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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第34話 氷の議場、炎の弁論

 規約委員会の議場は、その名にふさわしく、体の芯まで凍てつかせるような冷気に満ちていた。高い天井、分厚い石壁、そして磨き上げられた黒曜石の長テーブル。私の吐く息が、わずかに白く見える。

 上座には委員長である市参事会の長老が座り、その両脇に、領都の権力者たちが硬い表情で並んでいる。神殿の代表、市参事会の重鎮、そして領軍の武官。その中に、ひときわ大きく、そしてふてぶてしい態度で席を占めている男がいた。

 ギルド長、ボルコフ。

 赤ら顔に、贅肉のついた首。指にはこれみよがしに金の指輪が光っている。彼は私を一瞥すると、侮蔑の色を隠そうともせず、鼻で笑った。まるで、ままごとにうつつを抜かす小娘が、分不相応な場所に迷い込んできたとでも言いたげな顔だった。

 私はその視線を意にも介さず、証人席として用意された椅子に静かに腰を下ろす。背後には、傍聴席でブランドンとダニエル殿が見守ってくれていた。彼らの存在が、私の心を凪いだ水面のように落ち着かせてくれる。

 やがて、委員長の厳かな声が、冷たい議場に響き渡った。

 「これより、規約委員会を開会する。本日の議題は、アレスティード公爵夫人レティシア殿の提唱する食文化改革が、我が領都の商業秩序に与える影響について、である。まず、請願者である保存食ギルド長、ボルコフ殿より意見を伺う」

 ボルコフは、待ってましたとばかりに立ち上がった。その声は、見た目通りによく響く。

 「委員各位におかれましては、ご健勝のこととお慶び申し上げる。さて、本日私がこの場に立っておりますのは、他でもない、この氷の都の未来を憂うがためであります!」

 芝居がかった口上で、彼は演説を始めた。

 「アレスティード公爵夫人のご活動、そのお志は素晴らしいものでありましょう。しかし、その行いは、我らが先祖代々、この厳しい冬を乗り越えるために築き上げてきた、尊ぶべき伝統と秩序を根底から揺るがすものであります!『温かい食事』、聞こえは良い。しかし、それは南方の軟弱な文化。我ら北の民の強さの源泉は、質実剛健な保存食文化にあるのです!」

 ボルコフは、伝統という錦の御旗を振りかざす。委員の中には、深く頷く者もいる。

 「さらに、看過できぬは経済への影響であります!夫人の改革は、我ら保存食ギルドに属する多くの職人たちの仕事を奪うものです。塩漬け肉を作り、野菜を干し、魚を燻製にする。その地道な手仕事で、かろうじて生計を立てている者たちが大勢いるのです。彼らの生活を、どうお考えか!これは、弱者を切り捨てる行為に他ならない!」

 正論だ。少なくとも、表面的には。彼は伝統、秩序、そして弱者の保護という、誰もが反対しにくい言葉を巧みに並べ立て、私を「伝統を破壊し、弱者を虐げる悪者」に仕立て上げようとしていた。

 彼の演説が終わると、議場は重苦しい沈黙に包まれた。ボルコフは勝ち誇ったように私を見やり、席に着く。

 委員長の視線が、私に向けられた。

 「……公爵夫人。反論があれば、伺いたい」



 私はゆっくりと立ち上がった。心臓が少しだけ速く脈打つのを感じるが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、これから始まる反撃への静かな高揚感が、私の体を満たしていた。

 「皆様、本日はこのような機会をいただき、感謝申し上げます」

 私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

 「まず、私が皆様にお配りしたいものがございます」

 合図をすると、控えていたフィーが、私たちが徹夜で作り上げた報告書の写しを、委員一人一人の前へと置いていく。分厚いファイルの束に、委員たちの間に戸惑いのざわめきが広がった。ボルコフは、眉をひそめてその様子を眺めている。

 「皆様、どうぞ、一ページ目をお開きください」

 私は、自分の手元にある報告書を指し示した。そこには、私が描いた美しい曲線を持つグラフが印刷されている。

 「これは、私が公爵家の厨房を預かるようになってからの、食費と廃棄食材量の推移を示したものです。ご覧の通り、食費は三割削減され、廃棄食材に至っては、ほぼゼロになりました」

