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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第226話 決戦前夜

 核破壊部隊の編成方針が固まってから、準備は一気に加速した。

 三日後の朝、公爵邸の一室で軍務長官から最終の名簿を受け取る。厚手の紙に、選抜された兵の名が整然と並んでいた。

「中隊一個。実数百二十。歩兵主体、魔導兵と工兵を少数ずつ混ぜている」

 軍務長官は事務的な口調で説明を続ける。

「氷魔との交戦経験者を半数以上含めた。残りは寒冷地に慣れた者と、魔力循環の安定している者から選抜してある」

「循環の安定は、ダニエルが見たのですね」

「ああ。体力も魔力も中途半半端な者は外した。踏み込みの前に倒れられては困るからな」

 私は名簿の末尾まで目を通し、そっと息を吐いた。

「この人たちが、黒氷柱まで行くのですね」

「そういうことだ」

 軍務長官が頷き、紙束の端を指で叩いた。

「そして率いるのは閣下だ」

 その一言で、胸の奥が少し強く脈打った。

「アレス様が、自ら先頭に立つのですか」

「止めても聞かんよ。境界を守る仕事を他人に押しつける性分ではない」

 予想していなかったわけではない。それでも、はっきり言葉にされると重さが違った。

「この名簿は補給計画にも必要だろう。君に渡しておく」

「ありがとうございます。人数に合わせて割り付けを調整します」

 受け取った紙束を抱え、私は一度執務室を後にした。



 公爵邸の廊下を曲がったところで、背後から名前を呼ばれた。

「レティシア」

 振り返ると、アレス様が立っていた。軍装ではないが、いつもより厚手の上着を着ている。

「名簿は見たか」

「はい。先ほど軍務長官から」

「話がある。来い」

 短くそう言って、彼は自室ではなく戦略室へ向かう。私は黙ってその後を追った。

 戦略室には誰もおらず、北境の地図だけが広げられたままになっていた。

「核破壊部隊の編成と出発日は決まった」

 扉が閉まると同時に、アレス様が本題に入る。

「明後日の日の出とともに北境へ向かう。前線陣地経由で、雪洞補給所と前方雪洞を設営しながら進む」

「思っていたより早いですね」

「黒氷柱の成長速度が分からない。こちらの準備が整った時点で動くのが一番ましだ」

 理屈は理解できる。時間をかけるほど、向こうも変質していく可能性がある。

「一つ確認する」

 アレス様がこちらを見る。

「前線まで同行するか」

 問いの内容は、あらかじめ覚悟していたものだった。

「前線というのは、雪洞補給所までのことですか」

「ああ。雪洞の内側で補給と魔力観測に専念する。核への突撃には同行しない。それが条件だ」

 彼は淡々と告げる。

「お前が行けば、温導質を使った調整ができる。突撃前後の兵の戻りは段違いになるだろう」

「でも危険です」

 口に出したのは自分に対しての言葉でもあった。

「大氷期のあと、私は高熱を出して倒れました。今回も前線に出れば、また同じことになりかねません」

「だから制限をつける」

 アレス様は地図の一か所を指差した。前線陣地と黒氷柱の中間に描かれた印だ。

「前線補給所から一段前のこの雪洞まで。そこから先には出るな。雪洞の中での仕事以外はしない。それを守れるか」

「守ろうとします」

 意地のような言葉が少し混じった。彼は目を細める。

「守るかどうかを聞いている」

「守ります」

 言い直すと、彼は短く頷いた。

「ならば俺としては連れて行く方がいい。現場で判断が必要な時、間に合わないところから指示を飛ばしても意味がない」

 その言い方は冷静だが、私の意思を尊重する余地も含んでいる。

「行きたいか、行きたくないか。正直に言え」

「役に立てるなら行きたいです」

 はっきり答えると、胸の奥の揺れが少し整った。

「怖くないと言えば嘘です。でも、今回の作戦は温食と補給を前提に組んだものです。現地で責任を取る方が筋が通ると思います」

「分かった」

 アレス様は迷いなく結論を出した。

「前線まで同行を許可する。雪洞補給所と前方雪洞の運営指揮を任せる。突撃には関わるな」

「はい」

 返事をすると、彼はわずかに視線をそらし、少しだけ声を落とした。

「前回のように倒れたら、その場で強制的に撤退させる」

「それは困ります」

「困ってもやる」

 淡々とした口調だったが、言葉の奥に心配が透ける。

「私は私の領分を守ります。アレス様は黒氷柱をお願いします」

「それぞれの仕事をするだけだ」

 彼はそう言って、地図を畳み始めた。

