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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第37話 温かさの正体

 ギルドの若手職人たちと密会した日から数日後、私の元に珍しい客人が訪れた。執事長のブランドンが執務室へ案内してきたのは、アレスティード公爵領が誇る軍医、ダニエル・ファーメントその人だった。

 彼は医者らしい、清潔だが少し着古したコートを羽織り、挨拶もそこそこに、持参した分厚い革鞄から何枚もの羊皮紙を取り出した。その目には、社交辞令など一切ない、純粋な探求者の光が宿っている。

 「公爵夫人。突然の訪問、失礼する。だが、どうしても君に直接、確認せねばならんことができた」

 ダニエル医師はそう言うと、羊皮紙をテーブルの上に広げた。そこには、細かい文字と数字、そしていくつかのグラフがびっしりと書き込まれている。

 「これは、先月の兵舎での健康診断の結果と、負傷兵の回復記録をまとめたものだ。見てほしい、この数値を」

 彼が指し示したのは、兵士たちの平均体温の変化と、軽度の傷が完治するまでの日数を記録したグラフだった。私が兵舎の食事改革を始めてから、その両方の数値が、明らかに良い方向へと改善している。それは、私が予測していた通りの結果だった。

 だが、彼の本題はそこではなかった。

 「問題は、ここからだ」

 彼は別の羊皮紙を重ねた。

 「これは、私が厨房から同じレシピを借り受け、私の管理下で兵士たちに提供した際のデータ。そしてこちらが、君が直接、厨房で調理の最終工程に立ち会った際のデータだ。レシピも材料も、火加減さえも同じはず。だが、結果は全く違う」

 彼の言う通りだった。私が関わった食事を摂った兵士たちのグループは、そうでないグループに比べ、回復速度が二割近くも速い。平均体温の上昇率も、明らかに高い。

 「誤差、というにはあまりに大きな差だ。まるで、君が作った料理には、何か……薬効成分でも含まれているかのようだ。公爵夫人、君は料理に何か特別な薬草でも加えているのか?」

 彼の問いは、鋭く私の核心を突いていた。私の額に、じわりと冷たい汗が滲む。

 特別な薬草。そんな便利なものはない。あるのは、私のこの体質だけ。触れたものの温度と巡りを整える、「温導質」。実家で、異母妹セシリアの魔力供給源として、ただひたすらに搾取され続けた、忌まわしい力の源泉。

 私はこの力を、誰にも知られたくなかった。特に、その効果を正確に分析できる医者になど。この力が公になれば、私はまた「便利な道具」として、誰かに利用されるかもしれない。あの薄暗い部屋で、ただ妹のために体温を分け与え続けた日々の記憶が、冷たい靄のように心を覆う。

 「……いいえ、ダニエル医師。レシピ以外のものは、何も加えておりませんわ。兵士の皆さんのことを思って、心を込めて作っているだけです」

 我ながら、ひどく曖昧な答えだった。心を込めるだけで、これほどの治癒効果が生まれるものか。そんな非科学的な話が、この現実主義者の塊のような軍医に通用するはずがない。

 案の定、ダニエル医師は眉間の皺を深くした。

 「心、か。残念ながら、私は医者でね。心というものを数値で測ることはできん。だが、目の前にあるこの『事実』から、目を逸らすこともできんのだ」

 彼は椅子に深く座り直し、真っ直ぐに私を見据えた。その瞳に、糾弾の色はない。あるのは、ただ純粋な知的好奇心と、目の前の謎を解き明かしたいという、研究者としての渇望だけだった。

 「誤解しないでほしい、公爵夫人。私は君を魔女だと告発したいわけじゃない。むしろ逆だ。もし、君の料理に含まれる『何か』を解明できれば、それはこの北の地で暮らす、多くの人々を救うことになる。寒さで命を落とす老人や子供、戦で傷ついた兵士たち……。これは、医学の新しい可能性になるかもしれんのだ」

 彼の言葉には、嘘も飾りもなかった。ただ、人々の命を救いたいという、医者としての誠実な想いだけがそこにあった。

 私は、唇を噛んだ。

 実家では、私の力はセシリア一人のために使われた。それは閉ざされた世界での、一方的な搾取だった。けれど、今、目の前の男は、この力を「多くの人々を救うため」に使えないかと問いかけている。

