第193話 数字の兵站線
私が考案したメニューは、バルトーク侯爵の「前例がない」という一言の前に、一枚また一枚と紙屑同然に退けられていった。
「雪蕪のポタージュは、温製であるため却下」「仔羊の香草焼きは、火を通す調理法が礼法に反するため却下」「林檎を詰めた雉のローストも同様」
彼の声には何の抑揚もなかった。ただ、定められた規則に照らし合わせ、適合しないものを無感情に排除しているだけだった。厨房の料理人たちは、その光景を遠巻きに見ている。彼らの視線には、もはや私への好奇心すらなく、ただ定められた結末を待つかのような冷ややかな諦観だけが漂っていた。誰一人、私に助言をしようとも、同情の言葉をかけようともしない。ここは完全な敵地だった。
三日後、私の手元に残ったのは、冷たい前菜とデザートに関する数枚の許可証だけだった。これでは晩餐会そのものが成立しない。私は、王宮内にあてがわれた自室に戻ると、積み上がった却下済みのメニュー案を前に、ただ無力に座り込むことしかできなかった。
*
情熱は、ここでは何の役にも立たない。美味しさという価値観も、健康への配慮という善意も、彼の前では存在しないのと同じだった。バルトーク侯爵が信じるものはただ一つ、数百年かけて築き上げられた「伝統」という名の絶対的な秩序だ。
どうすれば、その鉄壁を動かせるのか。私は暖炉の冷たい石の縁に額を押し当て、思考を巡らせた。彼の土俵で戦っても勝ち目はない。伝統の重みで押し潰されるだけだ。ならば、全く別の土俵を、こちらから作り出すしかない。彼が、その職責において、決して無視することのできない、新しい判断基準を。
その時、私の頭に前世の記憶が蘇った。頑固なクライアントを説得するために、徹夜で作り上げた分厚い企画書。そこには、美しいデザイン案だけでなく、市場調査のデータ、費用対効果のグラフ、そして競合他社との比較分析が、無機質な数字とインクでびっしりと書き込まれていた。情緒ではなく、論理で、事実で、相手の理性を攻略する。
そうだ。私は、料理の魅力を語ることをやめよう。代わりに、料理の「安全性」と「合理性」を、客観的な事実として証明するのだ。
*
その夜、私はアレス様の執務室の扉を叩いた。彼は山積みの書類から顔を上げ、静かに私を見た。
「アレス様、至急、領地から取り寄せていただきたいものがあります」
私は、彼の机に一枚の羊皮紙を差し出した。そこには、二人の人物の名前と、必要とする資料のリストが簡潔に記してあった。
アレスティード領軍医、ダニエル・ファーメント。王都アカデミー所属魔力医学研究者、アルマン。
彼はそのリストに黙って目を通すと、何も問わずに頷いた。そして、そばに控えていた侍従に、ただ短く命じた。
「最速の伝令を出せ。夜明けまでに、この二人からの報告書を王都に届けさせろと」
その、一切の無駄がない命令は、私にとって何よりも心強い援護だった。
*
それから数日間、私は部屋に籠もり続けた。領地から届けられたダニエル軍医とアルマン研究者の報告書は、私の期待を遥かに超えるものだった。北の地で行われた詳細な臨床データ、加熱調理と食中毒発生率の相関関係を示す統計表、そして温かい食事が人体の魔力循環に与える影響についての、緻密な医学的考察。
私はそれらの膨大なデータを、宮廷の礼法に抵触しないぎりぎりの表現で、一つの報告書へとまとめ上げていった。それは、美しい絵画のようなメニュー案とは似ても似つかない、無骨で、どこまでも無機質な書類の束だった。
そして五日後の朝、私はその分厚い報告書を手に、再びバルトーク侯爵の執務室の前に立っていた。扉をノックする指先に、迷いはなかった。
執務室に入ると、彼は私が手にしている書類の束を、怪訝な目で見つめた。
「また新しいメニューかね。無駄なことだとは、まだ理解できんか」
「いいえ、侯爵閣下」
私は彼の机の前まで進み出ると、その分厚い書類の束を、静かに、しかし、確かな重みをもって置いた。表紙には、私が記したタイトルが、飾り気のない文字で記されている。
『建国記念晩餐会における献立改定の合理性及び、温製調理導入の衛生的優位性に関する報告書』
私は、顔を上げた。そして、彼の揺るぎない瞳をまっすぐに見つめ返して、静かに告げた。
「これが、わたくしの新しいメニューです」




