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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第200話 王太后の微笑

 王都での全ての公式行事を終え、私たちが北の地へ帰還する日の朝は、冬の光が静かに降り注ぐ、穏やかな日だった。荷造りはとうに終わり、あとは王宮へ最後の挨拶に伺い、この息の詰まる街を後にするだけだ。

 出発用のドレスに着替えながら、私は窓の外に広がる王都の壮麗な街並みを見下ろした。ここに来てから、一体どれだけのことがあっただろう。

「準備はできたか」

 背後から、アレス様の静かな声がした。いつの間にか、彼も支度を終えて部屋に入ってきていた。私は振り返り、こくりと頷く。

「ええ、いつでも出発できますわ」

「そうか」

 彼はそれだけ言うと、私の隣に立ち、同じように窓の外へ視線を向けた。しばらく、二人の間に沈黙が流れる。

「…長かったな」

 やがて、彼がぽつりと呟いた。その声には、珍しく微かな感慨のようなものが滲んでいる。

「ええ、本当に。ですが、終わりましたのね」

「ああ。終わった」

 彼は、私の顔をじっと見た。その灰色の瞳が、何かを問うように揺れている。

「疲れたか」

 その、あまりにも不器用で、まっすぐな問いかけに、私は思わず小さく吹き出してしまった。

「ふふっ。ええ、少しだけ疲れましたわ。早く、私たちの家に帰りたいです」

「そうか」

 彼は、私の答えに満足したように短く言うと、そっと私の肩に手を置いた。その、無骨で大きな手の温もりが、これまでの戦いで張り詰めていた私の心の糸を、優しく解きほぐしていくようだった。

「では、行こう。最後の挨拶を済ませて、すぐに発つ」

「はい、アレス様」

 私たちは、王都での最後の務めを果たすため、部屋を後にした。



 国王陛下への挨拶は、ごく事務的なものだった。彼は、最後まで私の顔をまともに見ようとはせず、ただ晩餐会の成功を労う定型句を述べただけだった。だが、それでよかった。私は、彼に認められたいわけではないのだから。

 問題は、その後だった。

 謁見の間を辞し、王宮の出口へと向かう、長い大理石の回廊を歩いていた、その時。

「お待ちください、アレスティード公爵閣下、並びに夫人」

 凛とした、しかしどこか有無を言わせぬ響きを持った声が、私たちの背後からかけられた。振り返ると、そこには数人の侍女だけを伴った王太后陛下が、静かに立っておられた。

「王太后陛下」

 アレス様が、即座に片膝をついて礼を取る。私も慌てて、彼の隣で最も深い礼をした。心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。なぜ、この方が、こんな場所に。

「面を上げよ。堅苦しい挨拶は不要じゃ」

 許しを得て顔を上げると、王太后の、歳を感じさせない鋭い瞳が、アレス様ではなく、まっすぐに私を射抜いていた。

「息災そうで何よりじゃな、北の料理人よ」

「もったいないお言葉にございます、陛下」

「ふん。口先だけの謙遜は好かぬ。あの晩餐、見事であったぞ」

 その、あまりにも直接的な賞賛の言葉に、私はどう返すべきか一瞬迷った。

「身に余る光栄にございます。ですが、わたくし一人の力では…」

「そなたの指揮がなければ、あの夜は王家の恥辱として歴史に刻まれておったであろう。それは、この儂が誰よりもよう分かっておる」

 彼女は、私の言い訳をぴしゃりと遮った。そして、一歩、私に近づく。侍女たちが、緊張した面持ちで一歩下がる。回廊には、私とアレス様、そして王太后だけが取り残されたかのようだった。

「礼法の雪解け、か。面白いことを言うた者がおったようじゃな」

「……」

「そなた、あの晩餐で、一体何を壊し、何を作ったと思うておる?」

 その問いは、鋭い刃のように、私の心の核心へと突き立てられた。これは、試されている。

 私は、一度、深く息を吸った。そして、彼女の射抜くような視線から、逃げずに答えた。

「わたくしは、何かを壊そうなどと、大それたことを考えたわけではございません」

「ほう?」

「ただ、凍えている方々に、少しでも温かいものを召し上がっていただきたかった。それだけです。もし、その行いが、結果として何かを変えたのだとすれば、それはわたくしが作ったのではなく、温かさを求めた皆様の心が、自ら作り出した変化なのだと信じております」

 私の答えに、王太后は何も言わなかった。ただ、その瞳の奥で、値踏みするような光が、静かに揺れている。

「伝統とは、守るだけのものではなく、時に見直し、その時代に生きる人々のために磨き上げることで、より強く、未来へと繋がっていくものではないでしょうか」

「小賢しい理屈を申す」

 彼女は、ふんと鼻を鳴らした。だが、その声に、怒りの色はなかった。

「そなたの料理と同じじゃな。素朴で、飾り気はないが、妙に、芯がある」

 私は、黙って次の言葉を待った。

「良いか。この王宮は、古く、そして冷え切っておる」

 その声は、囁くように、しかし、確かな重みを持って、私の耳に届いた。

「伝統という名の分厚い氷の下で、多くのものが、ただ凍りついたまま、時を止めておる。それを溶かすには、生半可な熱では足りぬ」

 彼女は、そこで言葉を切ると、その薄い唇の端に、ほんの少しだけ、笑みを浮かべた。それは、あの晩餐会の夜に見せたものよりも、ずっと深く、そして何かを企んでいるような、見る者をぞくりとさせる笑みだった。



「そなたのような、行儀の悪い熱源が一つくらいあっても、面白いやもしれぬの」

 その、あまりにも不穏な言葉を最後に、王太后は私に背を向けた。そして、一度も振り返ることなく、侍女たちを伴って、回廊の奥へと静かに去っていった。

 残されたのは、彼女の言葉が投げかけた、重い余韻だけだった。

「……厄介なものに目をつけられたな」

 いつの間にか立ち上がっていたアレス様が、静かに呟いた。その声には、呆れと、警戒と、そしてほんの少しの面白がるような響きが混じっていた。

「ええ、本当に」

 私は、王太后が消えていった廊下の先を見つめながら、答えた。私の心臓は、まだ少しだけ速く脈打っていた。だが、それは恐怖からではなかった。

「ですが、少しだけ、わくわくしますわ」

 その言葉に、アレス様は何も答えなかった。ただ、私の手を、そっと、取った。彼の、無骨で大きな手の温もりが、私の高ぶった心を、ゆっくりと落ち着かせてくれる。

「帰るぞ」

 彼は、私の手を引いて、歩き始めた。

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