 ざわめきが、大きくなる。何人かの委員が、信じられないというように身を乗り出してグラフを覗き込んでいる。

 「ボルコフ殿は、私の改革が贅沢だと仰いました。しかし、この数字が示す事実は、その逆です。私の提唱する食事は、贅沢どころか、むしろ極めて経済的です。なぜなら、これまで価値がないと捨てられていた食材に、知恵と手間で新たな価値を与えているからに他なりません」

 私はページをめくる。

 「次に、健康について。こちらは、領軍軍医であるダニエル殿の協力のもと作成した、兵士たちの健康状態に関する報告書です。温かい食事を提供するようになってから、兵士たちの風邪による病欠率は四割減少し、任務中の集中力も向上したという報告が上がっております。これは、我が領土を守る兵士たちの戦闘能力が、直接的に向上したことを意味します」

 軍服を着た委員が、ほう、と感嘆の声を漏らした。

 「そして最後に、士気について。これは、使用人や兵士たちから集めた、匿名の声です。ある兵士はこう書いています。『温かい食事は、俺たちがただの駒ではなく、大切にされていると感じさせてくれる』と」

 私は一度言葉を切り、議場を見渡した。委員たちの表情から、先ほどまでの硬さが消え、真剣な関心の色が浮かんでいる。

 「伝統とは、過去の迷信に縛られることではありません。未来の利益のために、より良い形へと進化させていくべきものです。ボルコフ殿、あなたの言う伝統は、果たして、この都にどのような利益をもたらしているのでしょうか」

 静かな問いかけに、ボルコフはぐっと言葉に詰まった。



 追い詰められたボルコフが、最後の切り札を切ってきた。

 「こ、小賢しい数字の羅列など、どうとでもなる!問題は雇用だ!職人たちの仕事を奪うという事実を、どう説明する!」

 彼はテーブルを叩き、声を荒らげた。しかし、その声には先ほどまでの自信はなく、焦りの色が滲んでいる。

 私は、待っていましたとばかりに、穏やかに微笑んだ。

 「ボルコフ殿。どうやら、大きな誤解をなさっているようです」

 「なんだと?」

 「私の改革は、保存食を不要にするものでは、決してありません。むしろ、その逆です」

 私は報告書の最後のページを開いた。そこには、新しい料理のレシピがいくつも記されている。

 「皆様が誇りとする塩漬け肉は、ハーブと共にじっくり煮込むことで、これまでにないほど柔らかく、滋味深い一皿となります。天日で干された野菜は、温かいポタージュスープにすれば、その甘みを最大限に引き出すことができる。これは、危機などではありません。皆さんの素晴らしい技術と、私の新しい調理法を組み合わせることで、新たな市場を創造する、絶好の機会なのです」

 私は、まっすぐにボルコフを見据えた。

 「私は、皆さんの仕事を奪うつもりなど毛頭ありません。むしろ、皆さんが作った素晴らしい保存食を、公爵家御用達の『温かいスープの素』として認定し、共に新しい商品を開発していきたいとさえ考えております。これは、あなたのギルドにとって、大きな商機となるはずです」

 私の提案に、議場は再びどよめいた。ボルコフの顔が、みるみるうちに赤から青へと変わっていく。彼は、私が自分の利権を完全に破壊しに来たと思っていたのだろう。だが、私の提案は、破壊ではなく「共存」、そして「発展」だった。彼の掲げた「弱者の保護」という大義名分が、音を立てて崩れ去っていく。



 ボルコフは、もはや反論の言葉を見つけられないようだった。ただ、悔しげに唇を噛み締め、私を睨みつけている。

 私は、その彼から視線を外し、ゆっくりと議場全体を見渡した。そして、委員一人一人の目を見ながら、最後の問いを投げかける。

 「委員の皆様。最後に、皆様ご自身にお伺いしたい」

 私の声が、静まり返った議場に響く。

 「一部のギルドが守り続けてきた、旧い利権。それと、この都で暮らす領民全体の健康。そして、いざという時に、我々の命と財産を守ってくれる兵士たちの強さ」

 私は、そこで一度、息を吸った。

 「皆様は、公人として、どちらがより重要だとお考えになりますか」

 それは、誰にも否定できない、究極の問いかけだった。

 議場は、水を打ったような静寂に包まれた。誰もが、私の言葉の重みを測るように、固唾を飲んでいる。

 ボルコフは、何かを叫ぼうとして口を開きかけたが、結局、何の言葉も発することはできなかった。彼の顔は、怒りと屈辱で歪んでいる。

 私は静かに一礼し、自分の席へと戻った。

 ペンは、確かに剣よりも強かった。

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