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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第230話 終息と戦果

 前線雪洞の中では、まだ鍋が火にかけられていたが、緊迫した空気は薄れていた。兵の出入りも少ない。代わりに、各隊からの詳細な報告が次々と集まってくる。

「氷魔の残存個体、各所で殲滅完了との報告が増えてきました」

 入口付近で報告書を仕分けていた兵が声を上げた。

「黒氷片からの新たな発生も確認されず。魔力乱流は全域で減衰傾向。通常の雪嵐程度まで戻りつつあるとのことです」

 ダニエルが机上の地図と照らし合わせる。

「昨日のこの時間と比べると、乱れの値が半分以下だ。核を失った氷魔は、もう自力で増える力を残していない」

 彼は一枚の紙を取り上げ、アレス様に差し出した。

「全体として、民間への浸透はゼロ。境界線も維持されています」

 アレス様は報告書に目を通し、静かに頷いた。

「良い。全隊に撤収準備を命じる」

 低い声が雪洞の中に広がる。

「戦闘部隊から順に段階的に下げる。負傷者と魔力消耗の大きい者を最優先。補給所は最後まで維持し、閉鎖は撤収完了後とする」

「了解しました」

 軍務長官が敬礼し、伝令を飛ばすために外へ向かった。



 ひと通り命令が行き渡ったあと、ダニエルが私の方を振り向いた。

「補給所の鍋は、あと何回分持ちますか」

「この鍋を空にすれば、予定していた分は終わりです。あとは携行食だけで十分でしょう」

 私は鍋の中身をかき混ぜながら答えた。

 底にはまだ豆と根菜が多く残っている。濃度も落ちていない。

「撤収の前に、前線から戻ってきた隊の締めとして、もう一度全員に配りたいですね」

「そうだな」

 ダニエルはうなずき、水晶板を閉じた。

 そのとき、背後から小さな笑い声がした。

「奥様、また鍋に話しかけそうな顔をしています」

 振り返ると、フィーが器を拭きながらこちらを見ていた。

「聞こえていましたか」

「はい。さっきも、底を見ながら小さく頷いていました」

「今度こそ言いますよ。よく働いてくれましたって」

 私は鍋の縁を軽く叩いた。

「この鍋がなかったら、ここまで回せませんでしたから」

「鍋もきっと喜んでいます」

 フィーが肩をすくめる。

 レオも少し離れたところで笑った。

「軍の人たちが、あの怖い顔のまま『もう一杯いいか』って聞きに来るのを何度見たか分かりません」

「その顔で、ですか」

「ええ。最初の一口を飲む前だけは、本当に怖い顔でした」

「飲んだあとは」

「少しだけ、ましになりました」

 レオの答えに、私も笑った。



 日が傾き始めた頃、臨時の全体報告が行われた。

 雪洞の外、風を避けられる小さな窪地に各隊の代表が集まり、簡易机の前に立つアレス様の声を聞いた。

「今回の氷魔対処戦の報告を行う」

 彼は手元の書類を一枚めくった。

「黒氷柱を中心とする核を破壊し、氷魔と推定される存在の発生源を断った。以後は残存の個体を掃討するのみとなる」

 集まった兵たちが静かに耳を傾ける。

「全戦線における戦死者は、当初想定より大幅に少ない数にとどまった。民間への被害流入はなし。境界線の防衛は維持された」

 軍務長官が横から補足した。

「魔力消耗による重篤な症状は多数出たが、前線補給所と雪洞での処置によって、多くが回復に向かっている。戦闘継続が不可能になった者もいるが、命は取り留めた」

 その言葉に、あちこちで小さな安堵の息が漏れた。

「今回の戦果は、刃だけで得られたものではない」

 アレス様が言葉を継いだ。

「補給線を守り、雪洞で鍋を担ぎ続けた者の働きも含めての結果だ。温かい食事が兵を立たせ、魔力の巡りを保った。氷魔に喰われなかったのは、各自が自分の体を戦力と心得て動いたからだ」