「準備に戻れ。出発まで二日しかない」

「分かりました」

 私は礼をして戦略室を出た。胸の中に残った緊張は大きいが、やることははっきりしている。



 公会本部に戻ると、既に荷造りの準備が始まっていた。

 大鍋用の鉄枠、魔導石入りの保温槽、木箱に詰めた濃縮スープの素。廊下の片側に積み上げられた荷が、遠征の規模を物語っている。

「奥様」

 フィーが駆け寄ってきた。単なる焦りではなく、覚悟を決めた顔をしている。

「前線に行かれると聞きました。本当ですか」

「雪洞の中までです。氷魔と直接戦うわけではありません」

「そういう問題ではありません」

 フィーは唇をかみ、しかし声の調子は落とさなかった。

「大氷期のときに倒れたばかりです。今度はもっと危ない場所です。本当に大丈夫なのですか」

「無茶はしないと約束しました」

 私は彼女の目をまっすぐ見る。

「雪洞の外には出ません。体調がおかしいと感じたら、その時点で役割を他の人に渡します」

「他の人に?」

「レオや他の補給隊員たちがいます。彼らなら、私が組んだ仕組みをそのまま回せます」

 フィーは少しだけ視線を伏せた。

「レオも一緒に行くのですね」

「はい。補給所の運営責任者として同行してもらいます。ここには別の班を残します」

 フィーは短く息を吐き、顔を上げた。

「分かりました。止められないと分かっていても、言わずにはいられませんでした」

「言ってくれてありがとう」

 私は微笑んでみせる。

「だからこそ、私も最初から任せます。途中で倒れて全てを手放すのは、前より悪い形ですから」

 フィーの表情が少しだけ崩れた。

「ではこちらは後方を固めます。領都と既存の公共食堂の運営は私が責任を持ちます」

「頼りにしています」

 言葉だけでなく、本心だった。今回私が前線に出られるのは、後ろを任せられる人がいるからだ。



 荷造りの確認に回ると、レオが大鍋の横で帳簿を片手に指示を飛ばしていた。

「その箱は前方雪洞行きです。こっちは前線補給所まで。印を間違えないでください」

 慣れない軍の補給係に、てきぱきと指示を出している。視線も声も落ち着いていた。

「レオ」

 呼びかけると、彼は振り返り、姿勢を正した。

「奥様。前線行きの荷は半分以上積み終わりました。濃縮スープと甘塩ブロックは予定数を確保しています」

「ありがとう。雪洞での段取りは頭に入っていますか」

「はい。入れ替え制で十人ずつ。滞在時間は一人十分まで。配膳の記録を残し、魔力値の低い兵を優先する」

 すらすらと答えが返ってくる。

「奥様がいなくても回せるように、と言われましたから、手順書も作りました」

 彼は一冊の小さな冊子を差し出した。

「素晴らしいです」

 中身をざっと見る。配膳順、鍋の火加減、衛生管理の要点が簡潔にまとめられていた。

「これなら誰が見ても困りません」

「奥様のやり方を、できるだけそのまま移しました。細かいところは現地で修正します」

「よろしくお願いします」

 そう言うと、レオは一瞬迷った顔をしてから言葉を続けた。

「奥様」

「何でしょう」

「氷魔は怖いです。でも温かい食事が武器になると分かった今、後ろで鍋だけ振っているより前に出た方がいいと思いました」

 彼は胸元の公会章を軽く指先で押さえた。

「だから行きます。奥様が倒れたら支えます。倒れないようにもさせます」

「心強いです」

 冗談ではない声音だった。私はうなずき、彼に帳簿を返した。



 日が傾き始めるころ、軍からの使者が再び公会本部を訪れた。

「前線への出発隊列と時間が確定しました。明後日早朝、第三刻。温食公会補給隊は本隊の二刻前に先行し、前線陣地で待機してください」

「了解しました」

 私は使者から受け取った書類に目を通し、必要な項目に署名を入れた。

 出発まで、残り一日と少し。

 その夜、公会本部の静かな一室で、私は改めて補給計画の紙束を並べた。

 前線補給所の鍋の数、前方雪洞での一回あたりの配膳量、核破壊部隊の出入りに合わせた時間割。数字と名前を追いながら、抜けがないかを確認していく。

「ここを一人減らして、余剰を予備鍋に回した方がいいかもしれない」

 小さく独り言を漏らし、配分表を書き換える。

 すべて終えたころには、外はすっかり暗くなっていた。

 机の上に積んだ書類を一まとめにして紐でくくる。出発の朝、そのまま持っていけるように用意しておく必要がある。

 私は束を両手で持ち上げ、明日の準備はここまでと心の中で区切りをつけた。

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