第165話 許しと、境界線と
セシリアからの手紙を読み終えた時、私の頬を一筋の温かいものが伝っていくのを感じた。窓の外では、今年初めての雪が音もなく舞い落ち、北の街並みを静かに白く染め始めていた。
ごめんなさい。
その、たどたどしく、しかし、誠実な響きを持つ言葉が、私の胸の奥に長年凍りついていた最後のわだかまりを、ゆっくりと溶かしていく。悲しみではない。怒りでもない。ただ、安堵と、過去から完全に解放されたという静かな感動が、涙となって溢れ出していた。
これで、ようやく、本当に過去を許すことができる。
私は、指先で涙をそっと拭うと、感傷に浸る間もなく、執務机に向き直った。今、この瞬間に、伝えなければならない言葉がある。曖昧なままにしてはいけない、私と彼女の未来のための、大切な言葉が。
新しい羊皮紙を一枚取り出し、ペン先をインク壺に浸す。私の心は、驚くほど澄み渡っていた。
*
まず、彼女の勇気ある告白を、正面から受け止めなければならない。私は、迷いのない筆致で書き始めた。
『手紙をありがとう。あなたの謝罪の言葉は、確かに、私の胸に届きました。そして、私も、あなたの過去の過ちを、もう、許します』
その一文を書き終え、私は一度ペンを置いた。許す。その言葉を自分の手で記したことで、私の心はさらに軽くなるのを感じた。だが、本当に伝えなければならないのは、この先のことだ。優しさだけでは、私たちはまた同じ過ちを繰り返してしまうだろう。
私は、再びペンを手に取ると、慎重に、しかし、きっぱりとした言葉を続けた。
『ですが、セシリア。許すことと、昔の、あの歪んだ関係に戻ることは、全く、別のことです』
これこそが、私たちがこれから築くべき新しい関係の、最も重要な礎となる。依存し、搾取する関係ではなく、互いが独立した個人として尊重し合う関係。
『これからのあなたは、私の妹である前に、セシリ アという、一人の人間です。自分の人生を、自分の足で、歩んでいってください。私も、レティシアとして、私の人生を歩みます』
私は、もう、あなたを守るためだけの姉ではない。そして、あなたも、私に守られるだけのか弱い妹ではない。私たちは、それぞれが、自分の物語の主人公なのだ。
最後に、突き放すだけではない、私の偽らざる気持ちを書き加えた。
『あなたの未来を、遠くから、いつも、応援しています』
私は、書き終えた手紙を、最初から最後まで、ゆっくりと読み返した。そこには、感傷も、同情も、そして恨みもなかった。あるのは、過去との明確な決別と、未来への静かな希望だけだった。
*
インクが乾いたのを確認すると、私はその羊皮紙を丁寧に折り畳み、無地の封筒に入れた。そして、溶かした封蝋を垂らし、アレスティード家の紋章ではなく、私個人のイニシャルを刻んだ小さな印章を、静かに押し当てた。
呼び鈴を鳴らして侍女を呼び、私はその一通の手紙を彼女に手渡した。
「これを、療養院にいるセシリア様へ。急ぎではなくていいわ。確実にお届けして」
「かしこまりました」
侍女が恭しく一礼し、部屋を出ていく。その背中を見送りながら、私は、これで一つの区切りがついたことを、はっきりと実感していた。
窓の外では、雪がさらに勢いを増していた。古い世界の汚れも、過ちも、全てを覆い隠すかのように、ただ、白く、清らかな雪が降り積もっていく。
私とセシリアの、新しい関係が、今、この静かな雪の中から、始まろうとしていた。




