表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

197/236

第196話 瓦礫の中の再構築

 私の宣言に、厨房の時間は一瞬だけ凍りついた。嘲笑っていた古参料理人は、何を言われたのか理解できないといった顔で、ぽかんと口を開けている。

「何を言っている、あんた。気でも狂ったか」

「そうだ。水も火もなしに、どうやって晩餐会を始めるというのだ」

 呆れと侮蔑が混じった声が、あちこちから上がる。絶望的な状況は、彼らの思考を完全に停止させていた。

 だが、私の頭の中は、不思議なほどクリアだった。目の前の光景が、遠い記憶と重なる。納期直前のシステムトラブル。クライアントからの無茶苦茶な仕様変更。徹夜で作り上げたプレゼン資料の、データ消失。それに比べれば。それに比べれば、水と火がないことなど、些細な問題に過ぎない。

「嘆いている時間はありません!」

 私の、凛とした一喝が、重く淀んだ空気を切り裂いた。さっきまでの、か細い声ではない。絶望の淵から這い上がってきた人間の、腹の底からの声だった。

「全員、聞いてください! 今から、献立を全て再構築します!」



「再構築だと? 馬鹿なことを言うな!」

 古参料理人が、吐き捨てるように言った。

「食材は全て、これまでの献立に合わせて切り分けてある! 今からやり直せるわけがないだろう!」

「発想を変えなさい!」

 私は、彼の言葉を鋭く遮った。「水が出ないなら、代わりになる液体を探します。貯蔵庫にあるものは何ですか!」

 私の剣幕に気圧されたのか、近くにいた若い料理人が、おずおずと答えた。

「え、ええと……。ワインと、あとは圧搾したばかりの果汁が大量に……」

「結構です。それを全てここに集めてください。スープのベースにします」

「しかし、煮込むための火が!」

「火がないなら、熱源を探します。この王宮で、本当に火が使える場所はどこにもないのですか!」

 その問いに、別の料理人が、思い出したように顔を上げた。

「衛兵詰所や、侍女たちの休憩室なら……。お茶を淹れるための、小型の調理用魔導コンロがあるはずです」

「素晴らしい。今すぐ、アレスティード公爵夫人の権限で、その全てを徴発します。あなた、手配をお願いできますか!」

 私が指名した若い料理人は、一瞬ためらったが、私の真剣な瞳に何かを感じたのか、弾かれたように頷いた。

「は、はい! すぐに!」

 彼が厨房を駆け出していく。凍りついていた空気が、ほんの少しだけ動き始めた。



「ですが奥様、メニューが……! ジャガイモはもう蒸せませんし、ソースも煮詰めることはできません!」

 別の料理人が、悲鳴のような声を上げた。

「蒸せないなら焼けばいい。そのジャガイモを、可能な限り薄切りにしなさい。それから貯蔵庫のチーズを全て持ってきて」

「は、はあ……」

「薄切りにしたジャガイモとチーズを、耐熱皿に交互に、何層も重ねるのです。それを、先ほど徴発した魔導コンロの弱火で、じっくりと焼き上げなさい。グラタン・ドフィノワ風にします」

 私の、淀みない指示に、料理人たちは目を丸くした。グラタン? ドフィノワ? 彼らが聞いたこともない料理名だった。

「ソースはどうするのですか! 魚料理に添える、あの濃厚なクリームソースは、もう作れません!」

「ソースは煮詰めません。貯蔵庫にあるハーブを、根こそぎ全てここに集めて!」

 私の号令に、数人が慌てて貯蔵庫へと走る。すぐに、新鮮なバジルやパセリ、ミントの青々とした香りが厨房に満ちた。

「そのバジルとパセリ、そしてニンニクを、ペースト状になるまで、徹底的に刻みなさい! 最高品質のオリーブオイルと混ぜ合わせれば、ピストゥーソースになります。それを、冷製の魚料理に添えなさい。風味も彩りも、クリームソースよりずっと良いものになるはずです」

「ピス……トゥー……」

 私の口から次々と飛び出す、未知の調理法と料理名。それは、この世界の伝統にはない、私の前世の記憶から引き出された、瓦礫の中の即興曲だった。



「さあ、ぼさっとしていないで! 手を動かしなさい!」

 私が再び声を張り上げると、ついに、一人の若い料理人が動いた。彼は、戸惑いながらも、ジャガイモの入った籠を手に取り、まな板の前に立った。

「……分かりました。やってみます」

 その一言が、引き金になった。

「おい、俺はハーブを刻む!」「チーズはどこだ!」「誰か、衛兵詰所からコンロを運ぶのを手伝え!」

 諦めに支配されていた厨房が、まるで蘇ったかのように、再び熱気を帯び始めた。それは、蒸気や炎の熱ではない。絶望的な状況に立ち向かう、人間の意志が生み出す熱だった。

 最初に私を嘲笑っていた古参料理人は、その光景を、呆然と立ち尽くして見ている。私は、彼の横を通り過ぎる際に、足を止めた。

「あなたは、どうしますか。そこで、ただ見ているだけですか」

 彼は、私の視線から逃れるように、一度は俯いた。しかし、やがて何かを決意したように顔を上げると、ぶっきらぼうに、しかし、はっきりとした声で言った。

「……ワインと果汁は、どれを、どの割合で混ぜるんだ」

 私は、その言葉に、小さく口の端を上げた。

「ありがとう。手伝ってくれるのですね」

 彼は、ふいと顔をそむけた。その耳が、少しだけ赤くなっている。

 厨房は、今や完全な戦場と化していた。飛び交う怒号、小走りで食材を運ぶ足音、そしてまな板を叩く無数の包丁の音。私は、その混沌の中心に立ち、全体を見渡しながら、次の指示を出すために、深く息を吸い込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