 視線が一瞬こちらに向く。

 私は代表者たちの列の後ろに立ち、そっと息をのんだ。

「この戦いで、温食公会と公共食堂網の仕組みは、領内だけでなく軍の戦術にも組み込めることが示された。今後は、今回の運用を基礎として、常設の兵站制度として整備する」

 軍務長官がうなずき、短く付け加える。

「今までは『余裕があるときの施し』だと思っていた者も多かったが、結果を見ればそうではないと分かるだろう。温食は、前線に立つ兵を守る鎧の一部だ」

 その言葉に、兵たちの顔つきが少し変わった。

 前線補給に関わった者たちが、互いに目を合わせる。

「今回の詳細な記録は、全隊に共有する」

 アレス様が締めくくる。

「良い点も悪い点も洗い出し、次に必ず生かす。それぞれの持ち場に戻り、撤収の準備を進めろ」

「了解」

 各隊代表が声を揃え、解散した。



 報告が終わったあと、私は雪洞へ戻る前に一度だけ外の景色を見た。

 黒氷柱があった方角には、砕けた黒い欠片が広がっている。

 昨日は鈍く光っていたその破片が、今はただの汚れた氷に見えた。

「魔力の反応はほとんど残っていません」

 隣に立ったダニエルが、携行用の魔導具を見ながら言った。

「このまま雪と風に削られれば、数か月もすれば跡形もなくなるでしょう」

「氷魔は戻ってきませんか」

「少なくとも、この核からは。別の場所で同じような歪みが育つ可能性はありますが、それはまた別の話です」

 彼は私の方を見た。

「ここを守るための一つの方法が形になった。それが今回の意味です」

「そうですね」

 私は黒氷の残骸から目を離し、雪洞の入口へ視線を戻した。

 そこではレオたちが鍋を下ろし始めている。

「レオ。片付けは順調ですか」

「はい。鍋は最後の一回分を配り終えました。あとは洗って詰めるだけです」

「焦げつきは」

「そこそこありますけど、ここまでよく頑張ってくれたので文句は言えません」

 レオは鍋底を見て笑った。

「軍の人たちから『この鍋ごと持って帰りたい』って言われましたよ」

「それは困ります」

「ちゃんとお断りしました。公会の備品ですから」

「ありがとうございます」

 フィーも片付けの手を止めてこちらを向く。

「奥様。前線に出ると聞いたときはどうなることかと思いましたけど、今回は本当に約束を守ってくださいましたね」

「守らないと、後で何を言われるか分かりませんから」

 私は小さく笑った。

「それに、私一人が前に出るより、仕組みを回す方が効果が大きいと分かりました」

「それを最初から分かっている人は少ないです」

 フィーが少し誇らしげに言う。

「公会の皆も、今回のことを聞いたらきっと喜びますよ」

「帰ったら、ちゃんと報告を書きます」



 撤収の隊列が動き始めた頃、私は最後にもう一度だけ雪洞の中を見回した。

 燃え残った木片を片付け、鍋を詰めた箱に布を掛ける。

「忘れ物はないな」

 背後から聞こえた声に振り向くと、アレス様が入り口近くに立っていた。

 昨夜より顔色は戻り、足取りも安定している。

「もう大丈夫なのですか」

「魔力値はまだ完全ではないが、行軍には支障がないとダニエルが言った」

「無理は禁物です」

「お前にも同じことを言う」

 いつものやり取りだった。

 それが戻ってきたことに、少しだけほっとする。

「今回の補給所は上出来だった」

 アレス様は雪洞の内部を一度見渡した。

「前線に立つ兵が、食事を乞うような目でここに来て、少しまともな顔で出ていくのを何度も見た」

「それは褒め言葉と受け取ってよろしいですか」

「ああ」

 彼は間を置かずに答えた。

「温かい食事は、兵站であり盾だ。そう言ったが、今回はその言葉に数字が追いついた。今後、この仕組みを外そうとする者はいない」

「それならうれしいです」

「温食公会と軍の連携を正式なものとする。詳細は領都に戻ってから詰めるが、前線補給を前提にした編成に改めさせる」

「お願いします」

 私は素直に頭を下げた。

「ここから先は、あなた方の領分です。私は必要な調整と提案を続けます」

「共にやると言った」

 彼はあっさりと言う。

「お前が鍋を担ぐかどうかは、その都度決めればいい」

「それはあまり担がない方向でお願いしたいです」

「判断するのは俺だ」

 そう言いながら、彼はわずかに口元を緩めた。



 撤収の列は夕刻前には動き出した。

 先頭に偵察隊、続いて戦闘部隊、その後ろに補給隊と温食公会の一行が続く。

 振り返ると、雪洞だった場所は既に半分以上埋め戻されていた。

 数日もすれば、ここが前線補給所だったことも分からなくなるだろう。

「名残惜しいですか」

 隣を歩くアレス様が問う。

「少しだけ」

 私は足元の雪を見た。

「でも、同じものをまた必要な場所に作ればいいだけです」

「そうだ」

 彼は頷き、前を向いた。

「今回の記録を基にすれば、次はもっと早くうまく作れる。兵の方も、最初から仕組みを知っている」

「温食公会の研修内容も変わりますね」

「変えろ」

「変えます」

 短い言葉のやり取りが続く。

 その先で、兵たちが互いの背を軽く叩き合いながら歩いている。

 レオが鍋を詰めた箱を両手で抱え、フィーがその横で歩調を合わせていた。

「アレス様」

「何だ」

「この領地は、やっぱり強いですね」

「そうだな」

 彼は風景を一度だけ見渡した。

「氷魔に囲まれても、飯を食い、雪を掘り、前に出る。面倒な連中だ」

「面倒で結構です」

「同感だ」

 彼の口元には、はっきりとした笑みが浮かんでいた。

「私も、その一部でいられて良かったです」

「お前は中心だと前にも言った」

 彼は視線をこちらに向ける。

「それは変わらない」

「……そこまで言われると、次も失敗できませんね」

「最初から失敗するつもりだったのか」

「成功の中に反省点を残すくらいの意味です」

「なら構わん」

 私も笑った。

「これからも、一緒にやりましょう」

「ああ。共にやる」

 はっきりとした返事だった。

 私たちはそのまま歩を進め、北境を後にした。

 こうして、氷魔の脅威に対する最初の戦いは区切りを迎えた。

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