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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第227話 雪洞の火

 出発の朝は暗かった。夜と朝の境目がまだはっきりしない頃、公爵邸の中庭には既に荷馬車が並んでいた。

 兵たちの列の一角に、温食公会の補給隊が混じっている。公会章を胸につけた料理人と見習いたちが、慣れない軍靴で足並みをそろえようとしていた。

「第三刻までに城門前集合。補給隊は本隊より二刻先に出る」

 軍の担当将校が声を張る。

「雪洞補給所の設営完了後、前線本隊を迎え入れる。移動中も携行食の配布を怠るな」

「はい」

 公会側を代表して、私は一歩前に出て返事をした。

 荷馬車には濃縮スープの箱、甘塩ブロックの袋、魔導石入りの保温槽が積まれている。鍋を吊るす鉄枠は別の荷馬車に括り付けてあった。

 短い点検を終えたところで、背後から声がかかる。

「レティシア」

 振り返ると、アレス様が軍装姿で近づいてきた。肩章と外套がいつもより重く見える。

「こちらは整ったか」

「はい。補給隊の人員と荷は予定通りです」

「本隊は後から追う。道中に問題があれば通信で連絡しろ」

「分かりました。雪洞の設営が終わったら一度報告を入れます」

 彼は短くうなずき、補給隊全体に視線を向けた。

「ここから先は戦場だが、お前たちの仕事は兵と同じくらい重要だ。自分の役割を見失うな」

 それだけ言うと、彼は本隊の集合場所へ向かって歩いていった。

 胸の内で息を整え、私は補給隊に向き直る。

「行きましょう。今日中に前線手前の雪洞まで辿り着かないといけません」

 レオが力強く頷いた。

「了解です」

 合図とともに荷馬車が動き出す。私たちはその横を歩いて城門を出た。



 北へ向かう道は、一度大氷期で使った補給線を基礎にして整え直したものだった。

 交代制で雪かきを続けていた兵のおかげで、車輪が完全に埋まるような箇所は少ない。吹き溜まりでは馬の足を守るために速度を落とすが、全体として行軍は順調だった。

 途中の小さな休憩地では、すでに簡易保温槽の試作機が据え付けられていた。魔導石と断熱材を組み合わせた箱の中には、ぬるま湯が保たれている。

「ここまで温度が落ちていないのですね」

 試しに手を入れると、冷えきった指先にじんわりと温度が戻る。

「雪洞補給所ではこれをもっと大きくして使います。今日のうちに感覚を掴んでおいてください」

 私は周囲の料理人たちに声をかけた。

「はい」

 彼らは真剣な顔でうなずき、保温槽の扱い方を順番に試していく。

 再び進軍が始まり、私たちはさらに北へ向かった。空気の冷たさは増していくが、風そのものは以前の大氷期ほど鋭くはない。晴れ間から覗く薄い陽光が、雪面を静かに照らしていた。

 やがて、先頭を行く斥候から合図が上がる。

「前線陣地手前の指定地点に到達。雪洞の基礎設営済みとのことです」

 軍務長官から預かっていた地図と照らし合わせると、確かに予定通りの位置だった。尾根の陰になる窪地で、周囲からは内部が見えにくい。

「荷を降ろします」

 指示が飛び、補給隊の面々が動き始めた。



 雪洞の入口は、少し離れて見ればただの雪壁にしか見えない。近づくと、人ひとりがかがんで通れる程度の低い開口部があり、その内側に狭い通路が続いていた。

 先行していた工兵隊が中から顔を出す。

「奥様。お待ちしておりました。内部の空間は確保済みです」

「ありがとうございます。中を見せてください」

 私は腰をかがめて通路に入り、雪洞の内部に足を踏み入れた。

 中は思ったより広かった。人が二列に並んで歩けるほどの幅があり、天井は大人の背丈より少し高い。壁と天井には断熱用の布が張られ、ところどころに木枠が嵌め込まれている。

