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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第161話 土に触れる指先

 父が屋敷の門前で雨と泥にまみれて土下座した、あの一件から数週間が過ぎた。季節は、短い秋から駆け足で冬へと向かっている。あの日を境に、ラトクリフ伯爵家からの接触は完全に途絶えた。彼らが今どこでどうしているのか、私は知らないし、知りたいとも思わなかった。私の日常は、温食公会の運営と、来たるべき厳しい冬に備えるための計画策定に、そのほとんどの時間を費やしていた。過去は、もはや私の人生の主題ではなかった。



 その知らせは、穏やかな午後の執務室にもたらされた。

「奥様、療養院の院長先生より、お手紙が届いております」

 執事長のブランドンが、銀の盆に載せた一通の封書を、静かに私の机に置いた。月に一度の定期報告書は、先日受け取ったばかりのはずだ。私は、少しだけ訝しみながら、その封蝋をナイフで丁寧に切り開いた。

 差出人の名が示す通り、手紙は異母妹セシリアの近況を伝えるものだった。療養院での生活は安定しており、魔力の揺らぎも以前に比べて格段に少なくなっているという、いつも通りの報告から、その文面は始まっていた。

 しかし、手紙を読み進めるにつれて、私の指が、かすかに震えていることに気づいた。ブランドンが退出した執務室で、私は、羊皮紙に書かれたその一文に、釘付けになっていた。


『追伸。これは公式の報告書に記すべきことか迷いましたが、レティシア様個人にお伝えしたく、筆を執りました。先日、セシリア様が、私の前で、ご自身の将来について、初めてご自分の言葉で口にされたのです』


 私は、息を詰めて、その先を追った。


『「先生。わたくしも、何か、自分の手でできることを見つけたいのです」と。そして、療養院の庭で私たちが育てている薬草に、近頃、強い興味を示されております』


 手紙が、指先から滑り落ちそうになった。

 自分の手で、できること。

 その言葉が、私の胸の奥を、強く、打った。

 これまで、セシリアは、常に誰かから与えられるだけの存在だった。両親からは歪んだ愛情を、そして私からは、彼女の生命線を支える魔力を。彼女が、自らの意志で何かを求め、何かを為したいと口にしたことなど、一度としてなかったのだ。

 施しを待つだけの、か弱い雛鳥ではない。自分の力で、餌を探しに行きたいという、意志の芽生え。それこそが、彼女が本当の意味で、心身ともに回復に向かっている、何より雄弁な証拠だった。

 涙が、込み上げてくるのを、ぐっと堪えた。今、私が流すべきは、感傷の涙ではない。



 私は、すぐさま新しい羊皮紙とペンを用意した。院長への返信を書くためだ。

 私の頭の中は、驚くほど冷静で、そして明確なプランが次々と形を結んでいた。今、私が彼女に与えるべきは、可哀想な妹への「施し」ではない。一人の人間が、これから自分の足で立とうとする時に必要な、具体的な「機会」だ。

 私は、迷いのない筆致で、手紙を書き進めていった。


『院長先生。貴重なご報告、心より感謝いたします。セシリアさんのその意志を、私は最大限に尊重し、支援するつもりです』


 そして、私は、具体的な提案を記した。


『つきましては、セシリアさんが興味を持たれている薬草について、基礎から専門的に学べる環境を手配したく存じます。領内で最も腕の良い薬師に、私から話をつけましょう。彼女を、弟子として受け入れてくれるよう、正式に依頼します。もちろん、必要な費用は、全てこちらで負担いたしますので、ご心配には及びません』


 それは、ただの気まぐれな趣味の時間を与えるのとは、訳が違う。

 薬草の栽培と調合は、地道な知識の積み重ねと、繰り返しの努力だけがものを言う、厳しい世界だ。そこには、生まれ持った魔力などという、曖昧なものは一切通用しない。自分の手で土に触れ、薬草を育て、その効能を一つ一つ覚え、正確な分量を量り、時間をかけて調合する。その全ての工程が、彼女を、幻想の世界から、地に足の着いた現実の世界へと、繋ぎ止めてくれるはずだ。



 私は、返信を書き終えると、それを丁寧に折り畳み、封蝋で封をした。そして、呼び鈴を鳴らして、ブランドンを部屋に呼んだ。

「これを、至急、療養院の院長先生の元へ」

「かしこまりました」

 手紙を受け取るブランドンに、私は、もう一つ、指示を加えた。

「それから、領内で一番と評判の薬師のリストを、すぐに用意してください。ギルドの薬草部会に問い合わせれば、すぐに分かるはずです」

「薬師、でございますか」

「ええ。近々、私から、直接、会いに行きます」

 ブランドンは、少しだけ意外そうな顔をしたが、何も問うことはなく、ただ深々と一礼して、静かに部屋を退出していった。

 一人残された執務室で、私は、窓の外に目を向けた。空は高く、冬の近いことを告げる、澄んだ光に満ちていた。

 セシリアが、これから歩むであろう道を思う。それは、決して平坦な道ではないだろう。だが、自分の手で土に触れ、自分の頭で学び、自分の力で何かを生み出す喜びを知った時、彼女は、本当の意味で、自由になれるはずだ。

 私が与えるのは、そのための、最初のきっかけに過ぎない。その先を歩くのは、彼女自身の足なのだから。

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