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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第43話 金の無心と返信

 その手紙は、昼食を終えた直後に届けられた。

 差出人の名を見るまでもない。銀色の蝋で無骨に封をされた、見慣れたラトクリフ伯爵家の紋章。それを見ただけで、胃の奥がずしりと重くなるのを感じた。侍女が心配そうに私を見ているのに気づき、私は無理に微笑んでみせる。

 「ありがとう。下がっていいわ」

 一人になった執務室で、私は手紙を机の上に置いた。しばらく、ただそれを見つめる。まるで毒蛇がとぐろを巻いているようだ。開ける前から、その中身は分かっていた。エレオノーラが警告してくれた通り、彼らは行き詰まったのだ。そして、私を思い出した。いや、私の嫁ぎ先を思い出した、という方が正確だろう。

 ペーパーナイフの冷たい感触が、私の決意を固めさせた。

 封を切り、中から現れた上質な羊皮紙を広げる。そこには、見慣れた父の、尊大で流れるような筆跡が並んでいた。


 『レティシアへ。

 息災のことと思う。さて、本題に入る。

 近頃、我が家の名誉を毀損しようとする、悪質な噂が流れていることは、お前の耳にも入っているだろう。事実無根の戯言だが、これを鎮めるためには、相応の対応が必要となる』


 時候の挨拶も、私の体調を気遣う言葉一つない。冒頭から、自己正当化と責任転嫁に満ちた文章が続く。私は冷めた気持ちで読み進めた。


 『ついては、アレスティード公爵家の名をもって、王都の金融ギルドに圧力をかけ、我が家への融資を円滑に進めるよう取り計らえ。また、当座の資金として、金貨五千枚を早急に送金するように。これは命令である。

 アレスティード家に嫁いだ娘として、実家を支えるのは当然の義務である。お前が今その地位にあるのは、誰のおかげか、ゆめゆめ忘れることのないように』


 最後の一文を読み終えた時、私の心の中で、か細く残っていた最後の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。

 義務。おかげ。

 彼らは、私がこの屋敷で何をして、どんな思いで日々を過ごしているかなど、想像すらしたことがないのだろう。私が手に入れたこの穏やかな日常は、彼らにとって、ただ利用するための「地位」と「財産」でしかない。

 怒りよりも先に、深い、底なしの虚無感が私を襲った。もう、うんざりだった。彼らの身勝手な期待に、「いい子」として応えようとすることに。

 私は手紙を丁寧に折り畳むと、静かに立ち上がった。向かう場所は、一つしかなかった。



 アレスティード公爵の執務室の扉をノックすると、中から「入れ」という低い声がした。

 重い扉を開けると、彼は山のような書類が積まれた机に向かっていた。私が部屋に入ったことに気づくと、彼はペンを置き、静かに顔を上げた。感情の読めない灰色の瞳が、私をまっすぐに見据える。

 私は彼の前まで進み出ると、父からの手紙を無言で差し出した。

 彼は訝しげに眉をひそめたが、黙ってそれを受け取った。彼が手紙に目を通す間、部屋には紙が擦れる音だけが響いた。私は、ただまっすぐに立って、彼の反応を待った。

 最後まで読み終えると、彼は手紙を静かに机の上に置いた。その表情に変化はない。けれど、部屋の空気が、先ほどよりもさらに数度、下がったような気がした。

 彼は、私を責めなかった。助けようとも、突き放そうともしなかった。ただ、静かに、私に問いかけた。

 「お前は、どうしたい」

 その声は、氷のように平坦だった。だが、その瞳の奥で、私の覚悟を試すような、鋭い光が揺らめいている。彼は、私がどう動くのかを見ている。私が、自分の意思で、何を選ぶのかを。

 私は、彼の視線から逃げなかった。

 「契約に従います」

 私の答えは、簡潔だった。婚姻契約書に記された条項。『外部の家族への、個人的な経済支援は、これを一切禁ずる』。あの時、私を自由にしてくれた、冷たい鎖。

 「ここに、返信を認めてもよろしいでしょうか」

 私は、彼の許可を求めた。ここで、彼の目の前で、全てを終わらせる。それが、私の誠意であり、決意の証だった。

 公爵は、わずかに目を見開いた。そして、すぐにいつもの無表情に戻ると、顎で執務机の端に置かれた、真新しい便箋とインク壺を示した。

 「……好きにしろ」

 その許可を得て、私は彼の執務机へと向かった。インク壺の蓋を開ける、ガラスの触れ合う硬い音が、やけに大きく部屋に響いた。



 私は椅子に座り、背筋を伸ばした。

 ペン先を、黒いインクに浸す。震えは、なかった。心の中は、嵐が過ぎ去った後のように、静まり返っていた。

 便箋の上に、ペン先を滑らせる。迷いのない文字が、白い紙の上に刻まれていく。

 感傷も、怒りも、恨み言も、そこにはない。ただ、揺るぎない事実だけを、冷徹に記す。


 『ラトクリフ伯爵閣下。

 お手紙、拝読いたしました。

 婚姻契約の条項に基づき、ご要望にはお応えいたしかねます。

 レティシア・アレスティード』


 書くべきことは、それだけだった。

 私はペンを置くと、手紙を丁寧に三つに折り、封筒に入れた。そして、机の上の燭台に近づき、そこに立てられていた赤い封蝋を、炎にかざす。

 蝋がゆっくりと溶け、ぽたり、ぽたりと、封筒の閉じ目に深紅の滴を落としていく。

 私は、机の隅に置かれていた、公爵の私印を手に取った。ずしりと重い、銀の塊。彫り込まれているのは、剣と盾を掲げるグリフィン。アレスティード公爵家の、誇り高き紋章。

 まだ温かい蝋の中心に、それをゆっくりと押し当てる。

 じゅ、という微かな音と共に、蝋が紋章の形に広がっていく。

 父との繋がりを断ち切る、冷たくて、硬い感触が、私の指先に、はっきりと伝わってきた。

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