 中央付近には保温槽と鍋を据えるための平らな台が用意されていた。天井近くには細い換気口が開き、雪の向こうへと伸びている。

「天井からの熱が溜まりすぎないように、換気口を二本通してあります」と工兵が説明する。

「煙は尾根の裏側に抜けるようになっていますので、正面側からは見えません」

「素晴らしいです」

 私は感嘆を隠さずに答えた。

「ここなら鍋を扱えます。あとは配置です」

 荷馬車から運び込まれた大鍋を指定の場所に置かせる。保温槽はそのすぐ横に据え付けた。

「鍋は二つ並べます。一つは常に提供できる状態にして、もう一つは次の分を温める用にします」

 周囲に集まった料理人たちに向けて、私は手順を示した。

「兵士の出入り口はこちら側です。入口から入ってきたら、まず手洗い用の桶に寄ってから列に並んでもらいます。配膳台はここ。十人ずつ入れます」

 足元には目印として縄を張り、隊列を作る位置を示していく。

「配膳役は三人。鍋、器渡し、列整理。残りは鍋の補充と洗い場を担当してください」

「了解しました」

 レオが配属された補給隊員たちを手際よく割り振っていく。

「塩と甘味の比率は予定通りでよろしいですか」

「ええ。ただし最初の鍋だけ、少し濃いめにします。長距離を歩いてきた兵の体には、その方が早く効きます」

 私は濃縮スープの固まりを取り出し、鍋に落とした。乾いた音が一瞬響く。

 保温槽から移した湯が固まりを包み、じきに香りが立ち始めた。



 最初の鍋が煮立つころ、前線陣地から伝令が駆け込んできた。

「補給所の準備状況はどうか」

「まもなく第一陣を受け入れられます」

 私は鍋の表面を確認してから答えた。

「スープの温度は十分です。配膳体制も整いました」

「分かった。では第一小隊から順に、一度に十名ずつ回す」

 伝令が戻っていき、ほどなくして雪洞の入口に足音が近づいてきた。

「十名、入ります」

 見張り役の兵が合図を送り、最初の一団が体をかがめて入ってくる。

 長時間の行軍を終えた兵たちの頬は赤く、呼吸は荒い。だが目の光はまだしっかりしていた。

「まずはこちらで手を温めて洗ってください。そのあと列に並んでください」

 私は指で順路を示す。

「スープは一人一杯ずつです。飲みきれる分だけ受け取ってください」

 レオが器を配り、別の料理人が鍋からスープをよそう。

 白い湯気が立ち上り、雪洞の中の空気が少し変わる。

 一人目の兵が器を受け取り、慎重に口をつけた。

「どうですか」

 私が尋ねると、彼は少し目を瞬かせてから答えた。

「思ったより飲みやすい味です。腹に落ちる感じがします」

「よかった」

 周囲でも「うまい」「温まる」といった声が漏れ始める。

 鍋の前でレオが安堵の息を吐いた。

「奥様。濃さはちょうど良さそうです」

「ええ。このまま続けましょう」

 兵たちがスープを飲み終え、器を返す。

 入口近くに控えていた兵が声をかける。

「十分経過。次の十名と交代だ」

 私は空になった器の数と鍋の残量を確認した。

「二巡目の途中で鍋を替えます。次の鍋を少しずつ足して」

「はい」

 レオが鍋の中身を見ながら配分を調整していく。



 兵たちの出入りが二巡目に入ったころ、雪洞の入口に見慣れた姿が現れた。

「指揮官一名、入る」

 見張り役が冗談めかして言うと、雪洞の中に軽い笑いが広がる。

 アレス様が身をかがめて入ってきた。外套に薄く雪がついている。

「順調か」

「今のところは。兵の反応も悪くありません」

 私は鍋の様子を一瞥し、器を一つ取り上げた。

「あなたも一杯どうぞ」

「俺は後回しでいい」

「指揮官も例外ではありません。魔力の巡りが落ちた状態で核に向かわれたら困ります」

