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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第210話 大地からの拍手

 雪解け水がせせらぎの音を立てる、穏やかな春の日だった。シルヴァン村の公共食堂の前には、村中の人間が集まったのではないかと思うほどの、賑やかな人だかりができていた。今日は、この食堂の正式な開設を祝う、ささやかな式典が開かれる日だ。

「奥様、ご覧ください。あの看板、村の子どもたちが、昨夜遅くまでかかって描いたものだそうです」

 私の隣に立つレオが、誇らしげに食堂の入り口を指差した。そこには、拙いが温かみのある文字で『シルヴァンの台所』と書かれた、真新しい木の看板が掲げられている。

「まあ、素敵な名前ですこと」

「はい。皆、ここをもう、自分たちの家の一部だと思っているんです」

 彼の言葉通り、集まった村人たちの顔には、私たちが初めてこの村に来た時のような、警戒や不信の色はひとかけらもなかった。誰もが晴れやかな、そして誇らしげな顔で、自分たちの手で磨き上げた食堂を、愛おしそうに見つめている。



「それでは、これより、シルヴァン村公共食堂の開設式を執り行う!」

 村長が、即席で作られた木箱の壇上で、しわがれた、しかし力強い声で宣言した。村人たちから、温かい拍手と歓声が上がる。いくつかの短い挨拶の後、村長が私の方へ向き直った。

「最後に、この食堂が生まれるきっかけをお作りくださった、レティシア様より、お言葉を賜りたい」

 促されて、私は壇上へと上がった。目の前には、何十もの、太陽に焼けた誠実な顔が並んでいる。その中には、あの日、石のように硬い表情で私を睨みつけていた男たちの顔もあった。だが、今の彼らの瞳に宿っているのは、信頼と、そして感謝の光だった。

 私は、懐から用意していたスピーチの原稿を取り出しかけたが、すぐにそれを元に戻した。今、この人たちに必要なのは、美しく整えられた言葉ではない。

「皆さん、本日は誠におめでとうございます」

 私は、集まった一人一人の顔を見渡しながら、ゆっくりと語り始めた。

「わたくしが初めてこの村を訪れた日、皆さんの目はとても冷たいものでした。わたくしたちを、自分たちの暮らしを脅かす、よそ者だと見なしていらっしゃった」

 その言葉に、数人が気まずそうに顔を伏せる。村長は、ただじっと私の顔を見つめていた。

「無理もありません。王都では、こう教わりました。温かい食事は、火の穢れを食卓に持ち込む、野蛮なものだと。そして、温かい心は、人の判断を鈍らせる、ただの弱さだと」

 集会所が、しんと静まり返る。

「ですが、皆さんは違いました」

 私は、調理を担当してくれたアンナたち女性の方へ、視線を向けた。

「皆さんは、自分たちの手で鍋をかき混ぜ、凍える子どものために、隣人のために、温かいスープを注ぎました。それは、弱さだったでしょうか」

「……」

「いいえ、違います。皆さんが分かち合った温かさこそが、この厳しい冬を乗り越えるための、何よりも強い力でした」

 私は、もう一度、集まった全員を見渡した。

「わたくしは今日、この場所で、はっきりと宣言します。温かさは、決して弱さではありません。それこそが、人を繋ぎ、明日を生きる力を与える、この世で最も強く、そして尊い力であることを、皆さんが、その手で証明してくれたのです」



 私の言葉が終わると、一瞬、深い沈黙が広場を支配した。鳥のさえずりと、遠くの雪解け水の音だけが聞こえる。

 その沈黙を破ったのは、壇上の村長だった。

 彼は、ゆっくりと私の前に進み出ると、何も言わなかった。ただ、その深い皺の刻まれた顔を、私に向けて、ゆっくりと、そして深く、その腰を折った。それは、貴族に対する儀礼的なものではない。一人の人間が、別の一人の人間へ捧げる、最大限の敬意と感謝を示す、無言の礼だった。

 その行動が、合図になった。

 一人の女性が、ためらうように、小さな拍手をした。それに続くように、別の場所から、また一つ。最初はまばらだった拍手は、次第に数を増し、やがて、広場全体を揺るがすほどの、大きな波となって、私に打ち寄せた。

 レオが、アンナが、そして名前も知らない村人たちが、涙で濡れた顔で、ただひたすらに手を叩いている。それは、王宮の晩餐会で聞いた、儀礼的な賞賛とは全く質の違う、大地に根差した、無骨で、誠実な、共同体からの承認の音だった。

 鳴りやまない拍手の中で、私は、ふと、式典の輪から少し離れた場所に立つ人影に気づいた。壁に寄りかかり、腕を組んで、その光景を静かに見守っているアレス様だった。

 彼の視線が、私を捉える。

 その、いつもは表情の読めない彼の口元に、ほんのわずかだが、明確な、誇らしげな笑みが浮かんでいるのを、私は見逃さなかった。

 私は、その表情を見て、込み上げてくる熱いものをこらえながら、静かに微笑み返した。彼のその笑みこそが、私がこの長い戦いの果てに手に入れた、何よりの褒章だった。

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