第188話 戸惑いの感謝
応接室で待っていると、やがて扉が静かに開いた。フィーに導かれて入ってきたのは、私の記憶にあるよりも少しだけ背の縮んだ、一人の老婦人だった。彼女は質素な、しかし清潔な旅装を身につけ、その背筋は驚くほどまっすぐに伸びていた。
私の姿を認めると、マーサはためらうような足取りで一歩一歩近づいてきた。そして、私が何か声をかけるより先に、その場に膝をつきそうなほど深く、頭を下げた。
「レティシアお嬢様。このような辺鄙な地まで、突然お邪魔いたしましたこと、お許しください」
その懐かしい声に、私は静かに立ち上がった。
「どうぞ、お顔を上げてください、マーサ。わたくしは、もうお嬢様ではありません」
促されて、彼女はゆっくりと顔を上げた。その皺だらけの顔は、長旅の疲れと、抑えきれない感情で歪んでいる。そして、その瞳は涙で潤んでいた。
「いいえ。あなた様は、わたくしたちにとって、救い主でございます。このマーサ、皆を代表して、どうしても、お礼を申し上げたくて参りました」
そう言うと、彼女は私の手を取った。長年の重労働でごつごつと固くなった、骨ばった手だった。
「いただいたお金で、息子が、長年の借金を全て返すことができたのです。孫娘にも、ずっと買ってやれなかった新しい服を、ようやく着せてやることができました」
彼女の声は、感謝と嗚咽で震えていた。
「あなた様がいなければ、わたくしたちは一生、あの惨めな暮らしから抜け出すことはできませんでした。本当に、本当に、ありがとうございます」
その、あまりにもまっすぐで、純粋な感謝の言葉が、私の心を激しく揺さぶった。だが、それは感動ではなかった。むしろ、冷水を浴びせられたような、鋭い戸惑いだった。
なぜ。なぜ、この人は私に感謝するのだろう。私は彼女たちを救いたいなどという、高尚な気持ちで行動したわけではない。ただ、歪められたルールを、法という名の道具で、あるべき形に正しただけだ。それは、誰にでもできる、極めて事務的な行為のはずだった。私の心は、その感謝を受け取る準備ができていなかった。
*
「礼を言われるようなことでは、ありません」
私は、マーサの手から、そっと自分の手を引き離した。私の声は、自分でも驚くほど平坦で、冷たく響いた。
「わたくしは、あなた方を救ったわけではありません。ただ、あなた方が元々持っていた当然の権利を、法に則って執行させた。それだけのことです。あれは、わたくしが与えたものでは、決してありません」
私の、あまりにも事務的な言葉に、マーサは一瞬、きょとんとした目を向けた。その瞳に浮かんだのは、戸惑いと、そして、ほんの少しの寂しさの色だった。
しかし、彼女はすぐに、全てを悟ったように、小さく、そして深く頷いた。
「……そうでございますか。ですが」と彼女は続けた。「わたくしたちには、その当然の権利を取り返す力が、ありませんでした。あなた様がいてくださったからこそ、ようやく、手にすることができた。それが、わたくしたちにとっての、たった一つの事実でございます」
彼女は、それ以上何も言わなかった。ただ、もう一度、深く、心の底からの敬意を込めてお辞儀をすると、静かに応接室を退出していった。