 少し強めの口調で言うと、周囲の兵たちがわずかに目をそらした。視線の先でレオが小さく肩をすくめる。

 アレス様は短く息を吐き、器を受け取った。

「分かった。一杯だけだ」

 鍋からスープを注ぎ、彼に渡す。

 彼は口に運び、ゆっくりと飲み込んだ。

「どうですか」

「悪くない。塩加減もよい」

 それは彼にしては最大限の評価だった。

「なら安心です」

 器を持つ彼の手に、私は軽く自分の指先を触れさせた。

 温導質の感覚を通じて、体内の巡りを確かめる。

 外で魔力を多く消耗したのか、流れはやや荒いが、極端に落ち込んではいない。スープの熱が加わればもう少し整うはずだ。

「無理な配分をしていませんか」

「いつも通りだ」

「それなら大丈夫そうです」

 確認を終えて手を離すと、アレス様は器を空にし、無言で差し出してきた。

 私はそれを受け取り、洗い場の桶へ運ぶ。

「お前は」

 背中に声がかかった。

「何杯目だ」

「試飲を含めて一杯目です」

「二杯目を飲め」

 即答だった。

「今度は俺からの命令だ」

 周囲の兵が気まずそうに笑い、レオが素早く器を差し出した。

「奥様。閣下の命令ですので」

「分かりました」

 私は自分の器にもスープを受け取り、一口飲んだ。

 塩気と油の厚みが舌に残るが、嫌な重さではない。

「悪くないです」

「それなら続けろ」

 アレス様はそう言って雪洞の出口へ向かった。

「俺は前線陣地に戻る。ここは任せる」

「はい。予定どおり回します」

 入口まで見送ると、彼は外の白い光の中へ消えていった。



 補給は滞りなく続いた。

 第三陣まで受け入れたころには、雪洞の空気は完全に温食の香りに染まっている。

 それでも換気口のおかげで、息苦しいほどではなかった。

「ダニエル先生」

 雪洞の奥で測定器を構えていたダニエルが顔を上げる。

「何か分かりましたか」

「面白い傾向が出ている」

 彼は測定値の板を私に見せた。

「到着時に測った魔力値と、スープを飲んで十分休んだ後の値を比較した。全員ではないが、多くの兵で循環の波が落ち着いている」

「波が整うということですか」

「そうだ。黒氷に近づけば否応なく乱される。だが今の状態からなら、ある程度までの乱れなら耐えられるはずだ」

 ダニエルの口調は淡々としていたが、目にはわずかな手応えが浮かんでいた。

「この雪洞は前線の一枚内側にある盾だと考えていい」

「なら、崩せないですね」

「崩すな」

 ごく普通の口調で言われ、私は短く笑った。

「もちろんです」



 日が傾き始めると、外からの出入りの頻度が少しずつ落ち着いた。

 核破壊部隊が前線陣地での配置につき、夜半の行動に備えていると伝令が告げる。

 私は鍋と保温槽の火加減を確認し、配膳表をもう一度見直した。

 突撃前にもう一巡。戻ってきた直後に一巡。それぞれの時間帯に必要な量と人員を記入していく。

「前線陣地との連絡は維持できていますか」

 入口付近の兵に尋ねると、彼は通信魔導具を軽く持ち上げて見せた。

「はい。異常なしとのことです。核と思われる黒氷柱も視認範囲内に入っています」

「分かりました」

 私は雪洞の中を一周し、鍋、保温槽、器の数、洗い場の状態、出入り口の見張りを順番に確認した。

 問題の有無を確かめ、必要な指示を出し終えたところで、やっと短く息を吐く。

 ここまでの準備は整った。

 私は明かり代わりの魔導灯の位置を少しだけ調整し、雪洞内の通路がはっきり見えるかどうかを確認した。

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