 同じ力でも、使う場所と目的が違えば、その意味は全く変わるのかもしれない。

 「いい子」でいることをやめた私は、我慢することをやめた。自分の身を守るためなら、この秘密を墓場まで持っていく覚悟もある。けれど、同時に私は、この公爵家で、自分の手で温かい食卓を作り、人々の役に立つ喜びを知ってしまった。

 どちらを選ぶべきか。沈黙か、それとも開示か。

 長い沈黙の後、私はゆっくりと口を開いた。ただし、全てを魔法や奇跡として語るつもりはなかった。それでは、彼のような科学者には理解されない。それに、私自身も、この力を得体の知れない奇跡のままにしておきたくはなかった。

 私は、前世の知識という、この世界で唯一私だけが持つ切り札を使うことに決めた。

 「……ダニエル医師。これからお話しすることは、私の個人的な……そう、一つの『仮説』です。何の証明もされておりません。ただの与太話として、聞いていただけますか」

 彼の目が、興味深そうに細められる。

 「私は、生まれつき、少しばかり特異な体質のようです。私の体内を巡る魔力は、どうやら、私が触れた液体や気体の……そうですね、とても小さな、目に見えない粒の集まりに、微細な影響を与えるようなのです」

 私は、前世でかじった分子化学の知識を、この世界の言葉に必死で翻訳しながら続けた。

 「例えば、スープを温める時。ただ火で温めるだけでなく、私の魔力が加わることで、その目に見えない粒の動きが、より活発で、整然としたものになる。その結果、同じ温度でも、より効率的に人の体に熱を伝え、栄養の吸収を助ける……そんな可能性は、考えられないでしょうか」

 それは、魔法を科学の言葉で偽装した、苦し紛れの仮説だった。だが、私の言葉を聞くうちに、ダニエル医師の表情がみるみる変わっていく。最初は懐疑的だった彼の目が、次第に驚きに、そして最後には抑えきれないほどの興奮に輝き始めた。

 「目に見えない粒……分子構造だと!?魔力が物質の根源に直接作用する、ということか……?ばかな、そんなことは、今の魔力医学の常識を根底から覆すぞ……!」

 彼は椅子から立ち上がると、部屋の中を興奮したように歩き回り始めた。

 「だが、もし、もしその仮説が正しいとすれば!君の料理が持つ驚異的な回復力の謎が、全て説明できる!栄養吸収率の向上……!そうだ、それだ!だから兵士たちの回復が早いんだ!ああ、なんてことだ……!」

 彼は私の前に戻ってくると、まるで宝物でも見るかのような目で、私の手を見つめた。

 「公爵夫人。君は、とんでもない扉を開けようとしているのかもしれないぞ」

 私は、彼のその熱量に少し気圧されながらも、安堵の息を吐いた。私の突飛な仮説は、拒絶されるどころか、彼の探究心に火をつけたようだった。

 「それで、医師。この仮説を、どう思われますか」

 「どう思うか、だと?決まっている!検証するんだよ!」

 ダニエル医師は、まるで少年のように目を輝かせて言った。

 「もちろん、君の体質が公になるのは危険が伴うだろう。それは避けねばならん。だが、この仮説自体は、匿名の研究論文として発表する価値がある。いや、義務がある!私には、王都のアカデミーに所属する旧友がいる。彼は、私と同じで、常識よりも事実を重んじる男だ。まずは、彼の意見を聞いてみよう」

 彼はそう言うと、私の許可も待たずに、羊皮紙とペンを取り出し、猛烈な勢いで何かを書き殴り始めた。私の提示した仮説、兵舎でのデータ、そして今後の研究計画。彼の頭の中では、もう未来への道筋が見えているようだった。

 その背中を見ながら、私は静かに思う。

 私のこの力は、呪いではなかったのかもしれない。

 それは、使い方を知らなかっただけの、ただの可能性の塊だったのかもしれない。

 ダニエル医師は、やがて書き上げた草稿を満足げに眺めると、私に向き直った。

 「ありがとう、公爵夫人。君のおかげで、私の退屈な人生が、これからとんでもなく面白くなりそうだ」

 彼はそう言ってにやりと笑うと、嵐のように執務室から出て行った。おそらく、今夜は徹夜で論文を書き上げるのだろう。

 一人残された部屋で、私は自分の手のひらを見つめた。

 この手で、私はこれから、何を生み出していけるのだろうか。

 窓の外では、北の空が静かに暮れようとしていた。

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