられませんから」

「そのようなことは、家令様がすべて管理されております。必要なものは、申請すれば料理長が受け取る手筈に……」

「そのやり方では、無駄が多くなりませんか?」

 私はペンを置き、初めて彼女の方へ向き直った。

「例えば、あそこの干し肉。手前の新しいものから使っているせいで、棚の奥にある古いものがどんどん硬くなっている。あちらの小麦粉も、袋の口が開いたままです。これでは風味が落ちるし、虫も湧きやすい」

 私の指摘に、フィーはハッとした顔をした。彼女も、ずっとそれに気づいていたのだろう。だが、家令の厳格な管理体制の前では、何も言えなかったに違いない。

「私は、ここにあるものすべてを、美味しく使い切りたい。それだけです」

 私の言葉に嘘はなかった。フィーはしばらく私を見つめていたが、やがて意を決したように一歩、前に出た。

「何か、お手伝いできることはありますか」

 それは、この城に来て初めて掛けられた、純粋な協力の申し出だった。私は思わず、小さく微笑んだ。

「では、お願いがあります。この塩漬け肉、少し塩抜きを手伝っていただけますか?美味しいシチューの素になるんです」



 私とフィーは、二人きりで厨房の隅の調理台に向かい合っていた。他の料理人たちは、遠巻きにこちらを見ているだけで、手を出そうとはしない。だが、もうその視線は気にならなかった。私には、フィーという心強い味方が一人、できたのだから。

「塩漬け肉は、こうして薄切りにしてから水に浸けると、早く塩が抜けるんです。それに、煮込んだ時に味が染みやすい」

「まあ……。いつもは塊のまま、半日も水に漬けていましたわ」

 フィーは感心したように呟く。私は彼女に、干しキノコをぬるま湯で戻す方法や、玉ねぎを飴色になるまでじっくり炒める意味を、一つ一つ丁寧に説明した。それは、前世では当たり前だった「料理の基本」だ。しかし、礼法と慣習に縛られたこの厨房では、忘れ去られてしまった知恵らしかった。

 やがて、大きな鍋の中で、飴色の玉ねぎと塩抜きした豚肉、そして野菜がバターで炒められ、香ばしい匂いが立ち上り始める。そこに小麦粉を振り入れて絡め、キノコの戻し汁と、実家から持ってきた岩塩を少しだけ加える。

「味見、なさいますか?」

 私が小さな匙を差し出すと、フィーは恐る恐るそれを受け取り、スープを一口含んだ。その瞬間、彼女の目が驚きに見開かれる。

「美味しい……!なんて、深い味なのでしょう。塩辛くなくて、野菜の甘みが……」

「まだ煮込む前ですよ。これからが本番です」

 私は悪戯っぽく笑い、鍋の蓋をした。コトコトと、穏やかな音が厨房に響き始める。その音を聞きながら、私はフィーに、もう一つの計画を打ち明けた。

「フィー。保存庫の一角を、少しだけ拝借しても?」

「え?ええ、構いませんけれど……」

 私は彼女を連れて、再び薄暗い保存庫へ向かった。そして、空いている棚の一角を指差す。

「ここに、少しだけ温かい場所を作りたいんです」

「温かい場所、ですか?保存庫で?」

 フィーは怪訝な顔をしている。私は答えの代わりに、ポケットから手のひらサイズの、何の変哲もない石をいくつか取り出した。そして、その石の一つを手に握り、ぎゅっと目を閉じて集中する。

 私の体質、「温導質」。それは、人の魔力だけでなく、無機物に宿る微弱な魔力にも干渉できる。私の体温と魔力が、ゆっくりと石に伝わっていく。

 やがて目を開けると、私の手の中の石は、じんわりとした熱を帯びていた。

「触ってみて」

 フィーがおそるおそる石に触れると、「あっ」と小さく声を上げた。

「温かい……まるで、日向に置いてあったみたいに」

「この石をいくつか棚に置けば、簡易的な保温棚になります。パン生地を発酵させたり、スープを冷めないように置いたりできる。ほんの少しの工夫で、料理はもっと美味しくなるんです」

 私は熱を帯びた石を棚にいくつか並べた。その一角だけ、空気がふわりと温かくなる。それは、魔法というにはあまりに地味で、ささやかな奇跡だった。

 だが、フィーは、その光景を言葉もなく見つめていた。やがて、彼女は私に向き直ると、その目に確かな輝きを宿して、こう言ったのだ。



「奥様、それ最高です!」


 その声は、興奮と感動に打ち震えていた。彼女は、私が作った小さな「温棚」と私の顔を交互に見比べ、まるで伝説の魔法使いでも見るかのような眼差しを向けている。

「こんなこと……考えたこともありませんでした!これがあれば、冬でもパンがふっくら焼けます!冷めやすいお料理も、一番美味しい温度でお出しできる!なんて、なんて素晴らしい……!」

 彼女の熱のこもった賞賛に、私は少し気恥ずかしくなってしまう。私にとっては、前世の知識と、この体の特性を組み合わせただけの、ただの思いつきだったからだ。

 だが、フィーにとっては、長年の不満と諦めを打ち破る、革命的な発明に見えたのだろう。彼女の中で、私に対する評価が、警戒から確信へと変わったのが分かった。

 この人は、本気だ。本気で、この冷え切った城を変えようとしている。

 彼女の瞳は、そう物語っていた。

 私とフィーの間には、この瞬間、確かな共犯関係が生まれた。


 翌朝の朝食。

 公爵の前に置かれたのは、湯気の立つクリームシチューと、温棚で軽く温められた、ふかふかのパンだった。

 公爵は、昨日と同じように何も言わず、ただ黙々と食事を進めていた。しかし、その食べる速度は、以前とは比べ物にならない。そして、食事が終わると、いつもより血色の良い顔で、一言も発さずに執務室へと向かっていった。

 その背中を、私とフィーは厨房の入り口から見送る。

 家令が悔しげな顔でこちらを睨んでいるのが視界の端に入ったが、もう気にならなかった。

 公爵の姿が見えなくなると、隣に立つフィーが、そっと私に囁いた。その声は、勝利を確信した共犯者の声だった。


「勝ちましたね、奥様」

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